終章:新装開店ロベリアにようこそ!
お父さんと赤ちゃんのシルフィーナちゃんに、私は駆け寄った。
シルフィーナちゃんは澄んだ青空みたいな瞳で、熱心に揺り籠を覗き込む私や揺り籠の周りに集まるエーリスちゃんたちを見つめている。
「お父さん、この子はシルフィーナちゃんでしょうか」
「あぁ。本当は、悩んだ。私の役目は終わり、シルフィーナも解放された。ともに消えるのが、古い時代から生き続けている私たちの正しい在り方ではないかと」
「お父さん……」
「だが、リディアがシルフィーナを想う心が、私を思い止まらせた。消えゆくシルフィーナの魂のかけらをつなぎとめて、ここに。君の願い通りに。あとはまぁ、なんだ……リディアを私も見守りたい。できることなら、これから君が歩む道を君のそばで、可愛い子犬として」
「はい、お父さん! もちろんです!」
私はお父さんの頭をわしゃわしゃした。
よかった、お父さんがいなくならなくて。
だって、誰かがいなくなってしまうのは、とても寂しいから。
「シルフィーナちゃん……ふふ、ぷにぷに」
私はシルフィーナちゃんのほっぺをぷにぷにした。
シルフィーナちゃんは両手をぱたぱたさせて「だう」と言った。
「だう……えへへ……」
「あぶ」
「あぶ……うふふ……」
赤ちゃんって、こんなに可愛いのね。
ぷくぷくの唇で、可愛い声でお話ししてくれるのがすごく可愛い。
なんて可愛いのかしら……!
――でも。
そこで私は、現実に気づいてしまった。
私、赤ちゃんに触ったことって、一度もないのだわ。
私はシルフィーナちゃんの揺り籠の前にしゃがみ込んだまま、背後を振り返った。
私の後ろでは、何故か皆が顔を見合わせて、黙り込んでいた。
「あ、あの!」
なんだか話しかけづらい雰囲気を醸し出している皆に、私は遠慮がちに話しかける。
「わ、私、赤ちゃんって育てたことなくて……どうしましょう、シエル様……」
「リディアさん。大丈夫です、僕がついています。僕が一緒に育てます」
「シエル様……」
シエル様が嬉しそうに微笑んで、力強く言ってくれる。
いつも頼りになるけれど、なんだかいつも以上に頼りになる感じがする。
少し、雰囲気が変わったかしら。いつもどこか、一歩引いたところから私たちを見ているようなところがあったのに。
今はそれが消えて、なんていうか──今までよりも表情が柔らかくなったみたいだ。
「リディア、待て。何故シエルに頼るんだ? この中では、どう考えても一番赤子から遠いところにいる男だぞ。ラットを研究に使ったことはあっても赤子を育てた経験などないだろう。私に頼るべきだ。私なら慣れている」
「ルシアンさん、赤ちゃんに慣れてる……隠し子が」
「いない。いないが、君との子供が欲しいとは思っている。私がシルフィーナの父親になろう」
「かぼちゃぷりん!」
「タルトタタン……」
「セクハラじゃない。どこで覚えてきたんだ」
エーリスちゃんとファミーヌさんが、ルシアンさんに何かしらの文句を言っている。
レイル様とロクサス様も顔を見合わせた。
「いや、セクハラっぽいけど」
「ルシアンの言葉はすべてセクハラに聞こえるな」
「ルシアンさん……あ、あの、そういうの、困ります……っ」
「ルシアン。そういうはしたないことは、結婚をしてからだ」
いきなり子供を作りたいって言われても、困ってしまうのよ。
子供って、どうやったらできるのかはよくわからないけど、なんかこう、夫婦が愛し合うとできるのだから、つまりルシアンさんは結婚したいと言っているという意味よね。
顔を赤くして困る私を、ステファン様が庇ってくれる。
「じゃあ、結婚をしようか、リディア」
ルシアンさんが皆の言葉なんて何も気にしていないように、にっこり笑って言った。
ルシアンさんもどこか雰囲気が変わったかしら。
優しくて大人で、落ち着いていて――なんて思っていたけれど、今はすごく強引、という感じがする。
「あ、あの、私、その」
「姫君、私は姫君が誰と結婚してもいいよ? 隣に住む優しいお兄さんとして、いつまでも姫君の家に入り浸るつもりだからね。姫君の子供に、私のことを家によくくる謎のおじさんだと思われるのが目標だよ」
「勇者ではないのか、兄上」
「実は勇者だと知られて、驚かれるところまでがワンセットだね」
「そうか……リディア。……俺は……俺は……」
「ロクサス……ロクサス頑張れ、ロクサス……!」
「ロクサス、頑張れ……!」
ロクサス様が何かを言いかけては辞めるのを、レイル様とステファン様が応援している。
どういう状況なのかしら、これ。よくわからない。
「リディア! ろ、ロベリアは、子育てをするには手狭だろう……! 家族で住むには狭いのではないか!? なんせ、ジラール公爵家の物置小屋よりも小さいのだからな!」
「と、とつぜん罵倒された……」
私はびくっと震えた。
ロクサス様から唐突にロベリアを貶されたわ。
確かにその通りすぎて、反論はできないけれど。
一人で住むには十分広いし、エーリスちゃんたちやシルフィーナちゃんと住むにもそんなに狭くはないとは思うのだけれど。
「だ、だから、その……だな……俺が家を建ててやろう!」
「えっ、わ、やったぁ……じゃなくて、そんな、突然建築宣言されても……困ります……」
「リディアの実家はレスト神官家だからな、十分広いと思うが……ロクサス、何も伝わっていないぞ。それでは家を建てたい人だ」
「そうだよ、ロクサス。ずるい大人たちに負けるな、ロクサス」
「そ、そうは言うが、心の準備が……! それに、どう考えても不利ではないか、俺は。未だに親切な眼鏡の人だと思われている気がするのだが」
ステファン様とレイル様が、ロクサス様とこそこそ話をしている。
「リディアさん。手狭で困るというのなら、僕の家に来ますか? 家を増築して、一階を食堂に」
「それなら私の家でも問題ないだろう。改築して、一階を食堂に」
「え、ええと、あの……」
「赤子の世話とは大変なものです。大丈夫です、経験はないですが、知識ならあります。一人では荷が重いでしょうから、僕が一緒に」
「私も、一緒に。リディア。隠し子はいないが、子供の世話はしていた。孤児には幼い子供も多く、捨てられた赤子の面倒を見たこともあるからな」
「ルシアンさん……」
「その突然の悲しい話で気をひく感じ、ルシアン、ずるくない? 姫君は心優しいから、人の不幸に弱いんだよ」
「そうですよ、ルシアン。もう立ち直ったのですから、余計なことを言ってリディアさんを悲しませるのはやめてください」
「こういうときに、自分は遠慮するみたいな態度をずっと取っていたくせに、お前こそずるいだろうシエル」
「そうでしたか。今まで心配をかけてしまった分、僕はリディアさんを守らなくてはと考えています」
「あ、あの……っ」
「皆、とりあえず落ち着け。赤子をどうやって育てるかという話だっただろう? リディアの力になるのは正しいとは思うが、父親の立場を奪い合うのはな。仲良く皆で育てたらいいのではないか」
「そうですね、陛下。ですが、負けられない戦いだと感じています」
「陛下。絶対に負けられない戦いがここにはあるのです。リディアにソーセージの意味を教えるのは私です」
「ルシアン。確か……大きさでは、僕の勝ちだったのでは?」
「ルシアンは普通だった」
「一般的な大きさだったような気がするね、確か」
「落ち着け。お前たち、落ち着け。リディアは純粋無垢ないい子なんだ……まだ子供なんだぞ、リディアを穢すな」
「子供じゃないです……! 赤い月までいきましたし、もう立派な大人です!」
もう、何の話なのかわからない。
ともかくステファン様が私を子供扱いしていることは理解できたので、私は否定した。
「わぁああああんっ」
思いの外大きな声が出てしまったせいか、シルフィーナちゃんが泣き出してしまった。
「かぼちゃぷりん!」
「タルトタタン……」
「あじふらい」
「しらたまあんみつ」
エーリスちゃんたちが赤ちゃんを覗き込みながら、わたわたしている。
メルルちゃんだけはもう疲れたとでも言いたげに、椅子の上に飛び乗ると丸くなった。
私は大慌てで、シルフィーナちゃんを抱き上げる。
「ごめんなさい、シルフィーナちゃん。……あの、何の話か途中からわからなくなっちゃいました、けど……私──」
私は、シルフィーナちゃんをあやしながら、シエル様やルシアンさんを見つめた。
私の気持ちを、伝えないと。
私は。
私は──。
◇
一週間ほど、お休みをもらった。
赤い月の決戦で、疲れ果てていたということもあるし、お引っ越しが大変だったということもある。
シルフィーナちゃんを育てる以上、路地裏のロベリアで過ごすのはあんまりよくない気がした。
やっぱり、もう少し明るくて広くて綺麗な場所がいいもの。
だって、もう一人暮らしではないのだし。
「シルフィーナちゃん、エーリスちゃんたち、新しいロベリアですよ!」
「あぅ」
広い調理場の一角に、シルフィーナちゃん専用の大きな揺り籠が置かれている。
その中には、エーリスちゃんたちも一緒にもちもち入っていて、シルフィーナちゃんのおもちゃやクッションみたいになっている。
シルフィーナちゃんは元気にすくすく育っている。
お父さんが言うにはシルフィーナちゃんは赤ちゃんだけど赤ちゃんではないらしい。
よくわからないけれど、エーリスちゃんたちみたいなものだという。
魔力の塊。つまりは、魔物の一種。
私のところにきた時にはすでにおすわりもできるし、離乳食も食べることができるぐらいの大きさだった。
だから揺り籠で寝ている時もあれば、お椅子に座って落ちないようにベルトをして、もぐもぐご飯を食べている時もある。
ここは、新しいロベリア。
場所は、聖都の一角、アルスバニアの賑やかな広場の角。
大きくそびえ立っている元、幽霊屋敷であり、シエル様のお家。
伸び放題だった草刈りをして、ぐちゃぐちゃだった一階を整理して、ジラール家の財力で改築して。
スッキリ綺麗なお店へと変わっている。
「リディアさん、今日からお店ですか?」
「はい、シエル様。シエル様はお仕事ですよね、気をつけて行ってきてくださいね」
「リディア。あまり無理はするな」
「ルシアンさんは魔物討伐の任務が入っていますよね、気をつけて」
私の頭を撫でて、頬を撫でて、シエル様とルシアンさんが出かけていく。
私は今、シエル様の家でシエル様とルシアンさんと一緒に住んでいる。
正確には、お父さんとエーリスちゃんたちとシルフィーナちゃんもいるので、みんなで一緒に。
私はアルスバニアから離れたくなかった。馴染みの市場もあるし、マーガレットさんもツクヨミさんもいる。
だからシエル様の家に居候させていただくことを選んだのだけれど、シエル様の家の大惨事を見たルシアンさんが、「シエル一人に任せられない。片付けができない男だ。リディアが苦労する」と言って、同居を申し出てくれた。
シエル様は嫌がるかなって思ったけれど、「確かにそれもそうですね」と了解していた。
ちなみに、レイル様の部屋もある。
勇者活動に疲れた時は泊まりに来ると言っていた。というか結構いる。
それなので、レイル様も一緒に住んでいるみたいな感じだ。
こういうのをシェアハウスというのだと、マーガレットさんが教えてくれた。
「いいんじゃないの? リディアちゃんは可愛いんだから、男を三、四人侍らせても」
と、にこにこ言われたので、私は否定しておいた。
侍らせているわけではないもの。一緒にシルフィーナちゃんの面倒を見てもらっているというだけで。
私はロベリアを続けたい。けれど一人で子育ては難しい。
だから、一緒に住んでもらっている。
まだ告白の返事は、保留にしている。
それはよくないことかもしれないけれど、色々なことがありすぎて──シエル様のことは好きだし、ルシアンさんのことも、多分好きだ。
でもずっと、お友達だと思っていた。
今は、お友達よりも大きい感情があると思うのだけれど。
誰かを選ぶとか、そういうのって難しくて。
この気持ちが、もっとはっきりするまでは待っていて欲しいと伝えている。
ルシアンさんは「聖女なのだから夫が何人いてもいいのでは?」とにこやかに言っていて、シエル様は「僕はリディアさんのそばにいることができれば、それでいいですよ」と言っていた。
レイル様もロクサス様もよくくるし、ステファン様も時々。フランソワちゃんも心配してきてくれる。
私は──すごく贅沢で、我儘で、賑やかな日々を過ごしている。
新しい調理場に、以前よりもずっと増えた客席。
オシャレなルシアンさんがデザインしてくれた、新しいロベリアはとっても可愛い。
もう、大衆食堂じゃなくて、オシャレカフェかもしれない。
新しい大衆食堂ロベリアでの一日が、はじまろうとしている。
お店を開く時間になり、扉の外のプレートをクローズからオープンにしようと、私は入り口の扉を開いた。
そこにはすでに、セイントワイスの皆さんや、レオンズロアの皆さん。
それから、マーガレットさんたちや、お父様やお母様、私の知っているたくさんの方々が、お花やプレゼントを持って待っていてくれた。
私は、大きく息を吸い込んだ。
「ようこそ、新装開店大衆食堂ロベリアへ!」
一度目の開店は、暗くどんより淀んだ顔だった。
けれど、二度目の、開店は──にっこり笑顔で!
嬉しそうに皆が笑ってくれる。
お祝いの声と拍手が、アルスバニアの広場に響き渡った。
長い長いお話に、お付き合いくださった皆様、本当にありがとうございました。
感想やブクマ、評価共々、本当に励まされています。
リディアちゃんのお話は、ここで一旦一区切りになります。
けれどまだ恋愛がちゃんと始まっていませんし(重要)
誰とも結婚していませんし(重要)
シエル様とルシアンさんは告白したばかりですし!(重要!)
魔物の子たちと、シルフィーナちゃんを加えたリディアちゃんの新生活を、新章として書いていけたらなと思っています。
訳ありイケメンたちとのドキドキシェアハウス生活を…書きたいですね…!
もう少しいちゃいちゃさせたい(欲望)
そんなわけですので、少し休憩した後、また毎日朝連載もしくは夜連載をしていきたいですね。
その時はまたよろしくお願いいたします。
そして書籍化第二巻も25日に発売になります(明日!)
重ねてよろしくお願いします…!!!
そしてそして、長い連載、一年間頑張ったじゃねーの(跡部様)
というお褒めのお気持ちがありましたら、ささっと下の星マークを押していただけると大変嬉しいです。
よろしくお願いしますー!
束原ミヤコ




