ロザラクリマ
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シエルがヴィルシャークの元を訪れたのは、ウィスティリア家やエーデルシュタイン、旧キルシュタインなど、辺境の領地で起った問題の後片付けのため。
それから、シルフィーナの足跡を辿るためだった。
赤い月に幽閉されたシルフィーナを救うため、赤い月にのぼる。
シルフィーナは魔物の子供たちの記憶では、宝石人の母なのだという。
彼女が――宝石人を生み出したのだ。
宝石人とはうまれた時から忌み嫌われる存在で、人々が魔物だと誹ることは正しく、確かに魔物そのものだった。
といっても、今はそれを苦々しく思うこともない。
あのとき――エーデルシュタインの魔石の爆発を街の中でせき止めて、シエルの体は砕ける寸前まで損傷を受けた。
死にたいわけじゃない。でも、自分の命などどうでもよかった。
皆を守って死ぬことに、ためらいを持つことなど一度もなかった。今までのシエルはずっと、そうだった。
けれどリディアに叱責されて、手を伸ばされて、泣かれて。
そんなことを、今まで幾度も繰り返して、はじめてあのとき、死にたくないと思った。
生への執着のようなものが、自分の中にうまれたのはあのときがはじめてだった。
だから今も、ごく自然に生きていることを、今ここに立っていることを、嬉しいと感じている。
生きていれば、リディアの顔を見ることができる。
言葉を交わすことができる。
傍にいることも――これは、わからない。
リディアに救われたのは、自分だけではない。思いを寄せる者は多い。
うまれてはじめて誰かを愛して、欲しいと思って、それを伝えた。
けれどそれが、叶うものなのか、伝えられた喜びと不安が心の中に同時にあるようだ。
まだ、わからない。
ただ死ねば、そこで終わりだ。赤い月には何があるかわからないが、魔物をうみだす魔女という存在は、今までの魔物たちよりも強い力を、魔力を持つだろう。
聖女の力で癒すことができないのなら、討伐をする必要がある。
誰も失うことなくこの国へ戻ってくることが、できればいい。
今までのように己の力を過信したりしない。可能な限り準備を整えて、最後の地に向かいたいと考えている。
ヴィルシャークと、エーデルシュタインから街へ降りてくる宝石人が徐々に増え始めていること、純粋で疑うことを知らない彼らに必要なのは、子供たちの教育なのではないかという話、宝石人の特性である魔力の多さをいかした仕事はないのかなどの話をした。
それから、ウィスティリア家の現状と、投獄されたウィスティリア辺境伯の話なども。
ヴィルシャークに「いつ聖女様と結婚するんだ? 結婚は早いほうがいい、子供は可愛いぞ」と言われて、シエルは「そうなったらいいが、わからないな」と返事をした。
本当に、わからない。
嫌われてはいないとは思う。伝えたことに後悔はしていない。
けれど、もし――駄目だったとしても。
この気持ちは変わったりはしないのだろうと思う。
ヴィルシャークとの話し合いを終えて、シエルはヴィルシャークの今住んでいる屋敷の中を探った。
好きなように見ていいとの許可は得ている。
ヴィルシャークの屋敷は、旧キルシュタイン城である。
一度炎に巻かれたものを、修復したものだ。「住むには広すぎて、落ち着かない」「本当は、キルシュタイン人に返したいが、ベルナール人も城下には多く住んでいるのでそういうわけにはいかない」と、ヴィルシャークは悩ましげに言っていた。
城の中は広すぎて、普段は居室や応接室や執務室ぐらいしか使用していないという。
使用人も多く住んでいるが、それでも広すぎるのだと、自分は王ではなく、ただこの地の管理を任されただけだからなと、ヴィルシャークは苦笑していた。
誰もあまり入らないという書庫には、炎に巻かれたあとに残った資料が適当に詰め込まれていた。
静かな書庫に、一人でいるのがシエルは嫌いではなかった。
シエルとヴィルシャークとの関係は、いいものではなかった。だから、今まではいることができなかった場所だ。
高い天井の上までそびえている書架に囲まれた部屋の中央に静かに立って、ぐるりと周囲を見渡す。
軽く指を弾くと、それらしい表題の本たちがふわりと浮かんで、シエルの前でぱらぱらとページを広げた。
「――魔物のなりたちと、召喚魔法」
ふと気になる記述をみつけて、小さな声で読みあげる。
「魔物は、想像の産物である。力の強い動物が欲しい。神秘的な姿をした生き物が欲しい。子供の描いた落書きのようなもの」
シエルの知識の中では、魔物は赤い月の魔女がうみだすものだった。
けれど、キルシュタイン人にとっては違うのだろうか。
「子供の書いた落書きを、魔力を練り上げ実体としてつくりあげる。キルシュタイン人はその力をつかい魔物をつくり、他の土地を支配した。力の使い方は、不死人が教えてくれた。彼らはもういない。長く続く生に飽きて、姿を消してしまったのだ」
セイントワイスにも召喚術がある。
疑似生命をつくる力だ。それは魔力をそそいでいる間は現れて、それをやめると消えてしまう。
魔力の消耗が激しいので、滅多には行わないが。
キルシュタインの召喚術も同じようなものだろうか。
だが、もっとはっきりと、生命をつくりあげる力があったのかもしれない。
シルフィーナが、魔物をうんでいるように。それと同じ力を、古いキルシュタイン人たちは持っていたのだろう。
「……空が」
先程まで明るかった室内が、不意に灯りを消したように暗くなった。
不穏な風が、窓を軋ませている。
晴れていたはずの空には暗雲が立ちこめていて、稲光が暗い雲に走っている。
「……ロザラクリマ」
ロザラクリマが起るのは、なにもはじめてのことじゃない。
だが、妙な胸騒ぎを感じて、シエルは本を書架に戻すと、転移魔法を使って旧キルシュタイン城の屋上へと出た。
渦巻く雲間から、鮮血のような赤が空に広がりはじめている。
赤い月が、泣き始める。
涙とともに、魔物が落ちる。
だが、これは――。
雲の狭間から、巨大な女の腕が二本、空までかかる梯子のように、何かの間違いのようにはえててきている。
遠くからでも目視することができる、尖った爪が、所々腐りかけたような色の悪い腕が――ゆっくりと姿を現しはじめている。
「これは……」
『シエル様、聖都上空で、ロザラクリマが起りました。見たこともない魔物と――魔物の大群が、落ちてきます』
頭の中で、いつも冷静なリーヴィスの、珍しくやや焦った声が響いた。
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