悪役の私、聖女の妹
ルシアンさんは私の腕から手を離すと、両手を合わせて「神祖テオバルト様、そしてリディア、今日も食事をありがとうございます」と丁寧にお祈りをした。
戦いを好む男性というのは大抵の場合粗野な乱暴者が多いのだけれど、聖騎士団レオンズロアは神祖テオバルト様とそしてベルナール王家に忠誠を誓っているため、騎士団に入団すると素行を叩き直されて、礼儀を教え込まれる。
それなので、聖騎士団の方々がお店を占領する朝の時間帯というのは結構平和だ。
右も左も筋肉、というのが、朝の爽やかさを台無しにしているし、筋肉の鎧を身に纏った方々が、可愛らしい花柄のカップでミルクティーを飲んでいる姿の違和感にはいまだに慣れないのだけれど。
「ルシアンさん、私のお店の名前は、大衆食堂ロベリアですからね……」
所作は綺麗なのに、ほぼ一口で目玉焼きの半分を口に放り込んで、私の親指ぐらいの大きさで作っている自家製ソーセージも一口で食べてしまうルシアンさんに、私は念を押した。
これ以上変な名前を広められたら困るもの。
「知っているか、リディア」
「何を?」
「ロベリアの花言葉は、悪意、だ」
口の中に放り込んだソーセージをもぐもぐごくんと飲み込んで、ルシアンさんが神妙な面持ちで言った。
「王宮では今、ステファン殿下が君の妹の、フランソワ様と婚姻の準備を進めている。もう婚約が発表されたのは知っているよな?」
「知っていますよ……滅びれば良いのに……」
「まぁ、落ち着けリディア。いや、落ち着かなくて良い。君のその憎しみや恨みつらみが、料理の効果につながっているとしたら、もっと憎しみを燃え上がらせても良いんじゃないかな?」
「ちょっと嬉しそうに、良いんじゃないかな? とか言わないでくださいよ。人ごとみたいに! 人ごとでしょうけど……私なんて目玉焼き人間よりもさらに下層の無価値人間なんですから、放っておいてください……」
「リディア。君のその、急に怒ったり泣いたりするところ、とても良いと思うぞ、私は。料理の効果が高まりそうで、とても良い」
「私の情緒と料理は関係ありません……!」
目尻に溜まった涙を私はごしごし手の甲で擦った。
「ともかく、私たちは王家とそれなりに近しい立場にいる。つまり、フランソワ様の動向も耳に入ってくるわけだ」
「聞きたくないんですけど……」
「まぁまぁ。フランソワ様は、学園内では聖女のような扱いを受けて皆に慕われ、君のことを『お姉様は私をいじめましたけれど、今は反省をして神官家を出て、庶民のように暮らしているそうですよ。まるで悪役のお手本のような振る舞いをお姉様はしていましたけれど、許してさしあげて』などと吹聴して回っているようだ」
ルシアンさんはそう言うと、怨念鬼パンをミルクティーに浸して柔らかくしてからもぐもぐ食べた。
すごく似ている。今のフランソワの声真似、すごく似ている。
ちょっと悲しそうな感じと、慈愛に満ちた微笑みで私を愚弄してくる感じもとてもよく似ている。
「その噂が巡り巡って、君の店が大衆食堂悪役令嬢と皆に呼ばれるようになったわけだが、……そもそも、店の名にロベリア、などという不吉な花の名をつけるのも悪い」
「ルシアンさん、ロベリアの花言葉は、謙遜とか、貞淑とか、いつも愛らしい、なのですよ……私にぴったりだと思って。いつまでも貞淑な、鉄の処女である私にふさわしい名前だと思って……」
「……ここまでくると才能かな。リディア、鉄の処女とは、拷問器具の名前だ」
「ち、違います……! 一生独り身と心に決めた私の心は、鉄壁の処女という意味で……!」
「リディア。朝からそう、処女、処女、と連呼するものではないぞ。リディアが処女なのは皆が知っていることだが」
「知らなくて良いですし、そんなのわからないじゃないですか……! ルシアンさん、私だって夜は数多の男性を弄んでいる可能性があるのですよ……?」
「今君は、鉄壁の処女と言っただろう。矛盾しているぞ、リディア。そんなことより、今日の朝食も素晴らしいな……! 力が漲ってくるようだ。今なら魔獣オルニュクスも一狩りできてしまうな」
ルシアンさんは優雅にミルクティーを飲み終えた後、自分の手を握ったり開いたりした。
私の目には、ただの朝食を食べ終えただけのルシアンさんに見える。
違いがわからないのだけれど。
「色々研究してわかったことだが、君の料理の効力が持つのはおよそ六時間程度だ。つまり、私たちが朝食を食べて魔物討伐に出かけるとする。そうすると昼過ぎには効果は切れてしまうのだな。これはいけない。できれば君には、遠征に同行してもらって、私たちに料理を振舞ってほしいのだが」
「嫌ですよ……! 私、まだ若いんですよ、まだ十八歳なんですよ……?」
「十八歳は、遠征に同行してはいけない法律でもできたのだろうか」
「うら若き乙女が肉食獣みたいな男性たちしかいない聖騎士団の遠征に同行したら、どうなるかわからないじゃないですか……」
私が自分の体を自分で抱きしめながら言うと、食堂の聖騎士団の皆さんがまたもや大爆笑し始める。
ルシアンさんも口元を押さえて喉の奥で笑っている。
私、面白いこととか言ってないのに。一つも。
「リディア。君は可愛いお嬢さんだとは思うが、私は部下たちにそういった欲求は、恋人がいない場合は定期的にしかるべき店などでどうにかするように指導している。間違いは起こらない。女と見たら襲い掛かるような獣は、聖騎士団にはいないよ」
「男は最低、よくわかりました……!」
「いや、今のは、君が不安だというから教えてあげただけで……」
「ルシアンさん。すり潰したいほど憎たらしいソーセージのサイズ、どれぐらいにするべきですか?」
「そうだな。私を基準にすると、これぐらいなのではないかな」
ルシアンさんは指と指を折り曲げて、十センチぐらいの円柱形を示した。
食堂の騎士団の皆さんが「それはかなり現実的なんじゃ」「団長、生真面目なのは良いですけど、あんまり現実的なサイズだと食欲が……」などと言い始める。
聖騎士団の皆さんのせいで、私の朝はこれっぽっちも爽やかじゃない。
私は円柱形の形を作っているルシアンさんの手を、ぎゅっと握りしめた。
「ルシアンさん、明日にはそれぐらいで準備しておきますね。参考になりました、ありがとうございます」
「それは何よりだ。そんなことより、リディア。私と一緒に聖騎士団で働かないか? 私が君を守るし、一生大切にする」
「家政婦として」
「君が望むなら、違った形でも構わない」
「すごく打算を感じます……! ご飯食べ終わったんだから、帰ってくださいよ……」
ルシアンさんの整った顔で、そんな愛の言葉みたいなことを言われると、思わずときめ――かない。
ルシアンさんの側で便利な道具みたいな扱いを受けながら一生を暮らすのは嫌なのよ。
できれば私は、このままこのお店で、一人静かに暮らしたいの。
料理をするのは、嫌いじゃないし。
美味しいと言って食べてもらうのも嫌いじゃない。
でも――本当は。
ステファン様と、ごく普通に結婚をして、ごく普通に幸せになりたかったわね。
もうそんな夢、叶わないのだけれど。
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