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クイーンベリーと長生きの約束




 カーテンの隙間から差し込む春のうららかな日差しを受けて目覚めた私は、ベッドから起きあがると大きく伸びをした。


 王太子殿下ステファン様に婚約破棄をされて捨てられてから、怨嗟とともに目覚めていた私である。

 けれど今日の目覚めはすっきり爽やか、窓辺でさえずる小鳥さんたちの声も心地いい。


 理由は単純。こんなにうきうき目覚めることができたのは、お友達と遊びに行くからだ。


「……なんだか、景色が違って見える。不思議」


 髪をとかして綺麗に結って、リボンで飾ってみる。白いブラウスに群青色のスカートをはいた。


 今日はロベリアは休日。休日は、だいたい一日中お掃除をしている。

 それ以外に予定のなかった私だけれど──今日は違う。シエル様が遊びに来てくれると言っていた。


 シエル様ははじめてできたお友達だ。お友達ができたというだけで、いつもの景色が輝いて見える。

 私はいつものように調理場や食堂をぴかぴかに磨きあげて、それからシエル様のためにお弁当を作った。


 今日は王都の外れの森にクイーンベリーという野イチゴの一種が群生しているというので摘みにいくのだ。

 王都の中は平和だけれど、一歩外に出ると魔物が出る。摘みに行きたいけれどどうしようかと悩んでいたら、私の護衛をシエル様がしてくれるという。お友達とのお出かけは、初体験だ。


「リディアさん、おはようございます」

「シエル様! おはようございます」


 準備を整えて待っていると、シエル様が食堂の中央に唐突に現れた。これは転移魔法だ。

 シエル様はものすごい魔導師様なので、好きな場所に一瞬で移動できる。


 今日のシエル様は魔導師のローブではなくて、首のつまったシャツにウェストコートを着ている。飾り気はないけれど、シエル様自身が煌びやかなので何を着ても似合う。


「……リディアさん、いつもと雰囲気が違いますね。といっても、僕は食堂のリディアさんしか知らないのですが」

「食堂のリディアというのは、あれですね。エプロンにキッチンスカーフの私です」

「はい。そのリディアさんです。いつものリディアさんも愛らしいですが、今日も素敵ですね」

「ありがとうございます」


 私は照れながらお礼を言った。シエル様は少し困ったように首を傾げる。


「僕はどうにも、言葉を飾るのが苦手で。もっといい誉め言葉があると思うのですが……可愛いと、思います。特別という、感じがします」

「あ、あの、大丈夫です、伝わっています……! あまり言われると恥ずかしいので……」

「伝わっているのなら、よかったです。……それでは行きましょうか。森までは歩くと少し時間がかかるので、転移魔法……は、あなたへの負担が大きいので、別の方法で行きましょう」


 シエル様に促されて私はロベリアを出た。シエル様に手をさしだされたので、私はその手に自分の手を乗せる。


 シエル様は私を引き寄せた。足元に魔法陣が浮かび、そこから、もこっとふわふわの──まんまる羊が現れる。私たちが乗っても大きいぐらいの丸くてふわふわの羊には、どういうわけか小さな翼がはえていた。


 まんまる羊はその翼を広げて、シエル様と私を乗せて空へと飛び立った。


「これも、召喚魔法ですか? まんまる羊とは飛ぶことができるのですね、知らなかったです」

「召喚魔法ですね。魔力で物体を具現化しています。ある程度自由がききまして、翼をはやしました。羊は飛びません」

「そういう品種がいるのかと思いました。空飛ぶ羊の群れ……いないのですね」

「残念ながら」


 私はちょっとがっかりした。でも、大きな翼まんまる羊は可愛い。まるで、雲の中に寝そべっているみたいだ。


 私とシエル様を乗せたまんまる羊はぐんぐんと空高く飛んだ。羊は丸くて大きいのに、ぱたぱたしている翼は体格よりも小さい。それで飛ぶのだから不思議だ。


 不思議がっていると、シエル様が「翼は飾りです。そのほうが、飛ぶ、という感じがするかと思いまして」と、真面目な口調で教えてくれた。


 シエル様はしみじみと「まんまる羊は、まるいのでいいですね」と言う。シエル様はもしかしたら球体的なものが好きなのかもしれない。


 眼下に王都の街やお城が広がり、それがぐんぐん小さくなる。私は羊のふわふわの毛にうずまるようにしながら、まんまる羊の背から身を乗り出してそれを眺めた。


「空を飛んでいます、シエル様!」

「そうですね」

「あんまり感動、しませんか?」

「僕にとっては日常なので……そういった反応は新鮮です。誰かと飛ぶのは、はじめてです。いいものですね、なんだかとても」


 空を飛ぶのが日常なのは、シエル様ぐらいのものではないかしら。さすがは大魔導師様だ。魔力のない私とは見てきた景色が違う。でも、こうして今は同じ景色をみている。


「シエル様はいつも、綺麗な景色を見ているのですね」

「綺麗……そうですね、あなたと見ているからか、綺麗だと感じます」

「あ! 私もそうだったんです。朝起きたらいつもの風景が綺麗に見えました。シエル様が私のお友達になってくれたからです」

「……なるほど。そう、かもしれません。いつもはどうとも思わないのに、今日は美しいと感じます」


 私とシエル様は顔を見合わせて微笑み合う。シエル様はそれから少し困ったように眉を寄せて「ずっとこうしていたいと思ってしまいますね」とぽつりと言った。


「お空の散歩、私はいつでも大歓迎です。シエル様さえよければ、また乗せてください」

「ええ。こちらこそ、また誘わせてください」


 まんまる羊は森の手前に降り立った。市場のおばさまが教えてくれた通りに、森を進んでいくと低木に生る私の拳ぐらいの大きさのハート型の野イチゴ、クイーンベリーが沢山生っていた。


「わぁ、たくさん……!」


 私は夢中になりながら、カゴにクイーンベリーを摘んでは入れていく。あっという間に大きなカゴがいっぱいになる。これならクイーンベリーのタルトをたくさん作ることができる。


「リディアさん、さがって」


 ふと、ざわざわとクイーンベリーの茂みが揺れて、葉が擦れる音がする。シエル様が私を片腕で庇った。茂みから出てきたのは──。


「あ、蟻……っ」


 一匹一匹が、私の二倍ぐらいの大きさがあるのではないかというぐらい大きな、蟻だった。

 小さな蟻さんは、可愛い。幼い頃なにもすることがなかった私は、一人きりでぽつんと庭の片隅に座り込んで蟻の行列を見ていたものである。懐かしいわね。

 でも、巨大な蟻さんは──怖い。


「ヴォラクアアント。貪欲な蟻、という意味です。王都近郊まで現れるとは……大丈夫、すぐに終わります」


 シエル様は優雅に片手を突き出した。シエル様の手の平の前に、青く光り輝く魔法陣が現れる。


「凍星の蒼」


 詠唱と共に魔法陣からいくつも流れ星のような光が放たれる。青い流れ星は、私たちに軍隊のように襲い掛かってくる蟻さんたちをカチカチに凍り付かせた。


 凍り付いた蟻さんは、パキン、パキンと、粉々に割れる。あっという間に蟻さんたちはいなくなり、森は元の静けさを取り戻した。


 私は唖然としながら、シエル様を見あげる。


 シエル様は私を振り向き「……怖かったでしょうか」と、小さな声で尋ねた。


「すごい! 蟻さんたちがあっという間に……! ありがとうございます、シエル様が一緒に来てくれてよかったです。私一人だったら、死んでいたところでした」

「……リディアさん。絶対に、駄目です。王都から外に出るときは、必ず僕に言ってください」

「はい。約束しますね。せっかくお友達ができたのですから、長生きしないといけません。シエル様もですよ。シエル様はお強いですが、無茶はしてはいけません。一緒に長生きしましょうね」


 シエル様は──無理をするところがあると、私は知っている。

 私を守ってくれるのは嬉しいけれど、私はシエル様にも元気でいて欲しい。


 高い位置にある綺麗な顔を見あげて微笑むと、シエル様は驚いたように目を見開いて、それから──とても珍しいことに、顔を手で隠しながら一歩、後退った。


 そして──クイーンベリーの茂みの中に、見事に体を突っ込んで、盛大に転んだのだった。


「シエル様!?」

「……っ、な、なんでもありません。本当に、なんでもないんです。すみません」

「大丈夫ですか、シエル様……!」


 慌てて駆け寄って助け起こそうとした私は、蟻さんたちを退治したときの氷が地面に残っていたせいで、つるっと滑ってクイーンベリーの入ったカゴごとシエル様の上に倒れ込んだ。


「わぁ……っ!」


 べしょっとシエル様の上にのしかかる私を、シエル様が片手で抱きとめてくれる。


「い、いちごが……っ」


 無残につぶれたクイーンベリーを思い青ざめる。顔をあげた私が見たものは、カゴから飛び散ったクイーンベリーが私たちの周りにふわふわ浮かんでいる光景だった。


「わぁ、すごい! 空飛ぶ苺ですね、シエル様。よかった、潰れなくて。って、あぁ! 私がシエル様を潰して……っ」

「大丈夫です。その……あなたは、軽い、ので」


 私の腰に、シエル様の腕がまわる。起きあがろうとした私は、シエル様の腕の中に閉じ込められた。


「どうしましたか? どこか痛みますか?」

「いいえ。……長生きをして欲しいと言われたのは、はじめてです。その逆は何度も、ありましたが。あなたと共に、長く生きてもいいのかと思うと……戸惑ってしまって。リディアさん。しばらくこうしていてもいいですか」

「は、はい。その、重く、ないなら……」


 どこか甘えるように言われて、胸の鼓動が、とくんと耳の奥で聞こえた気がした。


 私はシエル様の腕の中で、しばらくじっとしていた。

 その逆は何度も、という言葉が悲しかった。けれど同時に、そうして気持ちを伝えてくれることが嬉しいと感じる。何でも話すことができるのが、お友達というものだ。


 一緒にお弁当を食べて、それからクイーンベリーのタルトも作ったら、シエル様に食べてもらおう。

 シエル様の長生きのためにと、私はシエル様にご飯を沢山食べさせる決意を固めたのだった。



  


R7年8月25日

八月ヤ子先生によるコミカライズ単行本第一巻が発売になります!

ぜひぜひ、よろしくおねがいします!!

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