ふにゃふにゃ蛸とロクサス様とジラール家の森の幻想夢見るソーセージ
シエル様やセイントワイスの皆さんは、白月病の患者様たちが療養されている療養所に、時折訪れては病状を調べているらしい。
白月病も、月が起こす呪いだと考えられているから、月の呪いや月の涙の研究のうちに入るのだという。
ただ、赤い月の呪いについてはセイントワイスの方々と、国王陛下などごく一部の人たちしか知らないのだそうだけれど。
「ロクサス様、よろしくお願いします。蛸を煮込みたいのです、八時間ほど」
「それは構わないが……」
明日はシエル様と約束した、療養所の慰問の日。
セイントワイスの魔導師の方々は療養所の方と面識があるため、慰問についても二つ返事で了解を得られたのだという。
料理を作ることについては、レスト神官家や、貴族の方々の施しで炊き出しが行われることがあるため、疑問を持たれたりはしなかったという。
そんなわけで、私はツクヨミさんから新鮮な蛸を仕入れて、昼過ぎから煮込んでいた。
そこにたまたまロクサス様がいらっしゃったので、お手伝いしてもらうことにした。
「ロクサス様の魔法で、蛸が柔らかく煮えるのですか」
「蛸を柔らかく煮る魔法とか、最高じゃねぇか」
「ね、リディアちゃん。ツクヨミは蛸を沢山持ってきたんでしょ。あたしたちの分もある? 食べたいわ、蛸。一本足グリル」
カウンター席に、シエル様とツクヨミさんとマーガレットさんが並んでいる。
シエル様は昼過ぎにお手伝いに来てくれて、一緒に市場に蛸を買いに行った。
事情を説明すると、ツクヨミさんは人助けだからと、とれたての冷凍蛸をいっぱいくれた。
シエル様は今回はセイントワイスの名前を出しての慰問なので、食材代などは全て支払ってくださるつもりだったみたいだけれど、そんなわけで、材料費はただになった。
「まぁでも、ただより高ぇものはねぇっていうだろ、嬢ちゃん。嬢ちゃんが気にしないように、夕飯を奢ってくれるか」
そう、ツクヨミさんが言うので、もちろん構わないと私は頷いた。
お店に戻ってツクヨミさんがくれた五匹の蛸の下処理を終えて、お湯で煮込んでいると、そこにマーガレットさんを連れたツクヨミさんと、たまたま近くまで用事があったらしいロクサス様がやってきたというわけである。
「良いですよ。ツクヨミさんの分もつくりますし。シエル様も召し上がりますか、今夜も寝かさない一本足グリル」
「食べると、眠れなくなるのですね」
「精力がついて、ぎんぎらぎんになる味付けだって、マーガレットさんが……」
首を傾げながらシエル様に尋ねられて、私は頷いた。
「心も体もぎんぎんに元気になるほど美味しいっていう意味ね」
「はい!」
マーガレットさんが言うので、私はこくこくと頷いた。
「それは――困りましたね。僕はどちらかというと、あまり眠るのが得意ではないのですが、更に眠れなくなるとなると……リディアさん、長い夜を一人で過ごすのは寂しいので、今夜は話し相手になってくれますか?」
シエル様に言われて、私は念話について思い出した。
セイントワイスの皆様は離れたところにいる人と会話をするために、念話という魔法を使える。
私は『寂しい』から『話したい』と言われたのが嬉しくて、にこにこしながら頷いた。
「はい、良いですよ、シエル様はお友達ですから」
「リディア。ただの友人と、夜の話し相手になるというのは、問題があるのでは……!」
「お友達とお話するのは、駄目なんですか……?」
何故かロクサス様が頬を染めて慌てたように言ってくるので、私は狼狽しているロクサス様の顔を見上げた。
良く分からないわね。
お友達と語り合うのは、普通のことなのではないかしら。
「わ、私、学園ではお友達、いなかったですけれど……お友達同士で、寮のお部屋に遊びに行ったり、一晩語り明かすなどをするのは、憧れで……」
「安心しろ、リディア。俺も友達がくじら一号とヒョウモン君と、ホタルイカ君しかいねぇよ。あとマーガレットだな」
「リディアちゃん、友達なんて多ければよいってもんじゃないのよ。シエルが友達になってくれて良かったわねぇ」
ツクヨミさんが煙管をふかしながら言って、マーガレットさんがアロマ煙草を吸いながら言う。
何かを吸う姿というのは、すごく大人に見えるわね。
説得力も二割増しよね。
「俺は、友人ではないのか、リディア……」
「ロクサス様は、公爵様なので……」
「肩書を気にするのなら、蛸を煮込めとは言わんだろう」
「公爵様なので申し訳ないなって思うのですけど、蛸は煮込んで欲しいです……! ロクサス様、私を誘拐しましたし……」
ロクサス様が絡んでくるのよ。
蛸を煮込むのが嫌なのかしら。人前であの力を使うのが嫌とか。それなら先に言って欲しかったのだけれど、でも、「構わない」って言ったし。よく分からないわね。
「おお、お前がリディアを誘拐して、メイド服を着せて連れまわしたっていう眼鏡の人か」
「語弊がある……!」
「いやぁ、若ぇのになかなか良い趣味を持ってるなぁ。ん? そういやお前、ジラール公爵家とか言ったな。確か、俺が出品した春画を競り落とした……」
「それは父だ。俺の父だ。俺じゃない。芸術品だと言って、屋敷に飾ってあるが、俺が買ったわけじゃない」
「しゅんが」
「リディア。忘れろ」
しゅんがとは、何かしら。
そういえば、ツクヨミさん以前にも、蛸釣りの時に蛸に絡みつかれていた私を見て、そんなことを言っていた気がするわね。
ロクサス様が必死にその話題には触れるなみたいな顔をしてくるので、私は目をぱちくりさせた。
「あら、ロクサス。若いのになかなか特殊な趣味ねぇ」
「俺じゃない!」
マーガレットさんが全てを包み込むような笑顔を浮かべている。
ロクサス様、怒っているわね。怒りすぎて眼鏡が弾け飛ばないかしら。心配だわ。
「……ところで、リディアさん。ロクサス様の魔法で、蛸が煮えるのですか?」
シエル様が穏やかな声音で言った。
そっと話題を元に戻してくれるシエル様、さすがは部下をまとめる筆頭魔導士様という感じ。
「そうなんです。ロクサス様の……なんでしたっけ。だいこん……大根? じゃなくて、だんこん……だんこん魔法、で」
「奪魂だ! だっこん!」
「だっこんでした。だんこんじゃなくて」
「わざとなのか、リディア。それはわざとなのか……!」
わざととかじゃないのよ。
大根に似ているし。だいたいあってる気がするのだけれど。
「だんこん……蛸をふにゃふにゃにする、だんこん……」
「確かに隠したくなる名前の魔法ねぇ……ふにゃふにゃ、だんこん魔法……」
ツクヨミさんとマーガレットさんが顔を見合わせて、何やらぶつぶつ言っている。
「違うと言っているだろう……リディア、ろくでもない大人たちと付き合うのはやめろ」
「ど、どうしてそんなこと言うんですか……ツクヨミさんもマーガレットさんも、良くしてくれます……ロクサス様、滅びろ……」
「今さらっと、呪詛を吐かなかったか」
「間違えました。酷いことを言うから、眼鏡、弾け飛ばないかなって」
「弾け飛ばない。弾け飛んだとしても、別に目が悪いわけではないから問題ないがな」
ロクサス様が得意気に言う。
眼鏡が弾け飛んでも、ロクサス様にはダメージが入らない。残念だわ。
「仲良しですね。少々、妬いてしまいます。友人として」
シエル様がちょっとだけ寂しそうに言った。
「シエル様……っ、お友達、なのに、寂しい思いをさせて、ごめんなさい……一本足グリル、特別にシエル様には、一番太いのにしますから……」
「ありがとうございます」
「は、はい……! シエル様のソーセージは一番大きいですし、一本足グリルも、太いのです。特別、です」
「ちょっと待て、リディア。俺の蛸はふにゃふにゃで、シエルの名前の付いた料理は赤い魔王なのか。納得がいかない」
ロクサス様がいつぞやのルシアンさんみたいなことを言ってくる。
ロクサス様、壁に貼り付けてあるボードのメニュー表を見たのね。
ちなみに、ルシアンさんの現実的なソーセージはお姉様方に人気なので、最近のロベリアは少し女性客が増えた。
シエル様の赤い魔王的なソーセージは、その強さにあやかりたいという冒険者の方々に結構人気だ。大きいし、辛いので、ご飯がすすむそうなのよね。
「リディア。シエルの二倍の大きさで、俺の分も作れ」
「ソーセージをですか……?」
「あぁ。兄上と合わせて、二本だな。二倍の大きさで、二本。ジラール家の名前を使うことを認めよう」
シエル様のソーセージでさえかなり大きいのに、その二倍となると、作るのも大変そうだし、火を通すのも大変そう。
それに、二本ともなると量がかなり大きいのよ。お皿に乗り切るかしら。繋がった、二本。
特殊なお皿が必要になるのではないかしら。皆でシェアして食べる用かしら。
「……幻想ね、幻想」
「そこまでいくと、幻想だな。幻想というか、理想というか、自尊心の塊というか、森の神様に頼んで巨大化してくれって頼んだ結果というか」
マーガレットさんとツクヨミさんが、呆れたように言った。
「じゃあ、ロクサス様とジラール家の森の幻想夢見るソーセージという名前で」
「……悪くないが、何か違う」
何が違うのかしら。
ロクサス様はお鍋に手を翳して、五匹の蛸の時間を奪って、くたくたに煮込んでくれた。
五匹は多すぎるので、一匹を料理に使って、皆で一本足グリルとタコの唐揚げを美味しく食べた。
ロクサス様はレイル様のために蛸の唐揚げを持って、公爵邸へと戻ったので、一緒には食べなかったけれど。
夜が更けてもお酒を持参していたツクヨミさんとマーガレットさんが居座ろうとするのを、シエル様が引きずるようにして連れて帰ってくれた。
明日は――療養所に慰安に行く日だけれど。
不安も吹き飛ぶぐらいに、皆でご飯をたべるのは、楽しかった。
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