キルシュタインの昔の話
地下通路は、フォルクスさんが言っていた通り本当に迷路みたいだった。
中央の水路はもう乾いていて、水路の左右に通路がある。
一歩踏み出すごとに、靴音が石畳を踏む音が洞窟のような通路に響く。
「ルシアンさん、あの……」
明かりがともっているのはルシアンさんの持つカンテラと、光っているメルルちゃんだけで、少し離れた場所は真っ暗で何も見えない。
足を進めると通路があって、その通路が左右に別れて、進むとまた左右に別れてを繰り返しているので、ルシアンさんに手を引かれている私は今どこにいるのかさっぱりわからなくなっていた。
「どうした、リディア。暗いところは怖いか?」
「あんまり得意じゃないですけれど、今は大丈夫です。皆もいるし、ルシアンさんもいるから」
「そう思ってくれていると、嬉しい。少しは頼りになっているだろうか」
「はい、それはもう……いつも、頼りにしています」
「シエルよりも?」
「え……っ」
「いや、忘れてくれ。比べる必要はないと分かっているのに、つい、口に出してしまうな」
ルシアンさんは困ったように言って、眉を寄せた。
「シエル様も頼りになりますけれど、ルシアンさんも頼りになりますよ。レイル様も、ステファン様も、いつも助けてもらっています」
「今、ロクサス様の名前が出なかったな」
「ロクサス様は面白いです。ええと、言うと怒られそうだから言わないですけど、弟、という感じがします」
ロクサス様は今いないので、こっそり教えると、ルシアンさんは肩を震わせて笑った。
キルシュタインに来てからルシアンさんの雰囲気がいつもと違うような気がしていた私は、笑ってくれたことにほっとして、肩の力を抜いた。
「……ルシアンさん、キルシュタインにはいい思い出がないってさっき、言っていました。だから、ごめんなさい。色々嫌なこと、思い出しちゃいますよね」
「謝る必要はない。先程も言ったように、それでもここは私の故郷だ。過去については今は、どうとも思っていない。リディア、君の顔を見ていると、過去が変わるわけではないが、文字通り過去を過ぎ去ったものだと思うことができる」
ルシアンさんはそう言うと、私の手に指を絡ませるようにして握りなおした。
一本一本指が絡まって、しっかりと捕まえて離さないみたいなつなぎ方だった。
手のひらがぴったりと合わさって、ごつごつしたルシアンさんの手の感触を、はっきりと感じることができる。
私よりも少し体温が低いルシアンさんと私の体温が混じりあって、どちらの温度か分からなくなる。
閉塞感のある、どこまでも広がる暗く深い地下通路で、頼れるものはルシアンさんだけだと思うと、自然と繋ぐ手に力がこもってしまう。
「……ベルナールによるキルシュタイン制圧後、城も街も火の海だった。私は当時まだ幼く、ジュダールに記憶を改ざんされていたこともあり、覚えていないことも多い。少し前だ。ゼーレ様と、話した」
通路を歩きながら、ルシアンさんが淡々と続ける。
「ゼーレ様は、私の目の前で私の母を殺し、自分が正義だと信じる心が――そこで、折れてしまったのだという。いつの間にか私は城からいなくなっていて、兵士たちに追えと言えば、キルシュタインの王家の生き残りだ、殺せ――という声があがるだろう、私を探し出した兵士が私を殺す可能性が高いと考えたそうだ」
「……はい」
「あまり、楽しい話じゃないな。すまない」
「大丈夫です、聞きたいです。ルシアンさんのこと。何があったのか。ルシアンさんは大人だから、あんまり話さないです、そういうの。……でも、話した方がすっきりすることもあります。話す相手が、私でよければ、ですけど」
私は思わず、少し大きな声を出してしまって、口をつぐんだ。
苦しい記憶は、話すと楽になる。
でも、ルシアンさんは今まであんまりそういう話をすることがなかったわよね。
いつも、なんでもないように笑っていてくれた。
「光栄だよ、リディア。君でなければ、話そうとは思わない」
「はい……」
「……ゼーレ様は、何度も私に謝っていた。キルシュタインのその後の処理を、ウィスティリア辺境伯に任せたのが間違いだったと。辺境伯もそうだが、兵士たちも、その時はすでにキルシュタイン人への嫌悪に心が染まっていて――戦争というのは、人を余計に凶暴にさせるのだろうな。キルシュタインは悪で、ベルナールは正義だと、正義の旗を掲げていたから、余計に」
私は、エーデルシュタインでお話をしたウィスティリア辺境伯のことを思い出す。
シエル様にも宝石人の方々にも、酷いことをした人だ。
今は、投獄されている。さいごまで、分かりあうことができなかった。
「街は焼かれて、火の海になっていた。城も焼かれた。今の街並みは、焼かれた街が修復されたものだ。この地下水路だけは、街の下にあったから無事だった。城から逃げのびた者たちが先導して、多くのキルシュタインの民が、ここに一時避難したようだ」
「そうなのですね……」
「私は運がよかったのだろうな。なんとか生き延びた。ベルナール人たちへの怒りが、憎しみが、私を生かしていた。……だが、同時にキルシュタイン人のことも憎んでいたよ。街に駐屯していたベルナールの兵は、孤児に同情的な者もいた。むしろキルシュタイン人の方が、無力な子供たちをいたぶっていた。何かの腹いせのようにな」
「……ルシアンさん」
「まぁでも、私は強かったんだ、リディア。魔法も得意だったし、ナイフもすぐに使えるようになった。力で勝れば、だれも私に手出しをしない。……それからは、食うために盗みをしたり、ろくでもない場所で働いたりしていた」
「嫌な思いを、たくさんしたんですね」
そんな言葉だけでは足りないだろうけれど。他にいい言葉がみつからない。
「昔の話だがな。私はだから、身ぎれいではないし、誰にも話せないようなこともしてきた。……月魄教団に拾われるまでは」
ルシアンさんはそこで足を止めた。
気づけば私たちは、重厚感のある大きな鉄の扉の前に立っていた。
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