レイル様の本心
レイル様は、蛸のリゾットを全てと、柔らか煮を半分、一本足グリルを半分と、蛸スープを全部。
蛸の唐揚げを一つ食べた。
そんなにたくさん食べたら、空腹の胃に良くないのではないかしらと思うぐらいに、よく食べた。
「レイル様、あんまり食べたら、お腹が痛くなるんじゃ……」
「大丈夫。元気な時は、私は冒険者を目指していて……そのためには野宿も必要だと思って、なんでもよく食べたんだよ。内臓は丈夫な方だとずっと思っていたのだけれど、何かに呪われるようにして、白月病にかかってしまって」
心配になって私が尋ねると、レイル様ははりのある声で教えてくれる。
支えなくても、レイル様はもう座ることができる。
ロクサス様はレイル様の傍から離れて、嬉しそうにその姿を見つめていた。
「兄上、もう体はつらくないのか?」
「あぁ。嘘みたいに、……すっきりしている。今すぐ走り回りたいぐらいに」
「病は癒えたかもしれないが、失った体力がすぐにもどるわけじゃない。走り回るのはまた今度にしてくれ」
「そうだね。でも……立つことはできそうだ」
レイル様は両手をくんで「ごちそうさま、リディア。ありがとう」と、食事のあとの挨拶をしてくれた。
それから、思いのほか力強い足取りで立ち上がると、一歩離れたところにいる私の前までやってくる。
白い病衣に身を包んだレイル様の髪は、病の名残か白いままだった。
けれど、青白い頬や腕は、それでもロクサス様より白いけれど、血色を取り戻している。
「リディア……! 自分の足で、立てているよ、リディア。ふらつきもしない。眩暈もない。薄い膜が一枚、私と世界の間に貼られているような、違和感もない」
「レイル様、良かったです……」
私は嬉しそうなレイル様を見上げて、微笑んだ。
良かった。
本当に――良かった。
私の料理に病をなおすちからがもし宿ったのだとしたら、それは、アレクサンドリア様に祈りが届いたから。
フランソワだけじゃなくて、私もレスト神官家の娘。
だから、今だけ、力を貸してくれようと思ったのかもしれない。
「うん。虫の羽音も、しない。耳鳴りのようにいつも、響いていたんだ。けれど、その音もやんだ。ロクサスと、リディアのおかげだ」
「虫の羽音……?」
「あぁ。病だと分かる前、虫の羽音が、頭の奥で響きだして……うるさくて、眠れなくて、頭がおかしくなりそうだった。それから、……徐々に、体から命が抜けていくように、気力も体力も、なくなってしまって」
「――白月病の患者の多くは、虫の羽音が頭で響くと言っている」
レイル様の言葉を、ロクサス様が補足してくれる。
私は良く知らなかったので、小さく頷いた。
「でも、リディア。君が私を、癒してくれた。……勇者は姫君を助けるものだけれど、助けられてしまったね」
「い、いえ、私、料理をつくっただけなので……」
「謙虚なんだね、リディア。自分の力を驕らない。優しい、私の姫君」
レイル様は私の手をそっととった。
それから両手で包み込むようにして握りしめると、それから、ぐい、と引いた。
「ぅわ……っ」
「ふふ、見て、ロクサス! すっかり元気だよ、私は。姫君を抱き上げることもできる」
レイル様は私を軽々と抱き上げた。
まるで、本当にお姫様みたいに抱き上げられた私は、びっくりして目を見開く。
「兄上、病み上がりだ。あまりはしゃぐな」
「嬉しくて、つい。リディア、私の姫君、ありがとう……! ロクサスが強引に連れてきたのではないかと心配していたけれど、……今は、感謝しかないよ」
「は、はい、あの、分かりました、分かりましたので、降ろしてください……っ」
「そうだ、このまま風にあたりにいこう。ずっとここで、窓の外をみるばかりだったから。風にあたりたい。それから、陽の光も、青い空も、白い雲も、硝子ごしじゃなく、見たい」
「レイル様……っ」
儚げな印象だったのだけれど、冒険者を目指していただけあって、レイル様、すごく、なんていうか、なんていうか。
結構自由奔放なのね……。
ロクサス様の言うことをまるできかないで、嬉しそうに私を抱えながら、部屋から出て、階段をあがっていく。
溜息交じりにロクサス様が後ろをついてくる。
レイル様の体はまだ細くて、私ってすごく重いんじゃないのかしらって心配になるぐらいなのだけれど。
気にした様子もなく、屋上まで私を運んだ。
屋上から見上げた空はどこまでも青くて、柔らかい陽射しが降り注いでいる。
頬に当たる風は涼しくて、眼下にはよく手入れされている公爵家の広大なお庭が広がっていた。
貴族街は、高台にある。
南地区の港や海も、遠くに見ることができた。
「空だよ、海もある。風も、心地良いね。ロクサスと、姫君と、こんな景色を見ることができるなんて、私は幸せだよ」
「……兄上、……良かった」
「レイル様、私、重たいので降ろしてください……」
「姫君は、羽のように軽い。まるでなにも持っていないように、軽いから、大丈夫」
「わ、私が大丈夫じゃないので……!」
重たいのよ、私、もしかしたら今のレイル様より体重があるかもしれないのよ。
恐縮する私を見かねたように、ロクサス様がレイル様の腕から持ち上げるようにして、私を屋上に降ろしてくれた。
風が侍女服のエプロンや髪を靡かせる。
落ち着いて眺めると、公爵家の屋上から見る街の景色は、空が近くて、海もきらきらと輝いていて、凄く綺麗。
港の桟橋に、くじら一号とヒョウモン君の姿が小さく見える気がしたし、ヒョウモン君が手を振ってくれている気がしたけれど、気のせいかもしれない。
屋上の手すりに手をついて、空に身を乗り出すようにして、レイル様が熱心に景色を見つめている。
ロクサス様は心配そうに、レイル様のそんな姿を見ていた。
「ロクサスはもう気づいていたと思うけれどね、私はずっと、死にたかったんだよ、姫君」
きらきらと輝く金色の瞳で街をみつめながら、ぽつりとレイル様は言った。
私は、あまりの言葉に身を竦ませる。
――死にたい、なんて。
そんなこと、誰かの口からきいたのは、はじめてだ。
その言葉は、痛くて、とても苦しい。
「ジラール公爵家のことは、もう聞いたかな。両親は、平等なひとたちではなかった。ロクサスはいつも肩身の狭い思いをしていてね。……私のせいで」
「俺は気にしていない」
「私が気にしているんだ。私がいなければ、ロクサスは、辛い思いをしなくてすむと、ずっと思っていた。冒険者になってどこか遠くに行きたいと願ったし、病に侵されてからは……少しだけ、そのことを、僥倖だと思っていた」
「……どうして、です……?」
ロクサス様はレイル様に生きて欲しいと願っていたのに。
レイル様の言葉は、残酷なのではないかしら。
「病に侵された私は、公爵家では無用の存在だ。ロクサスが公爵家を継いで、皆に大切にしてもらえる。このまま私は、死にたい。いなくなりたい。私が生きれば生きるほど、ロクサスは苦しむのだからと……そう、思っていた」
「……そんなことは、知っていた。だが、俺は……」
「本当は争いを嫌う優しい性格をしているのに、両親を脅して、レスト神官家の娘と、婚約をして……毎日苛立っていたね、ロクサス。姫君のこと、……リディアのことが気がかりだと、いつも言っていた」
「ロクサス様……」
ロクサス様を見上げると、慌てたように視線をそらされた。
「そ、それは……っ、レスト神官家でのあのような扱いを見たら、誰でもそう思うだろう……!」
その割に、私の元を訪れたときのロクサス様は、怒っていたけれど。
蛸に絡みつかれる特殊な趣味があるとかなんとか言っていたけれど。
特殊な趣味とは何かしら。
私、まだ、教えてもらっていないのよ。
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