シルフィーナ・キルシュタイン
◆
長い。長い。長い間。
自分が何者なのかも分からなくなるほどに長い間。
ずっと、ひとりだった。
全身を縛る鎖のせいで身動きが取れず、死のうとしても、死ぬこともできない。
まるで、恨めと。憎めと。忘れるなと。
怨嗟の牢獄に、閉じ込められているようだった。
最後の瞬間を、覚えている。
テオバルト様によって子供を奪われた私は、失意と怒りと憎しみと悲しみと絶望の、あらゆる負の感情の煮こごりのようなものに支配された。
もともと、私はとても魔力が多かった。
キルシュタインの中でも優秀な魔法使いの一人で、「シルフィーナなら、なもなき国に嫁いでも、自分の身は自分で守れるだろう」と、お父様に言われた。
お兄様もとても心配してくださったけれど「なにかあれば、使い魔を召喚しなさい。使い魔の背に乗って、キルシュタインに戻ってきなさい」と言われていた。
使い魔は、キルシュタインの者たちの中でも特に優秀な魔法使いが使用できる魔法のひとつ。
自分の魔力を練り上げて、空想上の動物をつくりあげる。
それは空を飛ぶことができるし、馬よりもはやく駆けることができる。
鋭い爪で敵を切り裂くこともできるし、孤独を癒すこともできる。
それは有事の際は兵器であり、人々を守る力となった。
私は使い魔を召喚することがとても得意だったけれど――テオバルト様の前では、それをしようとしなかった。
なもなき国の人々は、魔力がない。
あったとしても、とても弱い。
何度も侵略戦争を繰り替して、そのたびにキルシュタインの使い魔――異形の兵たちに、退けられてきた。
だから、怖いだろうと思った。
それに、テオバルト様はとても優しい人だから、私が魔法を使う必要なんて、これっぽっちもなかった。
けれど、テオバルト様は私とテオバルト様の子供を奪って――それから、私に冷たく言った。
「キルシュタイン人は、異形を召喚できるだろう。お前は私を裏切り、異形と番ったのか」
私がどれほど、違うと否定しても無駄だった。
冷たい瞳。嘲る瞳。テオバルト様は、アレクサンドリアにだけ、優しい。
私は――。
私は、なもなき国を滅ぼす、魔女になった。
可愛いばかりだった、幼い頃から一緒にいてくれた、私のお友達だった使い魔たちを、おそろしい姿にかえた。
戦争を。病を。飢餓を。死を。
滅びを望む私に「シルフィーナがそれを望むのなら」と、お兄様とキルシュタインの人々が加勢をした。
私を傷つけたなもなき国を、キルシュタインを侮辱したテオバルト様を。
女神を騙る女を、このまま放っておくことはできない、と言って。
なもなき国は、魔法が使えない。とても、弱い国。
けれど、どれだけ傷つけても、アレクサンドリアがなもなき国の兵士たちを癒した。
テオバルト様が、アレクサンドリアから与えられた魔法と、聖剣を使って、異形の兵たちを打ち倒した。
そして――。
「私はシルフィーナ・キルシュタイン。国を滅ぼす、魔女となった。私を殺し消し去ろうとも、憎しみは消えたりしない!」
「シルフィーナ……私が、悪かった。すまなかった、シルフィーナ」
私に聖剣を振りかざしたテオバルト様は、その剣を振り下ろすことができずに、剣を落として、私の前に膝をついた。
その肩が震えようとも、その瞳が涙に濡れようとも、頭をさげられようとも。
私の子供は戻ってこない。
私の奪った命は戻ってこない。
お兄様は死んでしまった。多くのキルシュタインの人々が、死んでしまった。
私はそれ以上に多くのなもなき国のものたちの命を踏み潰し、握りつぶし。
けれど――アレクサンドリアは、女神の力で運命を歪め、死の淵から兵士たちを救い続けた。
私は魔女。アレクサンドリアは、女神だ。
「殺せ。さもなくば、殺す」
「テオバルト様……!」
アレクサンドリアの力が、私を包み込む。
私の体は鎖で雁字搦めにされて、地上に手出しできないように、空に――赤い月の中に、閉じ込められた。
悲しい。辛い。痛い。苦しい。
一人だ。
私は、一人。
一人は――嫌だ。
「シルフィーナ、カスタードパイですよ。はい、どうぞ」
優しくて、ゆったりしていて、どこか気の抜けるような、愛らしい声がする。
聖女――いや、聖女ではない。
彼女は――料理人と言った。
どうして、料理人がこんなところにいるのだろう。
あぁ、懐かしい香りがする。
お母様がよく、私につくってくれた、カスタードパイの香りだ。
香ばしくて、甘くて、ラズベリーのソースが甘酸っぱくて、優しい匂い。
お母様がパイを作る日は、朝からずっとできあがるのを楽しみにしていて。
王妃なのに、調理場に立つお母様を、料理人たちは困ったように、けれどあたたかい視線をむけていて。
私はお母様のよこで、パイが焼き上がるのを今か今かと待っていた。
パリパリのパイ生地も、とろとろのカスタードクリームも。
お鍋のなかでぐつぐつ煮える、可愛い赤いラズベリーソースも、大好きだった。
「そんなに食べたら、太るよ?」
「私は太りません、食べたら運動をするのです! お兄様の意地悪!」
「シルフィーナはもう少し太っても可愛いと思うよ」
「ほら、二人とも。できあがったわ。本当に、仲良しね」
優しい手が、私の頭を撫でる。
この世界には、怖いことも、苦しいこともなにもないと、信じていられた――幸せだった。
「はい、シルフィーナ」
私の口に、料理人が――ロベリアの料理人、リディアが、カスタードパイをいれる。
どうして知っているのかしら。
私がカスタードパイとラズベリーソースが、好きなこと。
どうして――。
でも、あたたかい。
とても優しい味がする。
「わぁああああん……っ」
いつの間にか、私の体はすごく小さくなっていた。
大きな声で、溢れた感情ごと吐き出すように、泣き叫ぶ。
寂しかった。もういやだった。苦しいのはいや。一人はいや。
死にたい。もう終わりにしたい。
でも――終わることなんて、できなくて。
私は私の可愛い子たちに、ひどいことをさせてしまった。
柔らかくて、いい匂いのする体が、私を抱きしめてくれたから、私は――泣いて、泣いて。
泣き疲れて、声もかれて、涙も涸れて。
優しい眠りの中に、落ちていった。
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