勇者と姫君
私はロクサス様をじいっとひたすらに見つめてみたけれど、視線がまるであわなかった。
「ロクサス様、心配してくださっていたのですね、ありがとうございます」
「い、いや……」
「……私、身に覚えはないのですけれど、フランソワのことを出自について貶めて、虐げたって、思われていたみたいで、だからロクサス様にも嫌われているとばかり思っていました」
「あれはあの女が、自分で言いふらしていただけだろう。レスト神官家では、お前は十分な食事も与えられず、使用人と同じような服を着て、食事の席に同席することも許されていなかった。……神官長はお前をいない者として扱い、あの女のお前を哀れむ言葉は、すべて貶めるものと同義だった」
「……私、少し、ほっとしました。皆が私を、悪女って思っているのかなって」
「どうして、君のような愛らしい姫君を、悪女だと思うのだろうね」
レイル様が本当に不思議そうに、私を見つめて言う。
長く白い睫毛に縁取られた金色の瞳は、レイル様が先程口にした言葉なんてまるで聞き間違いだったみたいに、輝きに満ちている。
「レイル様……そ、その、姫君っていうのは、やめてほしいです……」
すごく、恥ずかしい。
今の私、普段は食堂の料理人だし、今は服装も相まって、ジラール家の使用人にしか見えないのに。
「姫君は、姫君だよ。私は、いつか勇者になって、悪い魔女から姫君を助けるのが夢だったんだ」
「兄上、それはできない。兄上の病気が治れば、ジラール家を継ぐのは兄上だ」
「じゃあ、病気、治っていないことにしておこうか。ロクサスだって、公爵家に帰るより、ここにいたいだろう。もうしばらく。聖都に。姫君の顔も見たいだろうし」
「そ、そんなことは、ないが……」
「私は、見たいよ。この通り私は、元気にはなったけれど、やせ細ってしまったし、体力もそこまで回復したわけじゃない。私には姫君の料理が必要だと思うんだ」
レイル様は空に手を翳した。
その手首は細く、指も骨ばかりが目立つ。
「私はずっと、死にたいと思っていたけれど――今は、ロクサスと姫君のおかげで、そんな風には思わない。できれば生きたいと思うよ。強くなって、誰よりも、強くなって、今度は私が姫君を守れるように」
「あの、私、ただの食堂の料理人なので、守ってもらうことはそんなにないと思うのですけれど……」
「大衆食堂悪役令嬢だよね、知っているよ」
「大衆食堂ロベリアです!」
レイル様にまで、私の悪評が届いていたのね。
思わず大きな声を出してしまったわ。
病み上がりの方に大声をだすとか、駄目よね。でも、私のお店、大衆食堂ロベリアなのに。可愛いのに。
「……お前の居場所を探すために、街の者たちに食堂について聞いて回った。誰もかれもが、大衆食堂悪役令嬢と言っていた。自分でそんな名前を付けるとは、自虐も良いところだと思っていたのだがな」
ロクサス様が少し困ったように言った。
「うう、可愛くない方の名前が広まっている……」
「姫君は可愛いから、大衆食堂悪役令嬢も可愛いと思うのだけれど」
「大衆食堂ロベリアです、可愛いんです……」
「可愛いよ。だから、姫君。また、私のために食事を作ってくれるだろうか。姫君の食堂に通えば、いつかのように、私は強くたくましく、なれると思うんだ。そうしたら、冒険者になろうと思うよ」
にこやかにレイル様が言った。
ロクサス様が静かに首を振る。
「兄上、それはできない。もう一度言うが、兄上には公爵家を継ぐという役割が……」
「元気になったとしても、白月病に一度かかった私の子を、産みたいと思う者はいないだろうし、そもそも子を成せるかすらわからない。私が公爵家を継ぐことを歓迎する者は誰もいない。私の血に、病の因子があるかもしれないのだからね」
「だが……!」
「もうしばらくは病と伝え、そのうち私は死んだということにすれば良い。公爵家にとってはその方が都合が良いだろう。ロクサス、お前は優秀だよ。私よりもずっと。……良い家だとは思わないけれど、領民たちもいる。跡継ぎは必要だ」
レイル様はそこまで言うと、どこか遠くの世界を見るように、眼下の街並みに視線を向けた。
「ここで、お前の話を聞くだけの生活をずっと続けていて、……どうにも、違和感がするんだ。フランソワというプードルのような名前の女を、殿下は見初めたのだよね。私の愛らしい姫君を捨ててまで」
レイル様もロクサス様と同じようなことを言った。
フランソワの顔を思い出そうとすると、プードルが思い浮びそうになる。
「あぁ。そうだ。……殿下は、あの女に騙されているのではないだろうか」
「ゼーレ国王陛下は、皆に平等で正しい判断を行うことのできる、聖人だよ。殿下はその血を引き継いでいる、優秀な方だった。それなのに、騙されるかな。ロクサスが醜悪だと感じた女に、誑かされたりするだろうか」
「それは、わからない。あの女のレスト神官家での姿を、殿下は見ていないという可能性もある」
「まぁ、だとしても、もう手遅れだけれど。婚約は為されて、婚姻の誓いを立てれば、晴れてフランソワは王妃だ。……そうなったとき、この国はまともなままでいられるだろうか」
レイル様の言葉に、冷たい物が背中を滑り落ちるのを感じた。
シエル様の話を思い出す。
かつてこの国の人々は宝石人を差別していて、宝石を乱獲するために、宝石人を捕まえて、その体を穿ったのだという。
今はそんなことはないのだけれど。
でも――レスト神官家でのお父様の言葉が絶対だったように。
この国では、国王陛下の言葉は絶対だ。
もしフランソワがステファン様に何かを諭して、差別の時代がもう一度訪れてしまったら。
「……怖がらせて、すまないね、姫君。悪いことが起こらないと良いのだけれど、ジラール公爵家は、国王陛下に意見できる立場の家だ。権力というのは時として、大きな力になる」
「だから、俺に公爵家を継げ、と」
「現状では、それが最善だよ。私は、五年も寝込んでいて、学園に通うことすらできなかった。公爵家では私は死んだものとされているし、私もそれで良いと思っている。私はこの国を巡って、色々なものを見て、お前の助けになりたい」
「兄上……」
「まぁ、もう少し先の話だよ。まだ、私には時間が必要だ。ロクサスも、姫君とこれでお別れというのは、嫌だろうし」
「……あ、あの」
大人しく二人の話を聞いていた私は、心配になって、レイル様を見上げる。
「レイル様は素敵な方だと思います……だから、ご病気のせいで、結婚できないなんて、そんなことは……」
「ありがとう、姫君。それでは、姫君が私の子を産んでくれる?」
「え、あ、その、あの……」
「冗談だよ。姫君を守る私が、姫君を傷つけるわけにはいかないからね。でも、勇者というのは姫君と結婚して幸せに暮らすものだから……いつか、ね」
「私、食堂の料理人なので……レイル様のお姫様は、どこか他の場所にいますよ、きっと」
「私は、リディアが良い」
「……うぅ」
私はなんだかいたたまれない気持ちになって、俯いた。
恥ずかしいのよ。
すごく、恥ずかしい。
レイル様、十五歳からずっとお部屋で療養を続けていたから、気持ちがとっても純粋なのだわ。
真っ直ぐな好意を向けてくださるのが、心苦しい。
たまたま、私のご飯を食べたら元気になっただけなのに。
「兄上。……そろそろ部屋に戻ろう。もうすぐ、日が落ちる。暗くなる前に、リディアを家に送りたい」
「泊っていけば良いのに」
「シエル・ヴァーミリオンはリディアの友人だという。不在に気づき、俺が攫ったとわかれば、厄介なことになりかねない」
「そう。それは、大変だ。姫君、今日はありがとう。本当に、感謝している。必ず食事を食べにいくから」
「は、はい……!」
そうして私は、レイル様に別れを告げて、連れてきたときと同じように、ジラール家の馬車で南地区に戻った。
食材がまだ残っている背負いカゴを持って、侍女服のままで。
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