昔懐かしカスタードパイ
私はシルフィーナとステファン様の元へと駆け寄ると、シルフィーナを庇うようにしてステファン様の前に立った。
シルフィーナは、焦点の合わない瞳を、私たちに向けている。
「──ためた魔力を、全部使った。それでも私は、勝てなかった。だから、殺して」
淡々とした声音で、シルフィーナが言う。
私は大きく首を振った。そんなことをするために、来たんじゃない。
シルフィーナには、ちゃんと感情がある。
感情があって、会話もできる。魔女シルフィーナの中には、ちゃんと、元のシルフィーナが、残っている。
だから──!
「ステファン様、剣を、おろしてください。私に、時間を」
「……君を失ったかと、思った。リディア、よかった」
「心配かけて、ごめんなさい」
私はステファン様の手をぎゅっと握る。
目の前で私が消えてしまって、ステファン様はきっとすごく心細かっただろうと思う。
とても責任感の強い真面目な方だから、あと一歩私が戻ってくるのが遅かったら、きっとシルフィーナは、聖剣によって倒されてしまっていただろう。
間に合って、よかった。
「私は、聖女なんて、大嫌い。聖女は私から、全てを奪った。だからあなたの嘘で塗り固められた仮面を剥がして、本心を曝け出させて、心を壊してあげようと思ったのに。でも、あなたは──」
「私は聖女ではなくてロベリアの料理人ですから! 嘘は、得意じゃありません。自分の心に嘘をつくのが苦手だから、……情けない姿も、恥ずかしい姿も、自分では思いだしたくないような姿も、いつも見せてしまって……でも」
私は両手を広げた。
それから、料理人として、お客様に向ける笑顔をつくる。
それは、最初は慣れない作り笑いだったかもしれない。
でも──ロベリアをはじめて、ご飯を食べてもらえるのが嬉しくて。
美味しいって言ってもらえるのが嬉しくて。
ご飯を食べた人たちが、楽しそうに笑うのが嬉しかった。
私はずっと、一人だった。いつも、警戒心が強い野良猫みたいに相手を威嚇していて、泣いて、怒ってばかりいた。
けれど──お客様たちのために、食べてくれてありがとうの笑顔を続けていたら、いつしかそれは本物になっていた。
「美味しいものを食べて喜んでもらいたいって、お腹いっぱいになってもらいたいって、その気持ちだけはいつでも、本当です。だって、一人ぼっちでいるのも、お腹がすくのも、とても寂しくて、悲しいことだから……!」
私の両手から光が溢れて、何もなかった空間が、ロベリアの調理場へと変わっていく。
調理台、コンロとシンク、窓のそばにはいつもファミーヌさんやメルルちゃんが丸くなっているクッション。
丸椅子にはいつもお父さんが寝ていて、調理台でエーリスちゃんが転がっていて、最近はメドちゃんとイルネスちゃんが、床に敷いた絨毯の上で寝転んでいる。
私のロベリアは、この一年でとても賑やかになった。
皆が、私のそばにいてくれて、私はとても、救われた。寂しい夜はなくなった。ひとりぼっちの朝も、なくなった。
皆と私を繋げてくれたのは、シルフィーナだ。
だから今度は私が、私が──たくさんの幸せをもらった分を、返したい。
いつかの、軽率に呪詛の言葉を吐いていた私みたいに、心が暗闇に落ちてしまったシルフィーナのそばに、いてあげたい。
床から伸びる鎖に繋がれていたシルフィーナは、お姫様の席に座っていた。
立派な椅子に、テーブル。
椅子の周りにはお花が咲き乱れていて、シルフィーナはそこに座っている。
体には鎖が巻かれていてた。
鎖は、シルフィーナを縛りつける赤い月の檻が変化したものなのだろう。
私の魔力で作った空間は、私の想像通りに姿を変えることができるけれど、鎖までは解くことができなかった。
それは、シルフィーナ自身の心を閉じ込めている、堅牢な檻のようにも見える。
「大衆食堂ロベリアにようこそ、キルシュタインのお姫様! とびきり美味しいデザートを作ってさしあげますね!」
私が言うと、調理台の上に、小麦粉やバター、ミルクやお砂糖、卵と、バニラビーンズ、たくさんの木苺がポンポンっと現れる。
ステファン様はシルフィーナの隣で、いつでも鞘に戻した聖剣をもち衛兵のように立っている。
シルフィーナはもう何も言わなかった。
断罪の瞬間を待っているかのように、静かに目を閉じている。
「まずは、パイ生地。小麦粉とバターをほろほろ混ぜて、一つにまとめて、氷魔石保管庫で少し寝かせておきます」
ボウルの中で混ぜ合わせたしっとり可愛いパイ生地を、氷魔石保管庫に入れる。
「その間に、カスタードクリームを作ります。小麦粉とお砂糖に、温めたミルクを少しづつ。よく混ぜ合わせて、卵黄を入れて、さらに混ぜて、火にかけて、ぐつぐつ、焦げないように混ぜ合わせます。それから、バニラビーンズを加えます」
火にかけた小鍋の中で、液体がどろどろっとしてくる。
ぐるぐる混ぜて、焦げないように。全体がどろっとまとまってきたところで火からおろして、こちらも氷魔石保管庫に。
冷やしている間に、ひんやりしたパイ生地を出してくる。
「パイ生地は、何度もおりながら、伸ばして、おって、伸ばして、おって」
粉を振った台に綿棒でパイ生地を伸ばして、重ねて、伸ばして重ねて。
「大きめの四角形を作って、フォークでポツポツ、あとをつけて。真ん中に、カスタード。二つ折りにして、表面に卵黄を塗って。これを炎魔石オーブンで、焼いていきます」
天板に並べたパイを、魔石オーブンで焼いている間に、木苺をよく洗って、小鍋にお砂糖を入れて煮ていく。
ぐつぐつに煮えていく木苺や、オーブンから、バターやお砂糖の焼けるいい香りが漂ってくる。
出来上がったサクサクの三角パイを半分に切ると、中からとろりとカスタードが溢れてくる。
お皿に乗せたカスタードパイに、木苺のソースをかけて──。
「できました! 昔懐かしカスタードパイ、木苺ソースがけです!」
「カスタードパイ……」
シルフィーナが、瞼を開けて、小さな声でつぶやいた。
「リディア。……もし、シルフィーナが」
「大丈夫です、ステファン様。絶対に、大丈夫!」
何か言いかけたステファン様の言葉を遮って、私は胸を張った。
お読みくださりありがとうございました!
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書籍第二巻、8月25日に発売になります。
色々改稿していますので、どうぞよろしくお願いします…!




