割れる結界
王宮前では、ノクトさんがレオンズロアの方々に指示を出していて、王宮近隣に住む人々の避難所として大広間を開いて中に招き入れていた。
「団長! リディアさん、それにシエルさん……!」
ノクトさんが私たちに気づいて大きく手を振ってくれる。
私たちはノクトさんの元へと向かった。
「いつもと違うロザラクリマが起って……陛下とジラール公爵家の方々たちが集まって、俺たちに指示を出してくれています。レオンズロアは聖都の各地区で待機して、魔物の襲来に備えていて、できる限り、守りやすいように人々を一カ所に集めています」
「ノクト、留守にしてすまない。迅速な対応、感謝する」
「大丈夫ですよ、団長。団長がいないときのために、俺がいるんですから。――しかし、あれは一体何なんでしょう」
シルフィーナの腕が、何度も結界を叩き、ひっかき、殴り続けている。
地響きと共に、人々の叫び声があがり、私たちの姿に気づいた人々が「助けてください!」「聖女様」「魔導師様……!」「ルシアン様!」と、恐怖に震える声をあげる。
「皆、落ち着いて! 列を乱さず、中に!」
ノクトさんの厳しい声が響き、王宮に向かう隊列を見出し私たちの方へと駆け寄ろうとする人々を、両手を開いて止めた。
――皆、怖がっている。
そんなの、当たり前よね。
空を覆い尽くすように、赤い月が落ちてきている。赤い月から巨大な女性の手が、結界を突き破ろうとしている。魔物の群れが、結界にかじりついている。
こんな光景、一度だって見たことがない。
聖都は、セイントワイスの方々が結界で守ってくれていたから、魔物は入り込めなかった。
一度、ファミーヌさんが大神殿を襲撃したけれど、あんなことが起ったのだって、はじめてのことだったもの。
聖都から外に出たことのない人々は、魔物なんて見たことがない。
私も、そうだった。
――私だって、怖くないといえば嘘になる。
でも、しっかりしなきゃ。私は、ステファン様の戴冠式で聖女だと認められた。
今では皆がそれを知っている。
だから皆が、私に助けを求めている。
「――大丈夫です、皆さんは、私たちが守ります! だから、安心して避難していてください! 大丈夫ですから!」
声を張り上げる私に続き、シエル様が口を開いた。
「どうか、落ち着いてください。心を乱し、行動を乱せば、新たな怪我人が出ます。指示に従い、避難を。セイントワイスの名の元に、この国を守るのが僕たちの役割です」
ルシアンさんも、シエル様の後に続ける。
「レオンズロアにかかれば、この程度の魔物など何でもない。恐ろしいと思うが、皆には私や、シエル、それから聖女様がいる。私たちを信じて欲しい」
人々はそれでも恐怖に震えていたけれど、少し落ち着いたように再び避難をはじめる。
ノクトさんは安堵したように深く息をついた。
「……でも、団長、皆さん、どうするんですか」
たぶん人々に聞こえないように、小さな声で密やかに言った。
「魔物の数を減らすのが先だ。その後、月にのぼり、シルフィーナを討伐する」
「……月に?」
ルシアンさんに言われて、ノクトさんは目を丸くした。
「はい。月に、行ってきますね、ノクトさん」
「え……っ、あぁ、でも、不思議だな。リディアさんが言うと、本当に月にのぼれそうな気がする。分かりました。団長、レオンズロアのことは任せてください。団長は、団長の役目を果たしてください」
「あぁ、ノクト。任せた」
ルシアンさんに、ノクトさんは立礼をすると「早く避難を! 扉を閉める。扉は俺たちが守る。セイントワイスの結界もある、安心して欲しい!」といいながら、人々の避難の誘導へと戻っていく。
中央の扉は人々の避難のために使用することができない。
広場から向かって右側にあるセイントワイスの魔導師棟から王宮の中に入り、ステファン様の元へ向かおうとすると、空から誰かが降ってきた。
確認しなくても分かる。
空から降ってくるのは、勇者だと決まっているもの。
「姫君! 皆! 待っていたよ、遅かったね!」
私たちの前でくるくる回って綺麗に着地した、頭に狐面を乗せて黒装束を着たレイル様が、明るい声で言った。
「レイル様!」
「勇者の出番だというのに、姫君はいないし、シエルもルシアンもいないし。でも、来てくれてよかった! 姫君を守って戦う私の姿を人々に見て貰わないといけないからね。私は勇者として有名になるよ、きっと!」
レイル様の姿に、子供たちが遠くから「フォックス仮面だ!」と喜んでいる。
レイル様は大きく手を上げてそれにこたえて「勇者フォックス仮面参上!」と、格好いいポーズをつくった。
「もう有名ですね、レイル様」
「そうだね! 確かに、いつの間にか有名になっていたみたいだ」
ルシアンさんに言われて、レイル様はにこにこしながら頷いた。
少し遅れて、魔導師棟の扉から、ステファン様とその後にロクサス様が、私たちの元へとやってくる。
「リディア、皆、きてくれてよかった。――こういう時、俺は一人では何もできないと、己の無力を痛感する。皆の顔を見て、正直ほっとしてしまった」
「ステファン、無力を痛感している場合ではない。魔物はただの魔物だ。なんとでもなるが――あの巨大な月、それから、魔女だ。あれは、どうするんだ」
困ったように微笑むステファン様に、ロクサス様が厳しく言う。
「ロクサス、そんな怖い顔をしなくても。ロクサスの顔を見ると、皆怯えてしまうよ。大丈夫だって、なんとかなるよ」
「兄上は何をそう楽観的なことが言えるのだ。あれが落ちてきたら、聖都は壊滅する。聖都だけではない。この国も、無事でいられるかどうか」
見上げた空に、ぴしりぴしりと罅がはいっていく。
人々の避難を急かす兵士の方々の声が響く。恐怖のどよめきが、それから、嵐の前の強い風に揺れる森の木々のざわめきのような、低い長いうねりのような音が、鼓膜や、皮膚を、ビリビリと震わせた。
「割れる――」
私は、小さな声で呟いた。
覚悟は決めている。大丈夫だって、自分に言い聞かせている。
でも、怖い。
何かと戦うときは、何かに立ち向かうときは、いつだって、怖い。
「かぼちゃぷりん!」
エーリスちゃんが、おおきく翼をひろげた。
シエル様の肩から、ファミーヌさんが飛び降りて、美しい毛を逆立たせる。
イルネスちゃんが私の腕の中から地面に降りて、二本足で立って空を見上げた。
メドちゃんも地面に転がって、のそのそしながら顔をあげる。
皆、シルフィーナを見つめている。皆の――お母さんを。
パキンと、氷が割れるような音をたてながら、結界に罅が入り、蜂の巣のように細かい六角形の形に割れて、砕けていく。
蟻の大群のような魔物たちが、空から聖都に向かって落ちてくる。
人々の悲鳴を打ち消すように、ステファン様が何も無い場所から取り出した聖剣を、空へと掲げた。
聖剣は美しく輝き、暗く赤い空を照らすように、光が溢れた。
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