ゼーレ様の言葉
大広間には沢山の貴族たちが集まっている。
楽団が厳かな音楽を奏でていて、私が五人分ぐらいの大きなシャンデリアや、壁に飾られた美しい魔石ランプ、立食用の白いクロスがかけられたテーブルには様々なお料理が並んでいて、煌びやかに着飾った人々が楽しそうに歓談をしている様子を見て、過去の私は身を固くしていたものである。
私の居場所はいつもなくて、話しかけてくれる人も話しかけることができる人もいない。
ステファン様の隣にはフランソワちゃんがいて私はいつも所在なく壁際でぼんやりしていた。
壁際でぼんやりしていると、私の悪口が聞こえてきたりとか、特に何もしていないのにフランソワちゃんのドレスを私が汚したとか、なんだかいろいろ言われて、責められたり怒られたりした。
だから、裏庭によく逃げたのだったわね。
春とか夏とか秋はまだよかったけれど、冬は寒かった。
ドレスは薄手のものが多いので、肩とか腕とかがむき出しになっていると、炎魔石で温度管理されている室内はいいけれど外はとっても寒かった。
「あ」
「……ん? どうした、リディア」
「昔、パーティーにいるのが嫌で、裏庭でこそこそしていたら、レオンズロアの方に話しかけられたことがあって」
ルシアンさんを見上げて、私は言った。
一度――話しかけられた記憶がある。寒いのに外に居て大丈夫なのかと。
私に優しく話しかけてくれる人なんていないと思っていたから、少しびっくりしたことを覚えている。
「あれって……ルシアンさんですか?」
金色の髪の綺麗な人だったけれど、顔はあんまりよく覚えていない。
何を話したかも、よく覚えていない。ただ、話しかけて貰ったのは、嬉しかった。
「あ、……あぁ、……あの頃は、下心があったから、あまり褒められた行動ではない。忘れてくれ」
「下心?」
「君を、こちら側に……キルシュタイン側に引き入れたいという、下心だ」
ルシアンさんは眉を寄せて、目を伏せた。
私はルシアンさんの手を軽く引っ張ると、微笑んだ。
「それでも、嬉しかったです」
「リディア。……あの頃の私は、怒りと復讐心、それだけで生きていた。けれど、君と出会ったから、今日この日を穏やかな気持ちで迎えることができる」
ルシアンさんは私の手を握り返して、手の甲に口づけてくれる。
「私の――俺の、大切な、ロベリアの天使。俺の剣も、俺の心も君のものだ」
「ルシアンさんはいつも大袈裟ですけれど、ありがとうございます」
「大袈裟などではないよ。私だけではない。シエルも、そうだろう」
静かに私たちの様子を見ていてくれたシエル様が話を振られて、俄かに目を見開いた。
それから口元に笑みを浮かべると「そうですね」と、小さく言って頷いた。
「僕はいつも――あなたを傷つけないように、あなたが苦しみを背負わないようにと、考えていました。あなたの、ロベリアでの静かな暮らしを守りたいと。けれど……」
シエル様も私の片手を取った。それから、軽く指先に口づけてくれる。
手の甲への口付けは挨拶だけれど、指先――は、よくわからない。少し、恥ずかしい。
「あなたは自分の意思で、ここまで来た。あなたは優しく、そして、強い。……僕も、救われました。あなたがいなければきっと、僕は自分を失っていました。……ありがとうございます、リディアさん」
「シエル様……それは、私も同じです。私も、シエル様がいてくれたから、頑張れました。一人じゃ、ずっと泣いてばかりだったと思います」
「泣いているあなたも可愛らしいとは思いますけれど」
「シエル様、最近……たくさん可愛いって言ってくれるの、嬉しいですけど、恥ずかしいです」
「僕は素直に自分の気持ちを伝えられることを、嬉しいと感じています」
「私はシエルよりもずっと前からリディアを可愛いと褒めていたが」
「ルシアンさんは、ちょっと軽薄……って思っていたので。今は違いますけれど」
こんなに褒められることってなかったから、なんだか落ち着かない。
そろそろ出番だと、ルシアンさんとシエル様に両手を引かれて椅子から立ち上がった。
エーリスちゃんたちはお留守番なので、侍女の方々が持ってきてくれたパーティー用のごちそうを、テーブルの上に乗ってぱくぱく食べている。
お父様とお母様は、先にステージにあがっていた。
お父様とマルクス公爵に支えられるようにして、ゼーレ様の姿がある。
今日は、無理を押して病床からこちらに来られたようだ。最後の仕事だからと。
ステファン様の傍には、エミリア様とアンナ様の姿がある。
私はルシアンさんとシエル様に連れられて、ステージに向かった。
私が辿り着くと、ステファン様は私の姿を見て優しく微笑んで、恭しく頭を下げてくれた。
「皆――私の最後の言葉だ。心して、聞いて欲しい」
深く椅子に座って、お父様とマルクス公爵に体を支えて貰っているゼーレ様の、掠れて苦し気な、けれども静寂の夜に遠くに響く雷鳴のような力強い声が響いた。
楽団の音が止み、ざわめきが水を打ったようにしんと静まり返る。
「私の命は、あと僅かだ。私は、王として沢山の間違いを犯してしまった。聖女リディアの力であれば、私の体は癒やされて、生きながらえることができるだろう。だが私はそれを望まない」
私は両手を胸の前で握りしめる。
お母様が、私の肩にそっと手を置いてくれる。
「我が息子ステファンは、長らく魔物の支配下にあり、皆を不安にさせたことと思う。だが今は、違う。聖女の力により正気を取り戻し、今は王として、私の代わりを務めてくれている。私の役目は最早ない。私の命を繋ぐ理由はもうないのだ」
「……お父様」
アンナ様が、はらりと涙をこぼした。
エミリア様がその肩を抱きしめる。
「過去、キルシュタインの制圧で、私は多くのキルシュタイン人を殺した。そして、宝石人たちが狩られている現状を知りながら、何もすることができなかった。……後悔ばかりだ」
ゼーレ様はそこで長い息をついた。
心の中にあるものを、全て吐き出すように。
「私は立派な王にはなれなかった。……だがきっと、ステファンは、今よりも平和で穏やかな王国を築いてくれるだろう。キルシュタイン人や、宝石人と手を取り合い――そして、聖女と共に」
その視線が、ルシアンさんとシエル様、そして、私を順番に見た。
私は、大丈夫だと頷く。それぐらいしか、できることはないけれど、せめて安心して欲しい。心穏やかにいていただきたいと思う。
ゼーレ様の代わりに、ゼーレ様の傍を離れたお父様が、王冠を持ってステファン様の前へと立った。
もう、ゼーレ様は言葉を話すことも辛いようだった。
「ステファン。どうか、この国を頼む」
最後の言葉と共に、ステファン様の頭に王冠が乗せられる。
ステファン様は膝をついてそれを受け入れて、それから、ゼーレ様に深く頭を下げた。
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