ひじきご飯と大根のお味噌汁
私は背負いカゴをお店の中に入ってすぐの場所にひとまずおくと、ぱたぱたとシエル様に駆け寄った。
シエル様も立ち上がって、私の方へと歩いてくる。
お店の真ん中でシエル様と向かい合った私は、にこにこしながらその顔を見上げた。
「シエル様、こんにちは! お引越し、もう終わったんですか?」
今日は色々あったけれど、シエル様の顔を見るとなんだかほっとする。
きっと、お友達だからだ。
「リディアさん。……良かった。鍵も開けたまま、不在だったので、心配していました」
赤い瞳が物憂げに私を見つめる。
涼しげな声音で気遣うように名前を呼ばれると、体から力が抜けるみたいな、穏やかな気持ちになる。
「あ。そうですよね……いつ来てくださったんですか?」
「昼過ぎに。リーヴィスやセイントワイスの者たちが様子を見に来て、毎日リディアさんに作ってもらったソーセージを食べたり、固形食料を食べたり、水を飲んでいると言ったら、昼食ぐらいはロベリアに食べに行くようにと言われて……」
「ロベリア……シエル様、今、ロベリアって……」
「ええ。違いましたか? 大衆食堂ロベリアですよね、リディアさんの店は」
「は、はい! そうなんです、そうなんです……!」
私は嬉しくて、両手を握りしめてこくこくと頷いた。
ちゃんとお店の名前を呼ばれたのって、いつぶりかしら。
シエル様は不思議そうに首を傾げた。頭の宝石が揺れる。
そういえばシエル様、今日はセイントワイスの制服ではないのよね。
ゆったりとした黒い服からは、白い首筋や大きく開かれた胸元が見える。
鎖骨の中央にも大きめな赤い宝石がある。髪に揺れる宝石は青いけれど、胸元の宝石は赤い。
「せっかく来てくれたのに、お店にいなくてごめんなさい」
「いえ、それは構わないんです。買い出しにでも出かけているのかと思って、少し待たせてもらっていました。ですが、あまりにも遅いので、心配していて。……隣人のマーガレットさんに尋ねたら、ジラール公爵のロクサスが攫っていった、と」
「まぁ、ええと、そうなんです……」
否定はできないのよ。その通りだもの。
私が頷くと、シエル様は小さく息を吐いた。
「僕も、リディアさんを拐いましたので、ロクサス様については何も言えないのですけれどね。マーガレットさんに、そのうち帰ってくるから店の留守番でもしていろと言われたので待っていたのですが、あまり遅いようなら、迎えに行くつもりでした」
「お迎えに?」
「ええ。貴族街の公爵邸に居たのでしょう。ロクサス様の目的は知っています。僕も相談されたことが、一度ありますから」
「シエル様、レイル様のこと知っていたのですか……?」
「はい。他言無用と言われたので、誰にも言ったことはありませんが。白月病に侵されていると。僕の治癒の魔法でどうにか治せないかと相談されましたが、治癒魔法では病を癒すことはできません。残念ながら」
シエル様はそこで一度言葉を区切った。
それから、真剣な眼差しで、私を見据えた。
「……白月病も、発症の機序は謎に包まれています。例えば、風邪などは病原菌が原因ですね。他の病気に関しても、細菌が体内に入り込むことで起こる場合が殆どです。白月病は、患者を調べても原因が分からない。生活歴も、発症直前までの行動も、全て違う。共通しているのは、食欲がなくなること、眠れなくなること、頭の中で、虫の羽音が響くこと」
「レイル様も、虫の羽音が響いていたって……」
「リディアさん。……リディアさんの料理を、レイル様は召し上がったのですか?」
「は、はい……」
「それで」
「シエル様……私、どうしたら良いでしょう……」
私はうつむいた。
レイル様は治ったのだという。けれど、それは偶然かも知れなくて。
どうしたら良いのか分からない。
「リディアさん、すみません。泣かせたいわけではなくて、責めているつもりもありませんでした。僕の言い方が、よくなかったですね」
堰を切ったようにこぼれ落ちる涙を、シエル様がハンカチで拭ってくれる。
シエル様が悪い訳じゃない。
私には自信がなくて。
同じぐらいに、覚悟もない。
誰かの役に立ちたいって思う。頼られるのは、嬉しい。必要とされるのも。
でも、怖い。
結局何もできなかったら。失望されてしまう。迷惑を、かけてしまう。
役立たずで落ちこぼれで、レスト神官家の片隅にいた私は、ステファン様からも要らないって言われてしまった私は、できれば──静かに、暮らしていたいのに。
「白月病にかかり絶望をしている人々は多い。そういった人々は希望を胸に、大神殿に並びます。病身に鞭打ち何時間もかけて並んで大神殿に礼拝に行って、聖女の力で病を治してほしいと頼むのです。聖女、つまり、フランソワに」
「……フランソワなら、病を癒すことが」
「ロクサス様が契約の下、婚約を結んでも、レイル様の病をフランソワは癒さなかった。フランソワの奇跡で病が癒えたと吹聴するものも確かにいますが、僕はそう言った方々は、サクラだと考えています」
「桜って、お花の?」
「桜は花ですが、サクラとは、客寄せに使う傀儡のことです」
私は目尻をごしごしと擦った。
シエル様の顔を見て安心してしまったせいか、堪えていた不安が体中に広がっていくみたいだった。
「ロクサス様も、……フランソワには、癒しの力は無いって言っていて」
「僕も同意見です。ですが、リディアさんの料理の持つ解呪の力や癒しの力が、白月病を治癒するほどに強いとは。可能性としてはあるだろうと考えていましたが、それは、リディアさんの力をゆっくり解明してからで良いと思っていて」
「ふにゃふにゃ蛸のリゾット、作ったんです。蛸があったので」
「ふにゃふにゃたこ……ですか」
「はい、柔らかい方が良いと思って……それだけなのに、それだけしか、私にはできないのに」
「リディアさん。……呪いを解いたり、病を癒す力がリディアさんにあるとしたら、……リディアさんは」
「私、……本当は」
怖いけれど。
そんな力私にはないって、どうしても思ってしまうけれど。
希望を与えられてから絶望に叩き落とされる苦しさは、私はよく知っているから。
でも、本当は。
「……役に立ちたいです。悲しい思いをする人、少ない方が良いです。でも、……もし、駄目だったら。そう思うと、怖くて」
「……リディアさん」
ゆっくりとシエル様の手が伸ばされて、私の頬を撫でた。
目尻の涙を親指が拭って、そのまま髪に触れられる。
「あなたがもし嫌でなければ、週末、療養所に慰安に行きましょう。そこで料理を振る舞ってみましょうか。……ただ、料理を食べてもらうだけです。病を癒すためではなくて、病身の方々を、元気づけるために」
「でも、私」
「白い月の起こす病だと言われている白月病も、赤い月が起こす月の病も、症状は違いますが同じ病に感じます。それを癒すことができれば、苦しむ人々は減るでしょう。これは僕の勝手な希望です。リディアさんに押し付けるものではない」
シエル様は、諭すように優しく言葉を続ける。
「ですが、リディアさんも、……人々を救いたいと思っている」
「そんな大それたこと、思いません、けれど……でも、私、役立たずですから、少しでも、誰かの役に立てると、嬉しい、です」
「リディアさん。……役立たずなどではありませんよ。僕は、リディアさんに救われました」
止まっていたはずの涙がまた溢れて、シエル様は私を優しく抱き寄せた。
私の涙が止まるまで、辛抱強く背中を撫でてくれる。
まるで、家族、みたいに。
「……私、料理、作ってみます。……病気を治すためじゃなくて、美味しいって思ってもらうために」
シエル様のおかげで落ち着いた私は、顔を上げるとシエル様に言った。
「僕も協力しますね。療養所には、患者の人数が多いのです。全員分の料理を作るのは、大変かと思いますので」
「シエル様は、……優しいです。……ありがとうございます」
「お友達ですからね」
「はい……!」
優しくシエル様が微笑んでくれるので、私もつられて笑顔を浮かべた。
お友達というのは、心強い。
一緒にいてくれるだけで、すごく、強くなれる気がする。
私はシエル様のために、残ったひじきと油揚げ、人参とお野菜、鰹節のお出汁とお味噌を使って、ひじきご飯と大根のお味噌汁を作った。
その頃にはすっかり日が暮れていたので、一緒に夕飯を食べると、やっと一日が終わった感じがした。
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