リディア・レスト誘拐事件、再び
美しい銀の髪と、やや目つきの鋭い金の瞳に、銀のフレームの眼鏡をかけている。
上質な衣服に身を包んでいるロクサス様は、蛸に絡まれている私の姿を剣呑な光を宿した瞳でじっと見つめた。
見つめるというか、睨んだ。
(確か、お店の扉にクローズの看板を下げていた筈……)
ロクサス様は顔見知りだけれど、不法侵入の不審者なのよ。
不法侵入の不審者なのに、私を睨むとかおかしいのではないかしら。
家主なのに。
借家だけど。
そんなことより――。
「ろ、ロクサス様、たすけ……っ、たこが、とれなくて……」
私の体に絡みつく蛸をまずはどうにかしてほしいのよ。
睨んでる暇があったら、ぱぱっと蛸をやっつけて欲しいのよ。
あぁでも、やっつけられたら困る……!
だって大切な食材だし、食べ物を粗末にしたらいけないのだから。
「で、でも、でも、穏便に、料理につかうので、できるだけ、優しく蛸を、とってください……!」
「注文が多いな……!」
「うう、ごめんなさい、食材なんです……っ、ロクサス様、ぬるぬるして……とれない、から……っ」
私はさっきからタコ足を体から外そうと悪戦苦闘しているのだけれど、蛸足は私に絡みつくばかりだ。
蛸は私を食べる気はないようだけれど、どうして絡みつくのかしら。
やっぱり、怒っているのかしら。
そうよね、そうよね。
これからしめられて、料理されるのだもの。
生存に必死なのね。
でも、ごめんなさい。蛸は食材なので、美味しく食べてあげるからね……!
「仕方ない。……凍れ」
ロクサス様が手をかざすと、蛸がさっきと同じようにパキパキと音を立てながら、綺麗に凍り付いた。
「うう、つめたい……つめたい……」
濡れている私のお洋服も、若干凍り付いている。
きっとシエル様なら、こんなことにはならなかったのだわ。
蛸だけを綺麗に凍り付かせて、私のことは無事に救ってくれて、ついでに浄化魔法でお洋服も体も綺麗にしてくれたはず。
「冷たいよぉ……」
凍り付いて、私の体にしがみついていた蛸が、床にどさっと落ちる。
私は蛸を見下ろしながら、ぽろぽろ泣いた。
シエル様がよかった。
「シエル様がよかった……」
だってロクサス様とか、会いたくなかったもの。
フランソワの元婚約者が私の元を訪れるとか、蛸に絡まれるよりもずっと嫌なのよ。不吉すぎる。
「文句が多いな……! シエルではなくて悪かったな」
「ロクサス様……助けてくださってありがとうございます」
つい心の声が口から漏れてしまったのね。
シエル様が良かったもの。色々あったけれど、お友達だし。
でも、リーヴィスさんがシエル様はお引っ越しで忙しいって言っていたから、仕方ないわよね。
私は苛々したように腕を組んでいるロクサス様に、丁寧に頭を下げた。
お風呂に入って着替えたい。蛸も、魔法がとけるまえにどうにかしなきゃ。
「てっきりお前には特殊な趣味があるのかと思ったのだが、違うのか」
「特殊な趣味……?」
蛸に絡みつかれて喜ぶ趣味とかは、私にはないのよ。
ヒョウモン君がどれほど男らしくてもときめかないのと一緒で。蛸だし。
「ロクサス様……特殊な趣味って、なんでしょうか……」
そして、助けてくださったのはありがたいのですけれど、なにをしにきたのでしょうか。
これは聞けないわね。
嫌な予感がするもの。
私は何も聞かないから、できれば穏便に、このまま帰ってくれないかしら。
「…………いや。そんなことよりも、リディア」
ロクサス様は特殊な趣味の話題を露骨に避けた。
ロクサス様が言い出したくせに。教えてくれたって良いのに。
「こ、こないで、近づかないでください……っ、う、ううっ……怖いよぉ……恨みを晴らしに来たのですか、ロクサス様……! 婚約破棄をされた恨みを私に、ぶつけにきたのですか……!」
ロクサス様が一歩踏み出して私に近づいてきたので、私は逃げた。
蛸をどうにかしてくれた恩人とはいえ、不審者の男性と二人きりになってしまったわよ。
そのうえロクサス様には恨まれている可能性があるのよ。怖い。
このままでは私、とても口にはできないようなことをされてしまうかもしれないのよ。
具体的にそれがなにかはよく分からないけれど、ともかくそうなの。
あと、腹いせに売り飛ばされたりとか、するのだわ。
売り飛ばしてどうするのかもよく分からないけれど。
「恨み? 何を恨むというのか」
「ふ、フランソワとの婚約、なくなってしまったから……っ、ロクサス様、フランソワと結婚する予定だったのに……」
「あのプードルみたいな名前の、性悪女と結婚せずにすんで、安堵しているところだ」
「ろ、ロクサス様、全国のフランソワさんから怒られますよ……!」
プードルとは、愛玩犬のこと。
いえ、あの、プードルに、リディアって名付ける人だっていっぱいいるだろうし。
フランソワだけがプードルの名前とは限らないのよ。すごく偏見だわ。
「だがな、リディア。フランソワとの婚約が破棄されて、――そう、破棄されたんだ。お前と同じでな。お前が神官家に帰らずに、出奔したあとに」
「それはその、……ご愁傷様です……」
「それは良い。だが、困ったことになった。リディア、頼みがある」
「たのみ……?」
頼み。
シエル様の時と同じなのよ。
また、料理を作って欲しいという頼みなのかしら。
「ここで会話をしている時間も惜しい。その蛸と、籠の中のものは食材だな。全て俺が買い取ろう。それから、お前の午後の時間も、俺が買う」
「え、え……?」
「食材を全て持って、公爵家に来い。お前には、料理をしてもらいたい。俺の兄の病を癒すために」
「む、無理です……っ、あの、私、お料理はできますけど、普通のお料理で、……病気を治すとかは、できなくて……」
「セイントワイスの者達を助けたのだろう。このところ、王宮はその話題で持ちきりだ。……呪いがとけるのなら、我が兄の病を癒すこともできるはずだ」
「それは、たまたま、偶然で……っ」
あのときは、シエル様が――私に料理を沢山つくらせたのだったわね。
それで、自らが料理を食べることで、解呪の効果を確かめてくださったのだわ。
私にはよく分からないのよ。
例えば本当に特殊な効果が料理にあるとしても、どの料理にどんな効果があるかなんて分からない。
「リディア。俺はお前を買った。金は払う。来い」
ロクサス様は凍り付いた蛸を拾い上げると、背負いカゴに突っ込んだ。
蛸は大きいので、背負いカゴに入りきらずに凍った足が突き出している。
背負いカゴを肩にかけて、そして私の腰を掴むと、軽々と小脇にかかえた。
細身なのに、すごく力持ちなのね、ロクサス様。
私は青ざめる。
これは、あれよね。
絶対、あれ。
「降ろして、降ろしてください、誘拐、誘拐です……!」
「誘拐などではない。金で買ったと言っただろう。ともかく、来て貰うぞ、リディア。時間がない」
破落戸だわ。
人買いだわ。
由緒正しい公爵家の次男のロクサス様は、破落戸。人攫い。
人をお金で買うことに躊躇のない、冷血人間。こわい。
「いやぁああ、降ろして、降ろしてくださいぃぃ!」
そもそもお洋服もまだびしゃびしゃのままなのよ!
お風呂に入らせて欲しい。せめて着替えをさせて欲しい。
「あら……リディアちゃん。またなのね……っ、頑張ってね……!」
ロクサス様に連れ去られる私を、マーガレットさんが白いハンカチを振りながら見送ってくれる。
「マーガレットさん、誘拐です、助けて、売られちゃう、私、売られちゃう……っ」
「リディアちゃん、大丈夫よ、あんた可愛いから、きっと可愛がって貰えるわよ……!」
誰に? ロクサス様に?
嫌なのよ。怖いのよ。さっきまで、お菓子作りでもしようかしらってのんびり考えていたのに。
私はロクサス様によって、食堂の前にとめてあった立派な馬車に押し込まれた。
ロクサス様は蛸入り背負いカゴを馬車の中で降ろすと、逃げようとする私を羽交い締めにした。
ロクサス様のお膝の上に座って抱きしめられている私――に見えなくもないけれど。
「どうして、みんな私を誘拐するんですか……」
「知るか。俺がお前を誘拐するのは今回がはじめてだ。素直に従っていれば、手荒なことはしなかったものを」
「うう……ロクサス様、ひどいことしないで……」
「料理を作って貰うだけだと言っただろう……!」
さめざめと泣く私を乗せた馬車が、聖都の街を駆けて行く。
途中、人混みの横を通り過ぎた。
沢山の人だかりから誰かを守るようにしているルシアンさんとレオンズロアの皆さんの姿がある。
「ルシアンさん、誘拐、助けて……!」
「おい、リディア。誘拐ではない。いや、誘拐だが。料理を作ってくれたら家に帰すのだから、大人しくしていろ」
窓を叩いてルシアンさんを呼ぶ私を、ロクサス様がきつく抱きしめる。
きつく抱きしめられることが、こんなに嬉しくないなんて、知らなかった。
助けを求める私とばっちり目が合ったのは、ルシアンさんではなくて、唖然とした表情で此方を見ているステファン様だった。
隣にフランソワの姿も見えた様な気がしたけれど、あっという間に馬車は人混みの横を通り過ぎてしまったので、よくわからなかった。
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