シルフィーナの日記
『今日も楽しい一日でした。シルフィーナは魔法の才能があると、魔法の先生が褒めてくれたのです。特別魔力が多い優秀な生徒だと言われました。お兄様には内緒です。私の方が優秀だとわかれば、お兄様は悲しむでしょうから』
『今日も嬉しいことがありました。お母様が私にカスタードパイを焼いてくれたのです。木苺のソースがかかっていて、とても美味しいのです。お母様はお料理が得意です。私もお料理ができるようになりたい』
『今日もいい日でした。料理人と一緒にカスタードパイをつくりました。少し失敗してしまったけれど、お母様が喜んで食べてくれました』
たどたどしい文字で書かれた恐らくシルフィーナの日記には、楽しさや嬉しさがあふれていた。
キルシュタインのお城で皆に見守られながら日々を過ごしている、愛らしい幼いお姫様の様子が目に浮かぶようだった。
「……シルフィーナ、昔はとても幸せだったのですね」
こんなに――喜びに満ちた毎日を過ごしているシルフィーナが、今は赤い月に幽閉されている。
永劫とも思える長い時間、たった一人で。
胸が苦しく、日記を持つ手が少し震えた。
読み進めるにつれて、明るく楽しいばかりだったシルフィーナの踊るような文字が、流麗なものへと変わっていく。
『名もなき小国から、停戦協定の提案がきたそうです。名もなき国は、元々は魔力を持たない奴隷階級のキルシュタイン人が反乱を起こし、移り住んだ国。今まで幾度も、祖国であるキルシュタインを奪おうと、攻め入ってきました』
「……魔力を持たない、キルシュタイン人の国?」
『お父様とお母様は戦を嫌います。だからずっと心を痛めていて、なんども交渉を重ねて、今回の停戦協定までようやくこぎつけたのです。私は、和平の証として、あちらの国の王子と――野蛮な国の王子と結婚をしなくてはいけません』
嬉しい、楽しい、幸せとばかり書いていた少女が、急に大人びてしまったみたいだ。
愁いを帯びた文字は、不安で彩られている。
『とても、不安です。私は、敵国の姫ですからきっと、嫌われるでしょう。でも、義務を果たさなくてはいけません。テオバルト様。どんな方なのでしょうか。優しい人だと、私は嬉しいのですが』
いつの間にかこぼれていた涙が、日記にぱたぱたと落ちた。
『できれば、仲良くなりたい。子供がうまれたら、お母様みたいに私も、私の子供に木苺のカスタードパイを食べさせてあげたい。木苺は、あちらの国にあるでしょうか。あるといいな』
シルフィーナのその後を知っている私は、胸苦しさに叫び出したい気持ちになる。
魔女と――皆から嘲られたシルフィーナは、喜びも不安も素直に表現することのできる、愛らしい少女だった。
過去にいけたら――シルフィーナを、苦痛の中から救い出すことができたらいいのに。
どこで、間違ってしまったのだろう。
『この日記には、鍵をつけておきましょう。私以外の誰かが触れても開かないように、鍵を。時々お兄様が、私の日記をこっそりのぞいていたことが、最近わかりましたから。見られたら、恥ずかしいのです』
そこで、日記の文章は終わっていた。
開かない鍵は、シルフィーナがかけたもの。
どうして私が触れたら開いたのかわからないけれど――私は、日記を閉じると、書架に戻した。
「……リディア、大丈夫か?」
「ルシアンさん……」
文字を追いかけるのに夢中になっていたみたいだ。
ルシアンさんが私の手元をカンテラで照らしてくれていたことにも気づかなかった。
ルシアンさんはカンテラを書架の空いている棚に置くと、私の顔を背後から覗き込むようにした。
「ごめんなさい……悲しくなってしまって」
「無理もない。……君は、シルフィーナの人生を記憶を譲渡されることで見ているのだろう。人の記憶を見ることは、普通はできない。伝聞という形で、知ることはあっても」
ルシアンさんの言葉に、私は頷いた。
ずっと昔に生きていたシルフィーナが、昔から知っている友人のように感じられる。
それどころか、私がシルフィーナ自身になってしまったような錯覚さえしそうになる。
「シルフィーナはこのあと、魔女になり――キルシュタイン王国は、おそらく彼女の兄はシルフィーナを傷つけた名もなき国、ベルナール王国に怒り、大きな争いが起こる。結局、女神を有していたベルナールが勝ち、キルシュタインは土地の大半を奪われることになったのだが」
ルシアンさんはそう言うと、深く溜息をついた。
「だが、長く続く歴史の中で交わることもあったのだろうな。魔力を持たないベルナール人たちから、再び魔力を持つものたちがうまれた。ベルナール人たちの魔力が限定的なのは、元々魔法が得意ではない者たちの集まりだったからなのだろう」
「……誰がわるいのか、分からないです、私」
「そうだな。善と悪や、白か黒かで割り切れることばかりじゃない。リディア、……生きるために罪を犯したことが、私にもある。君は私を悪だと言って、嫌うだろうか」
「嫌わないです」
「罪を犯したエーリスたちを嫌うか?」
「嫌いになんてなりません……」
「それと同じだろう。……どこかで何かが間違ってしまったのだろうな。だから、君はシルフィーナを助けたいと思っている。そしてきっと、君にならそれができる」
ルシアンさんはそう言うと、私の腕を軽く引いて、私をくるりと振り向かせた。
面と向かって向き合う形になった私の背中には背の高い書架があって、ルシアンさんが書架に手をつくと、ルシアンさんと書架に挟まれるような姿勢になる。
「ルシアンさん……?」
「リディア。……私は、……俺は、君に伝えなくてはいけないことがある」
薄暗い書架で、カンテラの明りに照らされたルシアンさんの真剣な瞳が、私を射貫くように見つめていた。
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