まるっと全部で蛸の満漢全席
とろとろに煮えた蛸の足を一本、とん、と、切り落として、細かく切っていく。
お米が煮えるまで時間がかかるので、まずは蛸リゾットから。
それから、他の料理にとりかかろう。
「……俺は、……役に立てただろうか」
私の少し後ろに立って、私を眺めながらロクサス様が言う。
「それはもう! それはもう……! 煮込み料理を作る際には、是非一緒にいて欲しいですね……ロクサス様がいれば、豚の角煮とか、豚の軟骨煮込みとか、牛すじ煮込みとか、牛タンシチューとか、モツ煮とか、それはもうとろとろに……すごくとろとろに……」
考えただけでも、嬉しくなっちゃうわね。
長時間の煮込み料理は、美味しいのだけれど、なんせ時間がかかるのでちょっと大変なのよ。
できれば長く長く煮込んで最高に美味しくなった状態で、食べてもらいたいのだけれど。
そうすると、丸一日ぐらいかかってしまうのよね。
でも、ロクサス様がいれば、材料をお鍋に入れて火にかけて一分、なんということでしょう、八時間煮込んだ煮込み料理が出来上がり!
ということなのよね。最高。最高だわ。眼鏡割れろって思ったけれど、今は眼鏡を祭壇に置いて奉っても良いぐらいの気持ちだ。新たな御神体にしても良いのよ。
煮込み料理の御神体として、大衆食堂ロベリアの壁とかに飾っても良いぐらいなのよ。
「ロクサス様は、なんでもとろとろにできてしまうのですね……すごい……」
「何故少し、語弊のある言い方をするんだ、お前は」
「ごへい……」
「しかし、役に立てたのならば良い。……ジラール公爵家では忌避されていた力だが、こうも、喜んでもらえるとは」
「ジラール公爵家では煮込み料理の役には立てなかったのですか?」
深めのフライパンにオリーブオイルを入れて温めて、みじん切りした玉ねぎを炒めていく。
じゅうじゅうと音を立てながら炒められている玉ねぎが、しんなりして白から透明に変わっていったところで、洗ったお米を入れる。
お米を少し炒めて、そこに細かく切った蛸足と、蛸の茹で汁たっぷりと、白ワインを少し入れる。
弱火にして、蓋をして、お米が煮えるのを待つ間に、私はタコの頭の部分を一口大に切って、足をぶつ切りにした。
包丁がスッと入るぐらいに柔らかい蛸。
煮込んだらもっと美味しくて柔らかくなるはず。
(レイル様も、柔らかくて美味しい……って言って、召し上がってくださるかもしれないわよね)
私が目指すのは、病気で食欲のない方でも食べたくなっちゃう蛸料理だ。
蛸じゃなくても別に良いのだけれど、新鮮な蛸があったので。
何も食べたくないレイル様にとっては、蛸もお魚も卵だって、お肉だって、みんな同じだとは思うし。
「まだ幼かった頃、……まともに物を考えることができなかった俺は、母を喜ばせたくて、ジラール公爵家の庭園で魔法を使った。花は枯れ、虫は干からび、死に絶えて、母は悲鳴をあげた」
「で、でも、それは、ロクサス様が小さかったからで……」
「小さい、幼い、は、言い訳にはならない。俺は確かに、命を奪った。……なんの罪もない、花や虫たちの。……万が一、人間に対してこの力を向けていたらと、自分でも、恐ろしく思う。俺が恐ろしいと感じるぐらいなのだから、……家人たちは、余計にそうだ。仕方のないことだが」
ロクサス様はそう言って、小さく息を吐いた。
便利な力って、喜んでしまったのは、よくなかったかしら。
蛸が煮えて嬉しかったのよ。
でも、軽率だったかもしれない。
反省、ね。
私はぶつ切りの蛸を新しいお鍋に入れた。
蛸の茹で汁と、ツクヨミさんが蛸釣りを手伝った時のサービスでくれたお醤油と、かつおの削り節、お酒と、お砂糖を入れる。こちらも弱火で煮込んでいく。
これはまぁ、レイル様が食べられなくても、ロクサス様が食べれば良いと思う。
ロクサス様も苦労しているようだし、美味しいものを食べて、ちょっとでも元気になってくれると良い。
「呪われた力がある以外には、俺はレイルに比べて全てが劣っていて、不出来だった。公爵家で俺は腫れ物に触れるような扱いをされていて、父には相手をされず、母には怯えられた。……レイルだけ、兄上だけが、俺に優しかった」
「レイル様は、優しいお兄様なのですね……」
私とフランソワは仲良しではなかったから、仲良しの兄弟というのがどんな感じなのか、よくわからない。
ロクサス様、色々あったみたいだけれど、レイル様がいてくれて良かった。
だから、どんなことをしてでも、助けたいって思っているのかもしれないけれど。
「あぁ。……レイルは次期公爵として育てられたが、それに驕ることもなく、いつも俺を守ってくれようとしていた。本当は公爵などにはならずに、冒険者になりたいのだと、昔、こっそり教えてくれた。冒険者になって、悪い魔女を退治して、姫を救うのが夢……だそうだ」
「魔女と、お姫様、ですか……?」
「創世の神話に憧れていたんだ。テオバルト様は、悪辣な魔女シルフィーナを退治して、女神アレクサンドリア様を守ったといわれているだろう。自分も、いつかテオバルト様のようになりたい、と。だから、体を鍛えているのだと言っていた」
「まぁ……ふふ、可愛らしいですね」
私はくすくす笑いながら、蛸足を一口大に切っていく。
お鍋にたっぷりオリーブオイルをそそいで、温める。
一口大の蛸をボウルに入れて、すりおろしたニンニクとお醤油とお酒を入れて、ぐにぐにと揉んだ。
「……お前にとって、神官家は居心地の良い場所ではなかっただろう。創世神話の話に、不愉快になったりはしないのか」
「えっと……なぜ、です……?」
「フランソワや殿下、神官長を、お前は恨んでいるのではないかと思ってな」
「そ、それは、恨んでますけど、街の視察中に、泥水に足を突っ込んで、転んでどろどろになったりしないかなって、思いますけど……でも、創世神話やテオバルト様やアレクサンドリア様を恨んだりはしませんよ……?」
私が婚約破棄されたり、神官家に居場所がなかったりしたのは、神様のせいじゃないもの。
それでテオバルト様やアレクサンドリア様に恨みをぶつけるのは、おかしいわよね。
「俺は恨んだ。……兄は、白月病を発症するまでは、公爵家で両親に期待されて育ったというのに、病気になってからは……公爵家には不必要な人間だと、忌みもの扱いされて、別邸に閉じ込められた。……そして、俺に公爵家を継げ、と。兄上と俺の立場は公爵家では真逆に」
「……どうして。ロクサス様のご両親は、そんなことを」
「公爵家で何よりも大切なのは、優秀な血を残し、繋いでいくことだ。病の兄にはそれができず、その役割は俺に。俺は兄を別邸からここに連れてきて、必ず助けると約束をした。そうして、レスト神官家に。……あとは、話した通りだ」
ロクサス様は、レイル様の病気を治癒する約束で、フランソワと婚約をしたのよね。
でも、約束は果たされなかった。
私は味をつけた蛸に、小麦粉をまぶした。
多めのオリーブオイルを入れたフライパンに小麦粉に塗されて白くなった一口大の蛸足を入れて、揚げ焼きにしていく。
じゅわっと、良い音がする。
香ばしくて美味しそうな香りも調理場に漂いはじめる。
蛸には既に火が通っているので、小麦粉がこんがりカリッとしたら、すぐに網を敷いた四角いバットの上にあげる。
油で揚げ焼きにした蛸から、余計な油が落ちて、より一層カリッとする。
「……兄上の病状は、悪化する一方だった。俺の力が……時を奪う物ではなく、戻せる物だったら。……兄上の時間を戻して、命を繋げたかもしれないと、幾度も思った。呪われた俺は、何の役にも立たない」
「……レイル様は、レイル様の魔法では、ご病気を治せないのですか?」
「自分自身には魔法は使えない。それに、そもそも兄上は、自分の力を嫌っている。だから、昔、一度だけ母上のために枯れた花を再び咲かせてから、二度と使おうとはしなかった。時間を戻すことになんの意味があるのかと、言っていたな。……命を奪うという意味では、俺も兄の魔法も、それから炎や水や氷魔法でも、全て同じだと」
「……それは、あの、……調理器具も、使い方を間違えれば凶器になるのと同じですね」
同じかしら。
うまく言葉を選べなくて、すごく間抜けなことを言ってしまった気がするのよ。
でも、フライパンで殴ったら、多分、騎士団長のルシアンさんだって怪我をするだろうし。
使い方が大切、という話よね。
「今は、公爵家の両親を、脅して黙らせている。俺の行動に文句があるのなら、呪われた魔法でその命を奪うこともやぶさかではない、と言ってな。……リディア。……お前は、恐ろしいと言って泣いたりはしないのか?」
「ロクサス様、さらった女に侍女服を着せる趣味のある変態だから、それはちょっとは怖いですけど……」
というか、もう既に泣いたのよ。
攫われた時に、泣いたのよ、私。
手遅れだわ。その質問、手遅れなのよ。泣いていない友好的な状態で聞くのではないかしら、普通。
「そのような趣味はないと幾度言ったら……!」
「だって、私のこの格好見て、ちょっと嬉しそうにしてましたし……」
「それは、か、……っ、なんでもない」
「か……」
か、とは、何かしら。
よくわからないわね。私は蛸の茹で汁の残ったお鍋の中に、ポイポイと玉ねぎやトマトを放り込みながら首を傾げる。
それから蛸を揚げ焼きにしたフライパンで、残りのオリーブオイルをもう一度温めて、残りの蛸足を塩胡椒をして焼いていく。
「……魔法、すごいって思いますけど、怖いって思いません。シエル様もすごい魔法を使えますけれど、優しいですし。ロクサス様も、できれば煮込み料理を作るときはいてくださると嬉しいなって思います」
「そうか……シエルは、もしかして、恋人なのか」
「友達ですよ」
「そ、そうか……」
ロクサス様は何度か、そうか、と繰り返した。
でも──ロクサス様がこれほど必死なのに、フランソワは、どうしてレイル様の病気を治してくれなかったのかしら。
お父様に止められていたから、かしら。
ロクサス様のこと、婚約者として大切に思っていたのなら、お父様に逆らって、レイル様のご病気を癒して差し上げたいって思うのではないのかしら。
それが、愛情なのでは……と、思うけれど。
でも、私には、よくわからない。
愛されたこともないし、誰かを愛したことも、多分、ないし。
恋は、あるような気がするけれど。
でもそれは、儚く短いものだった。
今は、レイル様に少しだけでも食事をとってほしいと思うし、ロクサス様の願いが──叶って欲しいと思う。
もし、女神様が私を見ているのなら。今だけでも良いから、少し、力を貸してくれると良い。
玉ねぎとトマトを入れて沸騰した蛸スープに、くるくると溶き卵を入れていく。
卵がふんわりスープの中で花のように開いていく。
お塩で味を整えて、スープ皿に入れる。それから、良い感じに柔らかく煮えた蛸のリゾットをよそって、パセリを散らせる。
柔らか煮込みは深めの器に、蛸の唐揚げは小さめの皿に盛り付ける。
一本足グリルをお皿に置いて、こちらも彩りでパセリを散らした。
「ロクサス様、お話をしている間にできました。ロクサス様の気持ちがこもったふにゃふにゃ蛸の優しいリゾットと、蛸の出し汁満点スープ、蛸の柔らか煮込みに、マーガレットさんに大人気のにんにくが効いて滋養強壮抜群の今夜も寝かさない蛸の唐揚げ、どっしり太くてでも柔らかい噛まなくても食べられちゃう一本足グリルです」
「リディア……長い、覚えられない。それに問題のある料理名をつけるな」
「問題……?」
「……何故常に語弊のある単語を選ぶんだ、お前は」
「よくわからないですけれど、確かに長いので、全部ひっくるめて、新鮮蛸の満漢全席です!」
私はやりとげた。
蛸を全て使い切った満漢全席。とっても美味しそう。
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