ミハエル白月病療養所
南地区にある療養所に、シエル様と私、それから「俺も療養所には兄上のことで世話になった」と、同行したいと言ってくれたロクサス様は三人で向かった。
療養所は南地区の外れにある。王都の中でも下層の人々が暮らす南地区は、馬車用の道があまり整備されていない上に、療養所があるのは石段を登った丘の上にあるのだという。
くたくたに煮込んだ蛸の入っている大きなお鍋をシエル様に持ってもらって、玉ねぎやお米や重たいものをロクサス様に背負いカゴに入れて背負ってもらって、私は調味料を持った鞄を肩から下げている。
ちなみに市場のおばさまから借りた背負いカゴはおばさまに返したので、ロクサス様が背負っている背負いカゴは、私が購入したものだ。
食材を運ぶのに、やっぱり背負いカゴはあった方が良い。
背負いカゴならロクサス様も食材をぶちまけたりはしないだろうし。
転んだ場合は別だけれど。
背負いカゴと言っても、売っている中で一番可愛いものを選んだ。
肩紐は虹色だし、カゴも染料で染色されていて、綺麗なエメラルドグリーンなのよね。可愛い。
「ロクサス様、石段がありますよ。転ばないでくださいね」
「あぁ」
「ロクサス様、階段、大変だから、私がカゴを背負いましょうか」
「問題ない。力はある方だ。俺が運ぶ」
「つまずかないように気をつけてくださいね」
「お前は俺を、爺だと思っているのか?」
大衆食堂ロベリアから、活気のある街を抜けて、治安のあまりよくない寂れた街外れに向かう。
普段なら絶対に近づかない悪所だけれど、シエル様やロクサス様がいるので、心強い。
街外れからさらに石段を登った何もない広い、海を見下ろす丘の上に、療養所はある。
ロクサス様が石段につまづいて転んで、食材をぶちまけるんじゃないかなと思った私は、背負いカゴを受け取ろうとしたけれど、ロクサス様を怒らせてしまったみたいだ。
「おじいちゃんだとは思っていませんけれど……石段、危ないので」
「階段ぐらいは登れる。それよりも、リディア。手を貸せ」
「手を? 何故でしょう、ロクサス様が転びそうだからですか?」
「い、いや、お前が転ばないように……」
「私は大丈夫ですよ。私よりも、ロクサス様、転んだ時に両手が空いていないと、顔をぶつけてしまいます。眼鏡が割れたら大変ですから……」
「何故、お前は俺が転ぶ前提で物を話すんだ」
だって、転びそうだもの。
私に手を差し伸べてくれるロクサス様の心遣いをやんわりと拒否して、私は大きな蛸入りお鍋を持ってくれているシエル様を見上げた。
「病気の方々が療養されている場所なのに、療養所は不便な場所にあるのですね」
「それは……白月病は今でこそ、他者にうつらない病気という認識が広がりつつありますが、昔はそうではなかったのです。いえ、今も、さほど昔と変わりはありませんけれど。治療のできない死に至る病は忌避されて、できるだけ目に触れない場所へと、患者を隠したのですよ」
「……病の方々は、病になりたくてなったわけではないのに、苦しんでいるのに?」
「ええ。……家族から患者が出ることは、恥だと考えられています。白月病の家族を抱えてしまったというだけで、隣人の方々から差別を受けてしまうのですね。感染すると考えられていた時は、怖れられてもいました。それなので、多くの療養所は街の外れの悪所にあります」
「俺の父も、古い考え方の持ち主だ。レイルが病に侵された時、レイルはもういないものとして扱った。……だが、父だけが特別というわけではない。多くの王国民は、父のような考え方をしているのだろう」
シエル様の説明の後に、ロクサス様が言った。
「……なんて、言ったら良いのか、私……」
「もちろん、白月病になってしまったとしても、大切な家族だと思っている人々もたくさんいます。ロクサス様のように。リディアさん。人は複雑です。多くの人がそう──だとしても、そうではない人もいるのです。僕の母が、父を愛したように」
「シエル様……」
「泣かないでください。今の僕は鍋を持っているので、両手が塞がっていますから、あなたの涙を拭うことができません」
「は、はい……」
シエル様が気遣うように言ってくれるので、私は頷いた。
泣いている場合ではないのよ。
辛いのは病気の方々で、私ではないのだから。
「…………俺の両手なら空いているが」
「ロクサス様、何か言いましたか」
「い、いや、なんでもない……!」
ロクサス様は相変わらず落ち着きがない。
その話し方とか雰囲気とか、以前からロクサス様を見知っていた私は、もっと落ち着きのある、どちらかというと横柄な方なのかと思っていたけれど。
玉ねぎやお米の入ったカラフルな背負いカゴを率先して持って下さるのだから、結構気さくなのかもしれない。
「──シエル様、よくおいでくださいました。シエル様と……ロクサス様ではないですか。これはまた、不思議な組み合わせですね」
石段を登りきった先にある、まばらに木々の生えた小高い丘の奥に、白い二階建ての箱のような建物がある。
入口の門の前で、白衣を身にまとった三十代半ば程度に見える男性が、私たちを出迎えてくれた。
短い白髪に、頬に傷がある男性だ。
白衣の下の体つきは騎士団の方々のように立派で、お医者様というのはどちらかというと細身のイメージがあったけれど、それとは真逆の精悍な見目をしている。
「お出迎えありがとうございます、ミハエル殿。ロクサス様とは顔見知りなのですね」
「ええ。……色々と事情がありまして」
ロクサス様はレイル様の件で、療養所を訪れたことがあるのだろう。
シエル様がロクサス様に目配せすると、ロクサス様は一度頷いた。
「大丈夫です。僕たちはロクサス様の事情を知っています。……ミハエル殿、こちらはリディアさんです。街で評判の、大衆食堂ロベリアの料理人の女性です」
私はミハエルさんという方に向かって、お辞儀をした。
「これは、丁寧に。はじめまして、リディアさん。ミハエル・ジュナイルといいます。見た通りの、医者です」
「はじめまして、大衆食堂ロベリアのリディアです」
「ロベリア……ですか。良い名前ですね。可憐な花の名前だ」
「あ、ありがとうございます……」
ミハエルさんに優しく言われて、私は照れた。
少し怖いような気がしたけれど、落ち着いた大人の男性という感じだ。
「それで、今日は料理を作っていただけるとか。リディアさんもご存知かもしれませんが、白月病の患者は、食事を摂ることを拒否するのです。作っていただいたとしても食べることができる者が、いるかどうか……」
「は、はい……知っています」
「時折、神官の方々が慰問に訪れたりもしますけれど、……顔を見て、それだけです。貴族の方々の施しは、患者にはとても食べられないような食事ばかりです。だから……白月病について理解のあるシエル様やロクサス様が、リディアさんを連れてきてくれたことを、私たちはとても嬉しく思っています」
「わ、私……頑張ります。美味しいって言ってもらえるように……」
「ありがとうございます。ですが、……食べられない者たちがいることを、理解して欲しいのです。リディアさんの料理を拒否しているのではなく、病気のせいで食べられないということを。もしかしたら、患者の態度がリディアさんを傷つけてしまうのではないかと、心配しています」
「はい……その、大丈夫、です。大丈夫だと、思います」
ミハエルさんの説明に、私は頷いた。
大丈夫、わかっている。
辛いのは私じゃなくて、白月病にかかっている方々だ。作ったお料理を食べてもらえなかったとしても、悲しんだりしない。
でも──食べてもらえたら、嬉しい。
食べたくなるような美味しい料理を作らないと。
私たちはミハエルさんの案内で、療養所にある調理場へと向かった。
途中通り過ぎた病室のベッドには、生気を失ったような真っ白い顔と髪をした患者様が何人も横になっていた。
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