ジラール家の兄弟
ロクサス様に拘束されながら、ジラール家の馬車は私を聖都の貴族街へと運んでいった。
貴族街とは文字通り貴族の邸宅が並んでいる街で、貴族以外に大金持ちの商人の方々なども住居を構えている――つまり、お金持ちの街である。
鉄製の塀が張り巡らされた入り口は高い門があり、夜になると安全のために門は閉じるようになっている。
聖都を拠点として生活している貴族の方々や、領地から聖都へと来たときに使用する第二邸宅で暮らしている方々もいて、私のお店がある町並みは雑然としているけれど、貴族街は静かで閑散としている印象である。
使用人の方々を含めても、生活している人の人数が圧倒的に少ないのだ。
どこの家もお庭が美しく整えられていて、道には枯れ葉一つ落ちていない。
一軒一軒が、見上げるほど立派なお屋敷が並んでいる。
「レスト神官家は、第二邸宅を持っていないのだったな」
窓の外を眺めながら、ロクサス様が言う。
びしょびしょの私を抱きしめているせいで、ロクサス様の高級そうなお召し物も濡れている。
なんだかとても、申し訳ない。
あと、ここまで来たら馬車から無理矢理飛び降りて走って逃げたりしないから、抱きしめるのもやめて欲しい。
何度か身じろいだし、何度か主張したけれど、ロクサス様は「信用ならん」と言って、離してくれなかった。
「……え、ええと、はい。レスト神官家は、聖都にある大聖殿の奥にありますから……。お城も、近いですし……」
体が近ければ、声も近い。
でも体温があたたかいから、冷え冷えだった体が少しあたたまった。
「ジラール公爵領は、聖都から隣接して北にある。馬車では二日。浮遊魔石走行装置では、数時間」
世俗にあまり詳しくなれなかった生活を送ってきた私だけれど、学園で三年間お勉強したお陰で、ある程度の知識を身につけることができた。
だから、ジラール公爵領の場所も知っている。
てっきりジラール公爵領に連れて行かれると思っていた。
何も持たず、びしょびしょで塩っぽくて、若干生臭いまま、長旅をするのかと、それはもう泣きたい気持ちだった。
だから、馬車が貴族街に向かってくれて、ちょっとだけほっとした。
「ジラール公爵領よりも、聖都の方が腕利きの医者がいる。……それに、レスト神官家もある。だから、兄は長らく貴族街の邸宅で療養を続けている」
「……ロクサス様のお兄様は、どんなご病気なのですか?」
聖都の医師にも治療できない病気を、私がどうにかできるなんて思えないのだけれど。
でも――ロクサス様は、困っているのよね。
さっきは、ロクサス様に恨まれていると思っていたし、そもそも元々親しくなどなくて、顔見知り程度の間柄だったし。
(フランソワの婚約者だったときは……ロクサス様は、私に挨拶もしてくださらなかったし)
私はしたのよ、挨拶。礼儀だし。
ロクサス様は眼鏡の奥の冷たい瞳で私を一瞥して、何も言うことがなかった。
そのときは私はまだステファン様の婚約者だったけれど、ステファン様もすっかりフランソワに夢中だったから――仕方ないわよねって、思っていた。
私、おちこぼれだし。価値なんて、ないし。そう――じめじめしていたのよ。
アマガエルの背中ぐらい、じめじめしていたの。アマガエルは可愛い。私は可愛くない。
そんな滅びるが良い、滅せよ、地獄の業火に焼かれるが良い――とまで思うのは可哀想なので、突然眼鏡が割れないかな……! の対象であるロクサス様。
久々に顔を見たのに、凄い勢いで睨まれたし、できれば関わりたくなかったロクサス様だけれど。
(困っていて、顔も見たくない私なんかのところまで来たのよね……)
ロクサス様から今は敵意は感じられない。抱きしめる力も、拘束にしては、痛くなくて、優しいし。
「――白い月の病。白月病だ」
「……しらつきびょう……」
「あぁ。白月病は、突然発症する病気だ。兄上も、レイル兄上も、……十五歳までは、とても元気な方だった。聡明で、武術にも優れて、魔道にも優れた優秀な兄上だった」
「レイル様は、いま、おいくつなのですか?」
「十五で病を発症して、五年。今は、二十歳」
「ロクサス様と、同じ年……?」
「双子の兄だ。学園にはいなかっただろう」
私は頷いた。
ロクサス様は私の二学年上だったけれど、レイル様という方は見たことがない。
レイル・ジラール様という名前も――もちろんこれは、私におともだちがいなくて、お話しする方もいなかったからというのもあるだろうけれど、聞いたことがなかった。
ロクサス様が公爵家の次男ということは知っていたのだけれど。そもそもお兄様については、あまり考えたことがなかったのよね。
ロクサス様は私の婚約者ではなかったし。
婚約破棄された私が神官家に戻ったら、ロクサス様と結婚させられる可能性があったのが嫌で、逃げてきたわけだし。
「白月病は、他者にうつる病気ではない。だから、不安に思う必要はない」
「少しは、知っています。突然発症して、肌も、髪も真っ白になってしまって……徐々に体が動かなくなって、食事がとれなくなって、やがて亡くなってしまうのだと。それはまるで、白い月に魅入られてしまったようだから、白月病と呼ばれているのだと」
「あぁ。原因はわからない。薬もなく、治療法はない。……ジラール公爵家の両親は、レイルのことを諦めている。俺に、家督を継げと。五年前には、もう言われていた」
ロクサス様は眉間に皺を寄せて、吐き捨てるように言った。
「だが、治せる方法があるのなら……治したい。レイルは俺の兄だ。双子の兄……俺の半身のようなもの」
「……ロクサス様」
「レスト神官家の、力を受け継いだフランソワは、聖なる力を持っているのだろう。どんな病気や怪我も癒すことのできる力だ。……それならばと、俺は、フランソワに頼みにいった」
「そ、そうですよ……フランソワなら、きっとなおせるはずで……!」
そのような力がフランソワにはあるし、婚約者であるロクサス様のお兄様なのだから、とっくに治療をしているはずだ。
「――フランソワの神秘の力はそう軽々と使えない。請われたからといって力を使ってしまえば、神殿は病気を治して欲しい、怪我を治して欲しい、死にかけの人間を生き返らせて欲しいという自分勝手な者達であふれかえる。そう、神官長に言われた」
「で、でも……! 確かに、それは、そうかもしれませんけれど……婚約者のロクサス様が困っているのに……」
「そのときは、まだ婚約者ではなかった。……フランソワと婚姻を結び家族になるのなら、病気をなおそうと……そう、言われてな。だから、俺はあの性悪女の婚約者に」
「そうなのですね……でも、婚約をしたのですから、治療、してもらえたのではないのですか……?」
全く知らない話だ。
そのとき私はまだレスト神官家の隅っこで、縮こまって暮らしていた。
大聖殿に顔を出すこともなかったし、外に出ることも滅多なことではなかったから、知らなくて当然だけれど。
「正式に結婚をしなければ、治療はできないと。学園を卒業するまで待てと、あの女に言われた。兄上の病状は悪化の一途を辿っていったというのに、……俺は、あの女に阿るしかなく、そのうち、あの女はステファン殿下に色目を使い出した。……案の定、今だ」
「そうだったんですね……」
「リディア。……俺は、あの女には、奇跡の力などないのではないかと思っている。……その力は、リディア。お前に宿っているのでは?」
「そ、そんなことは、ないと思います……」
私は力なく首を振った。
私はフランソワが力を使うのを、幼い頃に見ている。
「……私、……私に、本当に、そんな力があれば、良かったのに」
そうしたら胸を張って、辛い思いをしているロクサス様と、レイル様を救うことができると、言えたのに。
「……それが微かな希望でも、縋りたい。横暴に、お前を連れ去ってきてしまったが、本当に、ただ、料理を作ってくれたら良いんだ。兄上の病気がなおるまで、お前には我が家の料理人として働いて欲しい」
「……え?」
私を宥めるように言われた言葉に、私は目をぱちくりさせた。
それって、私が――病気を癒す料理を作ることができるまで、永遠にロクサス様の元で料理を作り続けるということではないかしら。
「役に立ちたい、ですけど、家にも帰りたいです……」
「そのうちかえしてやる。そのうちな」
「非道……っ」
「どちらが非道だ。そもそもお前が逃げなければ、俺はお前を娶るはずだったんだ。お前は俺のものだろう」
「うう、同情したのに……っ」
同情は、まだしているのよ。
ロクサス様の悲壮な思いも、病身のレイル様にも、同情はしているの。
役に立ちたいと思うのよ。
でも――私、一生家に帰れないかもしれない。
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