レイル・ジラールは白い月を求める
レイル様は、光が失われたようなくすんだ金色の瞳を私に向けた。
かつては――きっと、強い光を宿していたのだろう。
ロクサス様はレイル様のことを、優秀な方だったと言っていた。
病に侵される、十五歳までは。
「……すまないね、リディア。……弟に、無理矢理連れてこられたのでは、ないのかな」
乾いた唇が、静かに言葉を紡ぐ。
その声音は、誰も居ない静謐な雪原を連想させた。
耳をそばだてて聞かないと、その音は私に届かないようでもあり、どこか凄みを帯びていて、小さな声でも良く通り、肌に、鼓膜に、染みこんでいくような。
「い、いえ……私、無理矢理なんて、そんな……」
無理矢理つれてこられたのだけれど。
今のレイル様の前では、それはとても口にはできない。
「弟は……どうにも、私のことになると、……見境がなくなるところがあって。……昔は大人しくて、気が弱かったのに、……私が、こんな風だから。自分がしっかりしなければと、思ったのだろうね」
そこまで言うと、レイル様は疲れたように目を伏せて深く息をついた。
「――でも、君がここまで来てくれて、顔を見ることができて、それだけで、私は嬉しいよ。ありがとう、リディア。……聖なる、巫女、か。……まるで、私を、白き月へと導いてくれる、天使のようだ」
優しく微笑んで、レイル様は言う。
まるでもう、覚悟は決まっているとでもいうような口ぶりだった。
その瞳は私を通り越して、どこか遠くを見つめているみたいだ。
白き月。
赤い月ルブルムリュンヌから少し離れた場所に浮かぶ、ブランシュリュンヌ。
赤い月からは魔物が落ちる。だから赤い月は忌避されている。
けれど白い月は、私たちが最後に向かう場所。
死者の魂を受け入れてくれると言われている楽園。
私たちは、最後にブランシュリュンヌ――楽園にのぼるために、生きている。
それは、レスト神官家においてはとても馴染み深い、アレクサンドリア教典の主な教義だ。
「そんな……レイル様、そんなこと言わないでください……」
私は胸の前で、手を握った。
声が震えてしまう。
こんなとき――フランソワだったらきっと、にっこり微笑んで、「大丈夫です、レイル様。私があなたを癒しましょう」と、堂々と言えるのだろうけれど。
(私は……私は、フランソワではないもの)
病を治す力なんて、私にはない。
じわりと、涙が目尻ににじんだ。ここで泣くのは間違っているのに。
私は、レスト神官家のおちこぼれだ。
無力で、なにもできなくて、悔しい。情けない。
「リディア。……私は、もう、良いんだよ。それなのに、……すまない」
「兄上。……大丈夫です。きっと、大丈夫だから」
「ロクサス。……気持ちは嬉しいけれど、リディアに、迷惑をかけてはいけないよ」
思いのほか強い口調でレイル様は言った。
ロクサス様はレイル様に深々と頭をさげると、私を連れて部屋を出た。
何も言わないロクサス様に手を引かれて、私は公爵家の調理場へと案内された。
料理人の方々に「下がるように」とロクサス様は伝えて、私と二人きりになる。
調理場の隅には、私が市場のおばさまに借りた背負いカゴが置かれている。
セイントワイスの皆さんの魔導師府の調理場と同じぐらいに広い。
私はきょろきょろしながら、調理場の中を確認した。私の買ってきたお野菜や、ひじきや鰹節やお味噌が置かれている。
それから、お米や小麦粉や調味料。
私の身長よりもずっと大きい保存庫には、お肉やお魚の他に、凍り付いた巨大蛸が詰め込まれていた。
「――兄上の、言うとおりだな」
ロクサス様は、調理場の入り口に立ったまま、自嘲気味に笑って、前髪をぐしゃりと掴んだ。
「……お前を強引に攫ってきた。説明する時間も惜しかったし、腹も立っていた。……五年、だ。五年も、あの女に阿り、愛を囁いた。兄上の病を癒して貰うためだと、自分に言い聞かせて」
「……ロクサス様は、フランソワを愛していたのではないのですか……?」
「どうすれば、愛することができる、あんな女のことを。……俺は、レスト神官家でのあの女の振る舞いを見ている。……どれほど貶められても、静かに耐えていたお前のことも」
「それは……その、あの、少しすれば、殿下と結婚できるって、思っていて……だから」
静かに耐えていたわけじゃないのよ。
私はちゃんと、お父様にもフランソワにも怒っていた。
もちろん、口に出してそれをいうことは難しかったから、心の中で、だけれど。
それは、怒って良いって――いつか、教えて貰ったからだ。
ステファン様が、私に、そう教えてくれた。
「……だが、婚約は破棄された。正直、安堵した。兄上のためとはいえ、あの女と一生添い遂げるなど、……とても、耐えられない。それに、……結局あの女は、兄上を癒そうとはしなかった。結局、そのような力などないのだろう、あれには」
「フランソワはレスト神官家の力を継いでいます。だから、そんなこと、なくて……」
「少なくとも俺はそう思っている。……リディア、お前がレスト神官家から逃げたと知ったとき、それほど俺のことを嫌っているのかと……仕方ないこととはいえ、謝罪も、説明もできないのかと、苛立った」
「それは、……その、嫌っているっていうか、ロクサス様がどうっていうよりも、私、男なんて嫌いって、思って」
私は背負いカゴの中からずるっと蛸をとりだした。
まずは蛸。蛸をなんとかしたい。
レイル様のことは気がかりだけれど、目の前に氷漬けの新鮮な蛸があるので、まず蛸をどうにかしたい。
「お前の噂を耳にしたとき、余計に腹が立った。お前は、自分の力を隠していたのか、と。……お前が最初から、癒やしの力を公にしていれば、兄上の病はとっくに癒えていただろうと」
「それは違います……! それは、ルシアンさんとかが、勝手に言っているだけで……! シエル様にお願いされて、セイントワイスの皆さんにお料理を食べて貰ったのだって、つい先日のことで」
「……そうなのだろうな。その自信のなさを見ていれば、それは分かる」
「うぅ……」
自信なんて、もてないのよ。
だって――私、ずっと、要らなかったのだもの。
役立たずで、おちこぼれで、優しかったステファン様だって、私から興味を失ってしまって。
だから、私。
男なんて全員滅びたら良いって、呪詛を吐き散らかすような女に成り果ててしまったのだわ。
つい最近までは。
「……だが、俺は苛立っていたし、焦ってもいた。……兄上はここ数日、水ぐらいしか飲んでいない。……人間は、食べなければ、死ぬ。それがどんな人間であっても」
「ご飯は大切です」
大きな蛸を、大きなシンクへと持って行く。
じゃばじゃばお水を流しながら、蛸の目の間に、えいや、と包丁を入れた。
氷魔法がとけて、蛸がふにゃふにゃに戻っていく。
蛸さん。ごめんね。
美味しく食べてあげるからね。
「だから、お前を無理矢理。……リディア。悪かった」
「レイル様の、あんな姿を見たら……必死になるのは、少し、わかります」
私は蛸の頭の中のワタを綺麗にして、蛸のぬめぬめをお塩で揉んでとっていく。
蛸の塩もみは良い。
ぬめぬめがつるつるになっていくのが楽しい。あと感触が結構癖になる。
「お前は、先程から何をしているんだ?」
「ええと、その……蛸をさばいています」
「…………何故、今、蛸をさばく」
「ここに蛸があるからですけど……!」
ロクサス様こそ、どうして怒るのかしら……!
料理を作れと言ったり、作り出したら怒ったり、よく分からないのよ。
ともかく蛸だ。
レイル様が食べられるように、噛まなくても良いぐらいに柔らかく煮よう。
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