赤い月の牢獄
お父さんの放った光のやきとり串が、巨大なシルフィーナの顔に突き刺さり、風穴をあける。
シルフィーナは両手で顔をかきむしるようにしていたけれど、やがてその顔面にぴしりぴしりと歪みができはじめる。
「開くのは一瞬だ。すぐに再生がはじまる。ここは私に任せて、いきなさい!」
お父さんが再び軽く手をあげると、輝く丸い無数の光玉のようなものが現れる。
玉――。
玉というか、これは――。
「お父さん、微妙にやきとりのつくねの形をしています……!」
「つくねは私の好物だからな!」
無数のつくねがシルフィーナの顔に降り注ぎ、顔の中央がぱっくりと開く。
巨大な女性がシルフィーナの本体なのかと思っていたけれど、違うみたいだ。
メルルちゃんが開かれた女の顔の中央に向かって飛んでいく。
裂けた顔面が再び一つに戻ろうとして、無数の手のようなものが傷口からはえて連結していく。
それはさながら巨大な森のようで、ついでのように進む私たちを絡め取ろうとしてくるのを、メルルちゃんが上下に飛んで避けていく。
「来たれ、聖剣!」
ステファン様が手を高くあげると、手の中に光り輝く剣が現れる。
赤い森の中から私たちに襲いかかってくる、禍々しい黒い炎の羽を持った蝶の群れを切り開いた。
聖剣の聖なる光は、炎蝶をたやすく切り払い、眼前に現れた血管を無数に組み合わせてつくったような大きな顔のない赤い羽を持つ人を、切り裂いて霧散させていく。
長い長い洞窟のような空間を抜けると、何もない大広間のような場所に出た。
大広間のような場所の中央に、不格好な鉄の格子が何本も突き刺さっている。
鉄の格子の向こう側に、両手と両足に手枷と足枷が嵌められている美しい女性が、床にぺたんと座り込んでいた。
大広間の天井は、赤が広がっている。ただ、赤い。それだけだ。何もない。
床は菱形のタイルが並んでいて、此方は赤と黒が順番に並んでいた。
月は落ちていっているのに、月の外郭には巨大な女性がはえていて、魔物たちを生み出し続けているのに――月の中には静寂が満ちている。
シルフィーナは、無心にガシャガシャと音を立てながら、床からはえている手枷や足枷を両手や両足を引っ張って外そうとしている。
黒いドレスを着た美しい女性だ。
黄金の髪と、青い瞳の――人形のような美貌を持った女性で、私たちが一歩前に進むと、はじめて物音に気づいたかのようの顔をあげた。
「アレクサンドリア、テオバルト様……」
涼やかな、けれど疲れに掠れたような声が響く。
大きく見開かれた瞳に、憎しみが宿った。
「憎い、憎い……っ、お前たちが憎い……! 殺す、殺す殺す、死ね、死ね!」
何度もその言葉を繰り返してきたのだろう。
私の記憶にもある。
シルフィーナの記憶に、その感情は強く残っている。
シルフィーナの瞳から、赤い涙がこぼれおちる。
青い瞳は白い眼球から黒く染まっていき、青かった瞳孔は赤く色を変えた。
白く嫋やかな手からは、長い爪が伸びる。
金の髪が床に広がって、シルフィーナはその場からゆらりと立ち上がった。
「シルフィーナ、話をしにきました!」
「黙れ。アレクサンドリア! 傲慢な女神め……! 封印はとかれる。私は、貴様を殺す」
「私はアレクサンドリアじゃありません。アレクサンドリア様もテオバルト様も、もういない。ずっと昔に、いなくなったのです……!」
「黙れ!」
私がシルフィーナに駆けよろうとすると、ステファン様がそれを止めた。
シルフィーナの激高と共に、広い空間の天井が、無数に包丁で切った指先に血の玉が膨らんでいくようにして、ぷっくりと膨らんでぼたりぼたりと落ちてくる。
それは床で丸まり、無数の不格好な人の形へ姿を変える。
その人の形をした魔物のような者たちが、一斉に私たちに飛びかかってくる。
ステファン様の聖剣が輝き、無数の魔物たちを切り裂いた。
けれど、後から後から湧いてくる魔物たちを相手にするのに精一杯で、シルフィーナとの間には距離がある。
話をしたいのに――拒絶、されている。
それは、そうよね。
シルフィーナはずっと一人だった。
愛している人に裏切られて、ずっと一人。
寂しい場所で一人きりで、悲しみと憎しみの牢獄に閉じ込められていた。
私はシルフィーナと同じなんてとても言えない。
けれど私も、同じだった。
最初に、シエル様に助けを求められたとき、嫌がって逃げて、恨み言を吐いたりもして。
男なんて信用できないって、文句ばかり言っていて。
私の拒絶の態度が、シエル様を傷つけていることに、気づくことができなかったもの。
――拒絶されても、憎まれても、嫌われても、私はシルフィーナに手を伸ばさなくてはいけない。
それはエーリスちゃんたちの為。
アレクサンドリア様の望みを、果たすため。
それだけじゃない。
私が、シルフィーナを助けたいって思ってる。
あの可愛い日記を書いた女の子を、悲しくて怖い場所から、助けてあげたい。
「シルフィーナ! 話をしたいの! 私は、あなたを助けるためにここに来ました! 私はリディア・レスト! 大衆食堂ロベリアの料理人です!」
私は聖女――。
そうかもしれない。
けれど、聖女だからなんて、そんなに重要なことじゃない。
寂しくて苦しくて、何も食べられなくて。
一人きりで泣いている女の子に、美味しいご飯を食べさせてあげたい。
ロベリアの、料理人として。
「守られているばかりの女神のくせに。戦う力も、ないくせに」
シルフィーナはそうぽつりと言った。
「リディア!」
ステファン様の私を呼ぶ声と、私の足下に真っ黒い穴がぽっかりと開いて、その中に私がずるっと落ちていくのはほぼ同時だった。
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