表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
291/296

侍女たちの夜(シエリディ派による一つの可能性)



 ◇



 シエル・ヴァーミリオンは眠りが浅い。

 これは昔からの癖のようなものである。

 何も持たずに辺境伯家を出奔して、己の魔法の力のみを頼りに傭兵になった。

 傭兵ギルドに所属し、依頼をこなして日銭を稼ぐ日々。小さな貸部屋は雑然としていて、ベッドもなければテーブルもなかった。

 

 半宝石人のシエルは、ただでさえ侮られるのだが、年齢が若いせいでよけいにそうだった。

 いつ誰かが襲いかかってくるかわからない。宝石人には人権などないと考えている者も多い。


 日雇いの傭兵など行儀がいいものの方が珍しい。稼いだ金を奪いにくる者もあれば、シエルの体に浮き出る宝石を抉ろうとする者もあった。


 必然的に眠りが浅くなる。常に警戒をしなくてはいけなかったからだ。

 昔からそうだった。眠ったか眠らないかよく分からない状態で朝を迎えることも多く、それならばじっとうずくまり目を閉じている必要もないかと、魔法で灯りを灯して本を読んでいることもあった。


(シエル様は幼い頃はろくに教育も受けられなかったらしいので、本は読んでいないのかなと思うわ)

(では、傭兵になってから本を読んでいたということにしましょう)


 ――幼い頃は何もない部屋で窓の外の星を見ていたが、ある程度の金が手に入ると本を読むことが多かった。


 魔導師府に所属し、筆頭魔導師になってからも、同じようなものだ。

 警戒をする必要はなくなったが、癖が抜けない。

 

 どうせ眠れないのだからと仕事を詰め込み、ほとんど空腹を感じないものの生命維持のために固形食料を囓る。

 その仕事内容は多岐に渡り、転移魔法を簡単に使用することのできるシエルは遠くの街や村に置かれている、魔物の侵入を防ぐ結界を張るための魔石に魔力を補充し、危険な魔物が出れば討伐に行き、魔物の研究をし薬草の研究をし、病気について調べたり、城の警護も行う。


 災害救助や、小競り合いの鎮圧。セイントワイスの部下たちは、あの人はいつ休んでいるのだろうかと口をそろえて言うほどだった。


 まるで死に急ぐかのように生きている。穏やかな物腰と優しい口調の裏には鬱屈した感情を常に抱えていた。

 ――自分は、人ではない。人と宝石人からうまれた化け物。

 類い希なる魔法の才能も、その美しい容姿も、体中に浮き出る宝石も。

 シエルにとって自分を形作る全てが、人ならざるものに思えてならなかった。


 王国の民にとって宝石人とはシエルのことだというぐらいに、目立つ立場になってしまった。

 少しでも落ち度がないようにしなくては。感情を殺して。いつも、穏やかに。

 そうしなければ、人々の宝石人への悪感情は更に膨れ上がってしまう。


 自分でも気づかない間に、追い詰められていたのだろう。

 シエルは常に空虚だった。自分自身は空っぽなのに、ひたすら他者のために生きている。


 生きたいとは思わない。ただ死ねないだけだ。呼吸を繰り返しているだけ。

 指先から徐々に徐々に、少しずつ体を削りながら生きるような日々だ。

 いつか全てがすり減って砂塵のように消えることができるまで、変わらない日々が続いていく。

 

 何かを成し遂げたい訳ではない。人を守るのは、打算なのかもしれない。

 優しくはない。同情的でもない。上滑りする言葉が、唇からこぼれおちては消えていく。


 シエルがリディア・レストに出会ったのは、夜道を散歩しているときに流れ星を見るような、偶然だった。

 けれどその偶然は、シエルの宝石でできた冷たい心臓に、美しい炎を宿した。

 流れ星を見るのは偶然だが、その偶然が人の心のに輝きを灯すように。


 この国には何千、何十万もの人々が暮らしている。その中で出会うことができたのは――偶然であっても、必然だったのかもしれない。


(いい感じです。運命感が醸し出ています!)

(リディア様にとっては偶然でも、シエル様にとっては必然というものですもの……!)


 リディアと出会ってから、シエルは彼女に想いを寄せている。

 この気持ちを伝えるべきなのか。伝えたとして、受け入れてくれるのか。

 自分のような半分人間ではない者が、リディアを愛していいのか。


 様々な葛藤が、シエルを岩の中で眠りにつく鉱物のように黙らせていた。

 そして、今も。リディアと一緒に暮らすようになったというのに、ずっと見ているだけだ。

 優しい兄のような顔をして。

 

「シエル様――眠れないのですか?」


 今日は、騒がしい日だった。

 死者の祭りのパーティーがロベリアで行われていた。

 リディアに出会ったお陰で、シエルの周囲はとても賑やかになった。

 セイントワイスの部下たちと、仕事で話す必要のある人々。その程度の関わりしかないシエルだったが、今は違う。同じような孤独を抱えていたリディアの周りは人で溢れ、その傍にいるシエルもまた同じ。

 

 仮装をしてパーティーに参加するなど、以前のシエルなら考えられないことだった。

 けれど今は、リディアのためなら、リディアが喜ぶのならなんでもしたいと思うのだ。


 騒がしさと熱気を引きずるようにして、シエルはリビングでぼんやりと時間を潰していた。

 眠るのはやはりあまり得意ではない。

 寝付きのいいリディアはもう既に部屋で眠っているだろう。寝顔を想像するだけで、心が温かくなる。

 好きだという気持ちが溢れて、体からこぼれおちてしまうまえに、本当は眠った方がいい。

 分かっているが、ベッドに横になっても怠惰な時間が過ぎていくだけだ。


 元来、宝石人と人の体のつくりは違う。その特性も多少は受け継いでいるのかもしれない。

 食べずとも眠らずとも生きていけるのだ。彼らは、人よりも鉱物に近い。

 

 だからシエルも、眠るのが下手なのかもしれない。

 

 だが、本来ならとっくに眠りについているはずのリディアが、リビングの扉からちょこんと顔をのぞかせた。

 

 寝衣を纏う体は無防備で、髪には僅かに寝癖がついている。

 どことなく夢の中にいるような表情をしているのは、たぶん一度眠っていたからだろう。


「リディアさん、どうしました。起きてしまったのですか?」

「はい。……目が覚めてしまって。シエル様、まだ起きているのかなって、気になって」

「僕のことは気にせず、眠ってください。明日も仕事でしょう?」

「それは、シエル様も一緒です。……いつも、眠れないのですよね。心配です」


 ぱたぱたとリビングに入ってくると、リディアはシエルの隣に座った。

 男と二人で暮らしているという危機感のない行動である。信頼されている証とは思えど、少し、気になった。


(ルシアン様のことはどうしましょう)

(いいですか、創作は自由なので、ここは二人暮らしにしましょう。三人でもいいですが、今回は二人です!)


 大きなアメジストの瞳が、空から流れ落ちそうな星のように輝いて、シエルを見上げる。

 小柄なリディアは、シエルの隣にくるともっと小さく見える。


「シエル様、あの、眠れないのは……どうしてなのでしょう。不安だからでしょうか、私と二人でいるの、嫌ですか……?」

「まさか。……朝も夜もあなたの顔を見ることができるのは、嬉しいと感じます」

「私……シエル様になにか、我慢をさせてしまっていますか?」

「そんなことは……ないですよ」


 あると、答えようかと一瞬迷った。

 その頬に触れたい。抱きしめたい。唇に、触れたい。肌に。

 好きだと伝えたい。朝も夜も、君を愛していると。


「でも、シエル様……いつも遠慮しています。やっぱりずっと、遠慮をしていると思うのです。話し方も、二人でいても……すごく丁寧ですし」

「つい、癖で。……そうですね。……いや、そうだな、か。リディアさ――いや、リディアに出会ってから、一年。この口調で話したことはあまりなかったから、どうにも慣れなくて」

「ふふ、嬉しい」

「そう、かな」

「はい。でも、話しにくかったらいつも通りでもいいです。シエル様の楽な方で」

「あぁ。……ありがとう」


 他者に対しては丁寧な言葉使いを忘れないシエルだが、本来は淡々としていて口数が少ない。

 セイントワイスの者たちの前だけで見せる姿だった。

 どちらがいいのだろうかと、考える。リディアを大切にしたい。

 だとしたら、丁寧で優しい自分でいるべきではないのかとも思う。

 リディアは優しい。どちらでも、受け入れてくれるのだろう。

 けれど――本来の自分を晒すというのは、隠している感情さえさらけだすようで、少し落ち着かない。


「シエル様、あの、今日の、頭の狼の耳。とっても可愛かったです」


 嬉しそうに笑いながら、リディアが言った。

 心配そうにしていたと思ったらすぐに笑ったり、すぐに泣いたり。

 切り替えが早いのもリディアの特長で、泣き顔も怒り顔も笑い顔も、全て愛らしい。

 感情を押し殺すことばかりを覚えてしまったシエルにとってそれは、見ていて飽きない心地いいものだ。


「あぁ、狼の」

「はい。シエル様はあんまり、狼さんっぽくはないですが、何でも似合ってしまいますね。ふさふさで、可愛かったです」

「あなたも可愛らしかった。狼に襲われる、少女の姿」

「少女という年齢でもないのですけれど……もう大人なので」

「……大人か」


 リディアはやや幼いところがあるが、もう十九歳になる。

 シエルから見ればまだ若いが――大人と言われてしまうと、妙に胸がさざめいた。

 大人として、誰かと恋をすることがあるのだろうか。

 自分以外の誰かと。


「僕は、狼のようではないと、あなたは思うのだろうか」

「はい。いつも、優しいですし」

「……今すぐあなたを、食べてしまいたいと思っているとしても?」


 不思議そうに見開かれた瞳に、シエルの姿が映っている。

 押し殺した感情は――今にも溢れそうになっていた。

 

 ◇


「とても素敵ではないでしょうか……!」


 レスト神官家の侍女たちが暮らす部屋である。

 大神殿の奥にあるレスト神官家は城の次に大きい。一時は巨大な蜘蛛女に破壊されたり、赤い月から落ちる魔物たちから人々を守る避難所になったりと大変だったが、今はとても落ち着いている。

 部屋数も多く、侍女たちには一人一部屋、部屋が与えられていた。

 けれど今はとある侍女の部屋に皆で集まって、書き物をしている。


「この先、どうなるのですか?」

「やはり、二人は……!」

「最終的には手を繋いで入水を……けれどリディア様の呼びかけに、シエル様が生きることを選ぶという結末です」

「いい……!」

「すごくいいです……!」

「そして二人はいつまでも幸せに暮らすのですね。リディア様は宝石人と人の架け橋となり、末永く王国にその名が刻まれるのです」

「最高じゃないですか……!」


 シエルとリディアの幸せを願ってやまない派閥の侍女たちの夜が更けていく。

 お嬢様とシエル様に妄想の内容は内緒です、とは、暗黙の了解である。



本編が終わったので…すごく楽しいです…

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ