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それでも私を憎みませんか



 シルフィーナのかぶる、赤い宝石の仮面の中に落ちた私は、真っ赤な空間にいた。

 床を──瓦礫だらけの大地を、赤が照らしている。

 

 それは、炎だった。


 激しく燃え盛る炎の海の中に、街が沈んでいる。


「……これは、一体」


 私は恐る恐る、一歩足を進めた。

 足元に、見慣れた看板がある。

 

『大衆食堂ロベリア』


 そう、書かれている看板は、炎に炙られて、煤けている。


「……ここは」


 見慣れた景色だった。

 私のお店。路地裏。いつもお花が綺麗に咲いている、お店のそばの家々は焼けて崩れている。

 唖然としながらふらふらと歩いていくと、マーガレットさんのお肉屋さんの前に、マーガレットさんが倒れている。


「マーガレットさん……!」


 駆け寄り抱き起こしたけれど、マーガレットさんは目を閉じたまま開かない。

 私の、大切な街を──不気味な魔物たちが闊歩している。

 巨大な虫のような姿をしたもの、幾つもの目があるもの。

 翼を持つ巨大な動物のようなもの。足がいくつもある、四つ這いに動く巨人のようなもの。


「……マーガレットさん……?」


 マーガレットさんは動かない。私に「リディアちゃん、今日も元気そうね!」と、話しかけてくれない。


「マーガレットさん、マーガレットさん!」


 マーガレットさんのそばに座り込んで、その体を抱きしめながら私は何度も名前を呼んだ。

 ここは、アルスバニア──?

 私は、月から地上に落とされた?


 聖都はもう、魔物たちによって壊滅状態で、マーガレットさんは──。


 ハッとして、周囲を見渡すと、小さな姿に戻ったエーリスちゃんとファミーヌさんと、ロクサス様を守るようにして、レイル様が倒れている。


「レイル様……!」


 みんなぐったりしている。深く目を閉じている。その顔は青白くて。

 まるで作り物の人形みたいに、動かなくて。私が呼んでも、目を開かない。


「レイル様、ロクサス様……エーリスちゃん、ファミーヌさん……!」


 マーガレットさんの体は、気づけば私の手の中から消えていた。

 私はレイル様に駆け寄って、その体をゆすった。

 エーリスちゃんとファミーヌさんを抱き上げる。

 いつもふわふわで、ピカピカの身体が、煤けて汚れている。


「みんな……」


 じわりと、涙が滲んだ。

 いつも「大丈夫だよ姫君」って笑ってくれるレイル様が、不機嫌そうだけれど「俺も協力しよう」と、言ってくれるちょっと変わっているけれど親切なロクサス様が。


 もう、言葉を返してくれない。


 私の大事な、エーリスちゃんと、ファミーヌさんも。

 家族みたいに、毎日一緒にいた。

 家族みたいに、じゃない。

 私の家族だ。

 それなのに──。


「あ……」


 また、景色が変わった。

 炎に崩れる王宮の前で、ルシアンさんとシエル様が倒れている。

 ルシアンさんはトカゲに似たメドちゃんを抱えていて、シエル様はうさぎに似たイルネスちゃんを抱えている。


「シエル様、ルシアンさん……」


 私は一歩も動くことができなかった。

 誰よりも強い人たちだ。

 誰にも負けないようなほどに、強い人たちが、みんなが──シルフィーナの生み出した魔物たちによって、倒されて──。


 私の力では、傷を治すことはできても、命を元に戻すことはできない。

 生き返らせることはできない。

 

「イルネスちゃん、メドちゃん……」


 私は、間に合わなかった……?

 もう、手遅れで。誰も、助けられなくて。


「……リディア。何が聖女だ。誰も救えなくせに」

「博愛。綺麗事。虫唾が走りますね。あなたの独善が、皆を殺したんです」


 動かないルシアンさんが、瞳と口だけ開いて、私に言った。

 動かないシエル様も、冷たい声で私に言った。


「……違う」


 あぁ、違う。

 炎は、熱くない。木の燃える、匂いもしない。

 最近の調理場は炎魔石を使うけれど、アルスバニアのお祭りでは焚き火をする。

 焚き火でマシュマロや、お魚やきのこを焼いて食べるのだ。


 そうすると、木の燃える音がする。炎は熱くて、薪の煤けた匂いと、煙の匂いがする。


 シルフィーナは長い間閉じ込められていたから。

 炎の熱さも、煙の匂いも、きっと忘れてしまったのだろう。


 そこまで、幻想の中で作り上げることはできなかったのかもしれない。


「……ルシアンさんもシエル様もそんなことは言わない。シルフィーナ、姿を見せて! これは幻! みんな、魔物に負けるほど弱くない!」


 座り込んでいた私は、お腹に力を込めて立ち上がると、燃える街に向けて叫んだ。

 シエル様もルシアンさんも、イルネスちゃんもメドちゃんも幻だ。

 だから、駆け寄ったりしない。惑わされたりしない。


 胸の奥は痛むけれど、背筋が冷たくなるけれど──皆、簡単に魔物に倒されたりしない。

 皆、今きっと、街の人たちを守りながら必死に戦ってくれているはずだ。

 私は立ち止まるわけにはいかない。傷ついた皆の姿の幻を見て、悲しみに沈み泣いている場合なんかじゃない!


『──私の心は痛まない』


 どこからともなく、声がする。

 それは、感情を失ったような、平坦な声音だった。


『多くの人が死んでも。私がそれをしたとしても。私の心は、痛まない。私は滅びを望んでいる』


「シルフィーナ!」


『私は、皆を殺す。それを望んでいる。私は、あなたの大切な人たちを殺す。殺す。殺す』


「皆、とっても強いんですよ。守りたいものがあるから、とても強い。あなたにもあったはずです、シルフィーナ! あなたは……赤ちゃんを、守りたかったんじゃないですか?」


『私の、赤ちゃん……私の……私の、可愛い子供、奪われた……宝石みたいに、キラキラしていて、とても可愛かったのに……!』


「シルフィーナ、お願いです。魔物はあなたが産んだのでしょう? エーリスちゃんたちも、あなたが産んだんでしょう? あなたの子供たちに、ひどいことをさせないで……!」


『私はあなたに、あなたがもっとも恐れている光景を見せた。あなたは私を恨むはず。聖女など綺麗ごとばかり。本当は、私が憎くて仕方ないくせに!』


「私はあなたを恨みません。憎んだりもしません。私は、聖女じゃなくて、ロベリアの料理人です。辛いことがあって何も食べられなくて、お腹が空いてすごく悲しい気持ちになっている人を助けるのが、料理人の仕事です!」


 燃え盛る街の景色が、赤い空間へと変わった。

 赤い空間には、人の姿をした魔物たちの残骸が散らばっている。

 そこには床から伸びる鎖に繋がれたシルフィーナがいる。

 金の髪が床に川のように広がり、黒いドレスは薄汚れてぼろぼろになっている。


「シルフィーナ!」


「リディア!」


 ステファン様が、シルフィーナに聖剣を振り上げて、今にもその首を落とそうとしているように見えた。

 私の声に気づいたように、ステファン様が振り返る。

 シルフィーナは、断罪を待っているかのように、顔をあげることもしなかった。



お読みくださりありがとうございました!

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