リディアの恐れ、それから願い
療養所の調理場にお鍋と背負いカゴ、調味料などをシエル様とロクサス様に頼んで置いてもらった。
診療所の調理場を見渡して、私は気合を入れるために両手を握りしめた。
「よし……! ミハエルさんのお話では、患者様の人数は二十人。ふにゃふにゃ蛸リゾットを二十人前ですね……!」
「リディアさん、何か手伝えることはありますか?」
「リディア。俺も手伝ってやる」
シエル様とロクサス様が話しかけてくるので、私は感謝の気持ちを込めて微笑んだ。
「シエル様は、それでしたら、お皿を準備したり、ほうじ茶用のお湯を沸かしたりしてください。ロクサス様は座っていてください。できるだけ動かないでくださいね」
「わかりました、リディアさん」
「何故俺は動いてはいけないんだ」
ロクサス様は釈然としなさそうに言いながらも、調理場の作業台の椅子へと座ってくれた。
シエル様がケトルを探して、お水を入れてお湯を沸かしていく。
私はお米を研いだあと、玉ねぎをみじん切りしにて、くたくたに茹でられた柔らかい蛸も、小さく切っていく。
「リディア、昨日の蛸の唐揚げも、美味かった。兄上も喜んでいた」
蛸を切っているとロクサス様が話しかけてきた。
「レイル様のお加減はいかがですか?」
「嘘のように元気だ。食欲も戻り、よく眠れるらしい。王都邸には信用できる使用人しか置いていないのでな、兄上の様子がジラール家にいる父上たちに伝わることはないと思うが」
「……あの、……お母様も、お母様もお父様と同じで、レイル様のことを……」
「母上は……どうだろうな。ジラール家では、家長である父上の言葉が絶対だ。今は、俺を恐れて皆、従っているが。今までは、ずっとそうだった。父が黒といえば、白いものも黒になる」
「レスト神官家も、一緒です。……お父様が、全てでした」
「お前の母親は……その、血のつながった母親のことだが」
「私、あんまりよく覚えていないんです。私が物心つく前に、亡くなってしまったから。お父様はお母様のことを話すことはなくて、使用人たちも、お父様に従っていましたから……」
「そうか。……貴族の家は大抵の場合、どの家もみな同じだ。兄上はやはり、家に戻る気はないようだな。今は体力を戻すため、庭で剣の素振りなども始めている」
ロクサス様は呆れたように、けれど少し嬉しそうに言った。
私は玉ねぎをしんなりするまで深めの大きなフライパンで炒めて、そこにお米を入れる。
お米と共に玉ねぎを炒めたら、シエル様に持ってきてもらったお鍋に半分ぐらい入っている蛸の茹で汁と、細かく切ったふにゃふにゃの蛸を入れた。
「そうですか、良かった……。レイル様みたいに、ここにいる皆さんも、元気になってくれたら……そう、思います」
「リディア。……お前は、自分の持つ力に怯えているように見えた。その気持ちは、俺にもわかる」
「だ、……ええと、だん、こん、魔法……」
「奪魂だ……!」
「だっこん魔法……煮込み料理に最適な……」
「死を与えるだけの力だ。……そう思っていたが、違う考え方もあるのだな」
「煮込み料理に最適なのです。……私も、シエル様が、一歩前に踏み出す勇気をくださったから、ここで料理をしてみようって、思えたのです」
「シエル、が」
「は、はい……本当は、怖くて。いつも、怖いです。私には何の力もないのに、期待をしていただくのが……期待を裏切ってしまうのが。私は静かに暮らしていたいのに、何もできないのに、って」
弱火でふつふつとリゾットを煮込んでいる間に、残りの蛸を一口大に切って、お鍋に入れてお醤油とお酒と砂糖で薄く味付けをして煮ていく。
「でも……シエル様が、私を抱きしめてくださって……すごく、心強くて。泣いている時に抱いていただくと、凄く、安心します。大丈夫だって、思えたから。頑張ってみよう、って」
「……そうか。……待て、リディア。シエルはお前の」
「友人ですよ。僕でよければ、いつでも。お友達、ですからね」
「はい!」
ケトルでお湯を沸かした後に、シエル様はお皿やカップなどを戸棚から出して、作業台に並べていく。
包丁やまな板を洗っていた私は、なんだか照れてしまって、頬を染めた。
シエル様、優しい。
ずっとお友達でいてくださると、嬉しい。
「人の温もりは、安心します。……私、誰かに抱きしめられたことって、なかったので」
「友人としてな」
「ええ、お友達です」
ロクサス様が眉間に皺を寄せながら、「俺は友人ではないのにな」と、苦々しげに言った。
「ロクサス様はお友達じゃないです……」
「何故シエルは良くて俺は駄目なんだ」
「そ、それは、公爵様ですし……」
「やはり、メイド服を着せて連れ回したのが悪かったのではないでしょうか」
シエル様が落ち着いた声で言う。連れ回されてはいないけれど、メイド服は着せられたので、私は否定しなかった。
だって着せられたもの、メイド服。
あの時の服、まだ返していない。
返そうとしたら、ロクサス様がくれるというから、私のクローゼットに入っている。
「仕方ないだろう。リディアはあの時、蛸に絡みつかれていて、だな」
「びしょびしょで、ぬるぬるだったのに、ロクサス様が攫うから……」
「それは大変でしたね、リディアさん」
「は、はい。大変でした。……ロクサス様も一緒にぬるぬるになったので、公爵家でお風呂に入れていただいて、だから、大丈夫だったんですけれど……」
「そうですか……」
シエル様が何かいいたげな視線をロクサス様に向ける。
ロクサス様は「あれは仕方なかったんだ」と言って、狼狽えている。
「……かなりの、狼藉ですね」
「今思えば、そうだな」
「僕も人のことは言えませんけれどね」
シエル様は曖昧に笑って、ロクサス様は深いため息をついた。
私はリゾットと蛸の柔らか煮の煮え具合を確認する。
お鍋の蓋をとると、美味しそうに煮えたお米と、噛まなくても食べられそうな蛸の柔らか煮が顔を出した。
うん。美味しそう。
「……患者様たちが、食べてくださると良いですけれど……食べたいって、思ってくれると、良いですけれど」
私は祈るように言った。
お鍋の中の料理が、まるで私の願いを聞き入れたように、きらきらと輝いているように見えた。
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