ツクヨミさんと蛸壺
朝の市場も人が多いけれど、午前中の市場も賑わっている。
聖都アスカリッドは港に隣接していて、南地区の市場は海辺のすぐそばにあるので、新鮮な海産物も手に入りやすい。
市場に赴くのは街の人々の中でも、中流階級から下の人々だけだ。
上流階級の人々や貴族たちは、自分たちで食材を買うことなんて滅多にないので、貴族地区の北地区や、上流階級の人々の住む西地区には市場はない。
それらの家の使用人の方々や、中層の東地区の人々も、南地区の市場に買い物に来る場合が多い。
「リディアちゃん、今日は珍しい時間にきたねぇ。ほら、飴だよ。お食べ」
野菜を売っているお店のおばさまが、私に飴をくれた。
私はお礼を言ってありがたく飴をもらって、口の中でころころ転がしながら、市場の奥へと向かう。
市場のおばさまたちは、私に飴をよくくれる。
どうやら「リディアちゃんに飴を食べさせると、機嫌が良くなる」と思われているらしい。
確かに飴は甘いので、舐めている間は私は機嫌が良い。
飴を食べながら不機嫌になる人は、この世の中にはあんまりいないんじゃないかなって思う。
野菜も買いたいのだけれど、野菜は重たいので一番最後にしよう。
まずは、海産物と、それがなければ乾物が欲しい。
「ひじきごはん……」
ツクヨミさんが売っている乾物のひじきを水に戻して、油揚げとにんじんと、鰹節からとったお出汁とお醤油とお酒を入れて炊いたご飯。
あれは美味しい。おにぎりにしても美味しい。
お魚がなければ、ひじきご飯でも良い。お味噌汁とひじきご飯と、お野菜のおひたしで、お昼ご飯のランチセットは十分だと思う。
子供たちにはひじきご飯とお野菜のおひたしは不人気だけれど、若いお姉様方には人気がある。
あと、傭兵や冒険者のおじさま方にも人気がある。
油っこくなくて良いらしい。
どうして私がむさ苦しいおじさまたちの好みを把握する必要があるのかしら。解せないわよ。
「お嬢ちゃん、買い物か?」
「ツクヨミさん、こんにちは。お買い物に来ました。油揚げとひじきが欲しいです。あと、お味噌と、乾燥わかめと、鰹節」
「そりゃ、構わねぇが。ちょうど良いところに来たな、お嬢ちゃん」
ツクヨミさんは市場の港前にいつもお店を出している。
積まれた木箱に色々な商品が入っていて、ツクヨミさんは椅子に座って煙管を咥えている。
煙管はマーガレットさんのアロマ煙草とはまた違う形をしている。
倭国の煙草で、先端にハーブを詰めて、火をつけて吸うらしい。虫除けの効果があると、ツクヨミさんがいつか教えてくれた。
ツクヨミさんがお店を構えているすぐそばには、白い浜辺がある。
浜辺では、子供たちが裸足で遊んでいる。
浜辺では、貝が取れるので、子供たちの面倒を見ながら、女性たちがアサリや蛤を拾っている。
白い波が寄せては返して、ざ、ざ、と海の音が聞こえる。
塩気を帯びた風と、かすかな磯の香りが、心地良い。私は海が好き。
レスト神官家にいたときは、見ることができなかったものだ。
浜辺には外洋に向けて長い桟橋がいくつかかかっている。
ツクヨミさんのお店から真っ直ぐ進んだ場所にある桟橋の横には、くじら一号の姿がある。
「良いところですか? 何か、安売りをしていますか?」
「ちょうど今から、今朝海に仕掛けた蛸壺を引き上げにいくところでな。一緒にきな、お嬢ちゃん」
「い、一緒に、ですか……」
「あぁ。手伝ってくれたら、新鮮な蛸を安く売ってやるよ」
ツクヨミさんは片目を細めて言った。
右目は布の下に隠れているので、どうなっているのかわからない。
長い黒髪や、赤地に黒い蛸柄の着物が、風に揺れている。
「たこ……」
蛸は美味しい。
ベルナール王国の人々は、蛸をよく食べる。
煮込んだり、焼いたり、ゆがいて和物にしたり、揚げ物にしたり色々。
「たこかぁ……」
「蛸、不満か、お嬢ちゃん」
「ツクヨミさんは、蛸が好きですよね……」
いつも蛸柄の着物を着ているし。
「あぁ。自慢じゃねぇが、俺の友達はくじらと烏賊と蛸だけだからな。あとマーガレットか。あれは飲み友達だ」
「友達なのに食べるんですか……」
私は衝撃を受けた。
お友達は食べない。私はシエル様を食べない。
「くじら一号に乗ってる、ヒョウモン君は食わねぇよ。友達だからな」
「普通のタコは食べるんですね……」
「ありゃ、食糧だ。ヒョウモン君も食うぞ。蛸」
「ヒョウモン君、実は蛸じゃないんじゃ……」
それはそれは大きなくじらの、ツクヨミさんの船がわりでもあるくじら一号の頭の上には、巨大な蛸が乗っている。
巨大なタコの足に巻き付くようにして、丸い風船状の膜のようなものの中に、座席がある。
座席はかなり広くて、私とツクヨミさんが乗っても、他にもたくさん荷物を乗せられるぐらいに十分なスペースがある。
「どうだろうな。ヒョウモン君は自分は蛸だって言ってるんだから、蛸なんじゃねぇか」
ツクヨミさんは倭国の法術師だ。
倭国の法術師は、動物と心を通わせたり、喋ることができるらしい。
倭国の方はツクヨミさんぐらいしか知り合いはいないので、これらは全て、ツクヨミさんが教えてくれたことなので、本当か嘘かはわからないのだけれど。
「それよりお嬢ちゃん、行くぞ。今頃蛸壺に、大きな蛸が大量に入っているはずだ」
ツクヨミさんは煙管の先端の葉っぱを灰皿に捨てると、着物の袂に入れた。
ツクヨミさんの着物の袂には、いろんなものが入っている。
けれどあんまり膨らんでいない。不思議ね。
「で、でも、蛸かぁ……」
今日はひじきご飯とお味噌汁だし。蛸を買いに来る予定じゃなかった。
美味しいけれど、今すぐ蛸が欲しいというわけではないのよね。
それに、ツクヨミさんも男性だ。
すごく大人だし、私のことは子供みたいに扱ってくるから意識したことはあんまりないけれど、男性なのよ。
男性と二人で、船に乗って海に出るというのは、ちょっと嫌だなって思うのよ。
「わ、わ……っ」
「ぐずぐずするな、お嬢ちゃん。蛸が俺たちを待ってる」
「いやぁぁあっ、おろして、おろしてぇ……っ」
ツクヨミさんは私をあっさり抱え上げた。
ヒョイっと、肩に。
私は肩に担ぎあげられる星の下に生まれたのかしら。これで二回目だわ。
シエル様に続き、ツクヨミさんにも誘拐されようとしている。蛸釣りに。
市場のおばさまたちが微笑ましそうに私たちを見守っている。
嫌がる娘を釣りに連れ出すお父さんの構図だと思われているわよ。
違うの、誘拐なの……!
「楽しいぞ、蛸釣り。お嬢ちゃんも素手で蛸を捕まえてみると良い」
「い、嫌です、いや、私は料理人なので……っ、ツクヨミさんみたいに、蛸に熱烈な愛情とかないので……」
「一度捕まえてみたら病みつきになる。あの感触、吸い付く吸盤、食うと美味い。蛸には良い所しかない」
「私は、ひじき、ひじきを買いに来たんですよ……っ、蛸じゃなくて!」
「お嬢ちゃん、蛸よりもひじきの方が良いとか言うと、ヒョウモン君が傷つく」
私はハッとして顔を上げた。
くじら一号の上に乗っているヒョウモン君が、心なしか寂しそうだ。
「ご、ごめんね……!」
ヒョウモン君が嫌いとかではないのよ。好きでもないけど。蛸だし。
そうして私はツクヨミさんによって、くじら一号の頭の上の座席に押し込まれて、海へ出たのだった。
市場に買い物に来ただけなのに。
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