お肉屋さんのマーガレットさん
聖騎士団レオンズロアの皆さんの良いところは、毎朝お店を支配する筋肉ということに目を瞑ってしまえば、礼儀正しくてご飯を食べるのが早いところと、食器を自分で片付けてくれるところだ。
私と話しながらも素早く食事を終えたルシアンさんの食器を片付けて、キッチンのシンクに泡をためて、最近お気に入りの猫ちゃんスポンジでごしごし洗っていると、私のところまで行列になって食べ終わった食器を皆さん届けてくれる。
食器を届けながらちゃんとご馳走様を言ってくれる良い方々である。
お金は全員分とりまとめて、毎朝ルシアンさんが払ってくれている。
ルシアンさんは毎日のようにくるけれど、他の騎士団の皆さんはルシアンさんと魔物討伐に向かう方々なので、朝食代は騎士団として払ってくれている。
「今日はどこまで行くんですか、ルシアンさん」
「……リディア。とうとう、騎士団の仕事に興味を持ってくれたのか?」
今日は十人ご飯を食べに来てくれたので、ルシアンさんは朝食代として一万ルピア、お金入れ用の銀の器の中に入れてくれた。
いつも多めに払ってくれるのは『食事の付加効果分の代金』らしい。
別にいらないのだけれど、ルシアンさんがくれるというからもらっておくことにする。
お金は、そんなにいらない。
毎日ちょっとのお米を食べるぐらいのお金さえあれば生きていける。
もちろん、食堂を続けるために食材代とか、炎魔石代とか、水魔石代とか照明代とかは必要なのだけれど。
「特に興味はありませんけれど……」
「今日は、西の森に最近増えているらしいギルフェルニア甲虫を狩りに行く。西の森を抜けてマライア神殿に巡礼に行く巡礼者が襲われたとの報告が何件かあがっているからな」
「そうですか、……お気をつけて」
「本当は、一緒に来てほしい。ここから森を抜けてマライア神殿までは歩いて二日かかる。森の監視塔で数泊することになるかもしれない。その間、リディアの料理が食べられないと思うと、とても辛い」
「そんなこと言われましても……」
「君と、離れたくないんだ、私は」
「……私の、料理と、ですよね」
「私でよければ、一生君を大切にする」
ルシアンさんはお皿をごしごし洗っている私に、甘ったるい声で言った。
入口の方でルシアンさんを待っている騎士団の方々が「また団長がリディア嬢を口説いているぞ」「団長何歳だったっけ?」「二十歳はとっくに超えているな」「犯罪では?」などとひそひそ言っている。
犯罪ではないわね。私はもう結婚適齢期だし、相手が三十歳だろうが四十歳だろうが特に問題ない。
何歳だろうと男は裏切るので、嫌だけど。
「騎士団の方々は、魔物退治に、お城の警備やら、犯罪者の取り締まりと、毎日忙しいですね」
「仕事だからな。魔物退治は一番気が楽だ。人間相手は疲れるし、せっかくのリディアの料理の力が発揮できないのが辛い。ギルフェルニア甲虫は良いぞ、大きくて強い。思う存分斬っても殴っても、誰にも恨まれない」
「うう、怖い……ルシアンさんが、私の爽やかな朝を、血生臭い話で台無しにしてくる……」
「ほら、話しておいた方が、一緒に来てもらった時の衝撃が少なくて済むかと思って」
「一緒に行きませんから……! ルシアンさん、皆さんが待っていますよ、ほら、行ってらっしゃい、お気をつけて……!」
早く帰って欲しくて、私はお別れの挨拶をした。
ルシアンさんは目を見開いて、一度ぱちりと瞬きをすると、それはもう嬉しそうに微笑んだ。
「リディア。ありがとう。気をつけて行ってくる。無事を祈っていてくれ、私の勝利の女神」
私の髪を一房手にして、ルシアンさんは軽く口付けると言った。
それからレオンズロアの騎士の方々を連れてお店から出て行った。
あれ?
今一瞬、すごく夫婦みたいじゃなかったかしら。
私は手にしていたお皿を落としそうになって、慌ててお皿をシンクの泡の中へと戻した。
「男って最低だわ……!」
怒りと憎しみを込めて、私は手早くお皿を洗った。
ルシアンさんが街の女性たちから人気があるのは知っているし、両手に女性たちをくっつけて歩いている姿を私は何度か見ている。
私は騙されないのである。ルシアンさんが私の元に来るのは、料理の力が目当て。それだけだ。
いえ、それもルシアンさんの勘違いだと思うのだけれど。私の料理は普通の、ごく普通のただの料理なので。
それにしても腹立たしいわね。この怒りは、昼食の準備にぶつけるしかない。
朝食の時間が終わると、昼ごろまでお客さんはまず来ない。それなので私はお片付けを終えると一旦お店を閉めて、足りない材料の補充に出かけた。
私のお店があるのは、聖都の南地区。
聖都は東西南北に区画が分かれていて、中央には王宮がある。
南地区は庶民の中でも下流階級の方々が暮らすちょっと治安の悪い場所である。
といっても女性が一人で出歩くとすぐに攫われてしまうとか、そういうわけでもないのだけれど。
私がこの場所にお店を開くことができたのは、私に店舗を貸してくれた優しい人のおかげだ。
「マーガレットさん、こんにちは」
「あら、リディアちゃん。いらっしゃい」
お野菜やお魚は市場で調達することがほとんどなのだけれど、お肉だけは別。
私のお店から歩いて数分の場所にあるお肉屋さんの前で足を止めた。
加工肉や、干し肉や、新鮮なお肉の数々が並んだ小さな店の前で、外に置いてある椅子に座って足を組んで、髪の短い美女が煙草をふかしている。
私の恩人のマーガレットさんである。
マーガレットさんは婚約破棄された後に、聖都に逃げてきた私に、店舗を貸してくれている優しいお兄さん、じゃなくて、お姉さんだ。
今の私のお店兼住居は、マーガレットさんに借りているものだ。
聖都に逃げてきた最初の日、無一文でお腹を空かせて、お肉を眺めていた私に、マーガレットさんは事情を尋ねて同情してくれた。それから「あんた、何かできることがあるの?」と聞いてくれた。
私にできることといえば、料理ぐらいしかない。
それならと店でも開きなさいと、空き店舗を貸してくれたというわけである。
あそこは、もともとマーガレットさんのご両親のお店だったらしい。お二人とももう亡くなって、空き家になってしまったと言っていた。
家賃は出世払いで良いと言ってくれたので、ありがたくお店を開いて、今。出世はしていないけれど、お客さんは増えたので、家賃も払うことができる。
マーガレットさんの見た目は細身の美人という感じだけれど、体つきは男性である。
胸もないし、すらりとしている。声も低い。
でも正直私にはマーガレットさんが男性か女性かわからないし、どっちでも良いかなって思ってる。
「今日は何を買いに来たの? 塊肉?」
「はい! ソーセージを新しく作ろうと思いまして」
「ふぅん。良いんじゃない?」
「今までのソーセージは、細くて小さすぎるそうなんです。恨みと憎しみを込めるのなら、ルシアンさんが、これぐらいだって教えてくれて」
私は両手を使ってソーセージの大きさを示した。
マーガレットさんはしばらくタバコをふかしながら無言でそれを見つめて「随分現実的な大きさねぇ」と、ポツリと言った。
「ほら、あんた、王子様を恨んでるんでしょ。だったらあんまり大きくするのも腹が立つじゃない? 小さくて良いのよ、そんなものは」
「でも、食べ応えもないですし」
「まぁ、あたしももう少し大きい方が好きだけど」
これは、ソーセージの話なのよ。
なんだか若干噛み合っていない気がするけれど、気のせいよね、多分。
「ともかく、もう少し大きめに作りたいのです」
「良いんじゃない? ところでリディア。ルシアンとデキてるの?」
「できてません、何もできてませんよ……!?」
私はぶんぶん首を振った。あんな見た目が良いだけの狂戦士みたいな人は嫌なのよ。
それに私は、男は嫌いだ。
マーガレットさんだけは別。男か女かわからないし。