月への誘い
――シエル様の声に、答えなければ。
私は念話という魔法が使えないけれど、普通に答えるだけでいいのかしら。
声を出した方がいいのかしら、わからないけれど、とりあえずやってみるしかない。
「ルシアンさん、シエル様が呼んでいて……何か、よくないことが起ったのかもしれません」
「シエルが? ……このタイミングで、か」
ルシアンさんがエーリスちゃんたちに金色の長い髪を引っ張られながら言う。
私はなんだかいたたまれない気持ちになりながら、腕の中のメドちゃんとイルネスちゃんとお父さんをぎゅっとだきしめた。
「ルシアン、リディアのこの慌てようは、何かしたか。お付き合いとはまず交換日記からはじめるものだぞ」
「交換日記もやぶさかではないですがね、お父さん。リディア、交換日記、してみるか。私と」
「え……ちょっと楽しそうです……じゃなくて、それどころじゃなくて」
交換日記の誘惑を振り切って、私はシエル様に答えることにした。
呼ばれているのだから、緊急事態だと思うもの。
シエル様は余程のことがないかぎり、私を呼んだりしないだろうし。
もちろん、何もない方がいいに決まっている。
何も起っていなくて、「リディアさんの声が聞きたくなりました」とか言われた方が、嬉しいけれど。
(私……もしかして、浮気者なのかしら……どうしよう、わからないわ……)
ルシアンさんとの交換日記も楽しそうって思っちゃうし、今だって少し、ドキドキしているもの。
でも、シエル様の声が頭に響くと、不安だけれど少し嬉しいって思う。
これって、すごくいけないことだ。
「……うぅ」
「リディア。恋の悩みはまず置いておいて、はやくシエルにこたえなさい。嫌な予感がする」
「そ、そうですね、お父さん! ええと、えーと……シエル様! シエル様! 私はここです、キルシュタインの地下にいます、地下の宝物庫です!」
私が呼ぶと、私の首にかけてあった首飾りの宝石が僅かに光った。
これは、いつかシエル様に貰ったものと同じ宝石を加工してあるものだ。
ファミーヌさんに操られたフランソワちゃんに襲われたとき、一度シエル様の宝石は私の命を守って壊れてしまった。
だから、新しく、今度は首飾りとしてプレゼントしてもらった。
何かあった時のためにと、ずっとつけていたけれど――。
「――リディアさん、ルシアン、お父さんと、みなさん」
私たちの目の前の床が赤く光り、一瞬のうちにシエル様が現れる。
シエル様の顔を見るとルシアンさんと二人きりで――悪いことをしていた気がして、私は視線を彷徨わせた。
「場所を、教えてくれてよかった。気配を探ることはできるのですが、特定までは難しい。……リディアさん、ルシアンとなにか」
「い、いい、いえ、いえ、なにも」
私は両手をぶんぶん振りたかったけれど、両手はイエルネちゃんとメドちゃんとお父さんで塞がっていたので、両手を振る代わりに皆をぶんぶん振った。
私の腕の中でイルネスちゃんたちが目を回しながら「あじふらい……」「しらたま……」と、小さな声で呟いた。
「何かあったと思うか?」
「その話は、今は。――時間が、あまりないようです。ロザラクリマが起りました」
「いつものことだろう」
「いえ、今回はいつもと違う。まるで赤い月が落ちてきているように、大量の魔物と、あれは恐らく魔女の姿でしょう。何故、今なのか。封印がとかれたのか。わかりませんが、考えている暇はないようです」
「たくさんの、魔物……」
「リディアさん。僕一人でなんとかする――なんて、いつもなら思っていましたが、今はもう、違います。僕はあなたを守る。一緒に来てください」
「はい、もちろんです、シエル様! シルフィーナを助けるために、私、調べ物をしていて」
「何か、みつかりましたか」
「ばっちりです!」
「そうですか、頼りになります」
「頼っていただいて大丈夫ですよ、私、自分の役目を果たします。そのために、私の力はあるのですから」
シエル様に褒められたので、私はにっこり微笑んだ。
そして、私の隣にいるルシアンさんを見上げる。
「ルシアンさん」
「なんだ?」
「最後なんて、言わないでください。もし、ルシアンさんに何かあったら、ルシアンさんの口にジャムがけミートボールをつっこみますからね」
「……あぁ。そうだな。是非、そうしてくれ。口移しがいいな、シエルの時みたいに」
「それはその、場合によっては、です」
ルシアンさんが笑いながら私の頭に手を置いた。
エーリスちゃんがシエル様の頭の上に移動して、ファミーヌさんも肩の上に乗って、シエル様の顔をぺたぺたと触っている。
「かぼちゃぷりん」
「タルトタタン」
「お母さん、落ちてきたのか、と聞いている」
ルシアンさんの通訳に、シエル様は頷いた。
「……ええ。恐らくは。大丈夫ですよ、きっと、あなたたちのお母さんを、リディアさんが救ってくれます。僕たちの役目は、民を守り、リディアさんを守ること」
メルルちゃんも、シエル様の肩にひらりと飛び乗って、その頬に頭を擦り付ける。
「――さぁ、行きましょうか。聖都できっと、ステファン様たちが待っています。まずは、聖都に落ちる魔物から皆を守り、それから月に昇りましょう」
私は頷いた。
幼い少女だったシルフィーナのことを考える。
きっとシルフィーナの中にはまだ、幸せと喜びに満ちた少女が、残っているはずだ。
――そうであってほしい。
シエル様のつくりだした転移魔方陣が、私たちを包み込む。
そして私たちは、キルシュタインの地下から聖都の大神殿の前に一瞬で移動したのだった。
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