お母様の思い出
お父様にご飯を食べさせて貰った私は、すぐにお腹がいっぱいになってしまった。
とても食べきれないぐらいの量がテーブルに並んでいたように思うのだけれど、いっぱい食べるエーリスちゃんとイルネスちゃんとメルルちゃんのおかげで、お料理のお皿が次々に空になっていく。
「とてもいい食べっぷりですね、リディア様の動物たちは! これは作り甲斐があるというものです」
料理長さんが嬉しそうにエーリスちゃんやイルネスちゃんを撫でている。
メルルちゃんは撫でられるのが嫌なのか、私の膝の上にぴょんと跳ねて戻ってくると、丸くなった。
「とっても美味しかったです、ありがとうございます」
「うぅ、リディア様……なんて立派に、そして美しく可憐になられて……いくらでも、リディア様のために料理をつくりますからね……本当に申し訳ありませんでした」
「い、いえ、もう大丈夫です。おかげ様で、私、お料理ができるようになりましたし。ロベリア、結構人気なんですよ」
「聖女のいる食堂として、まことしやかに噂になっているようですが……でも、どこにあるのがわからないのだとか」
「どこにあるのかわからない?」
「知る人ぞ知る名店、ということですね」
「ただの大衆食堂なのに……?」
お客さんは増えた気がするけれど、よくわからないわね。
料理長さんの言葉に首を傾げていると、お父様が口を開いた。
「それは、おそらくリディアちゃんの周りにいる者たちがリディアちゃんを守っているせいだろうな」
「私の周りに?」
「あぁ。陛下は勿論だが、シエル君やルシアン君、セイントワイスやレオンズロア、それからジラール家の者たちや、私もそうだが……聖女の料理で病や怪我が癒えるとしたら、リディアちゃんの店は有象無象であふれかえるだろう。だから、恐らくは噂が広まらないようにしているか、もしくは別の噂を流して、巧妙に隠しているかをしているのだろうな。木は森の中に隠せと言うだろう?」
「私、森の中に隠れた方がいいのでしょうか……」
「今までは、リディアちゃんが聖女だと、その力があると皆に広まることの混乱から、リディアちゃんを守る必要があった」
そこまで言うと、お父様は居住まいを正した。
さっきまで、「リディアちゃん、あーん」と言いながら相好を崩していたお父様は、きりりとした表情で真面目に言う。
「だが――戴冠式で、皆の前にリディアちゃんが姿を見せることになれば、今までと同じようにはいかなくなる。リディアちゃんはリディア・レストとして、役割を果たす必要がある。もちろん、ロベリアを続けるなとはいわない。だが……聖女として、人を癒やすための仕事をしていかなくてはいけなくなるだろう」
私はお父様を見つめて、ぱちぱちとまばたきをした。
そうか、そうよね。
でも――私は大丈夫だ。
今までの私なら自信がないと言って逃げていただろうけれど、苦しい思いをしながら生きている人は、困っている人は、この国にたくさんいる。
私は、もう逃げない。
「大丈夫です。私……ロベリアで、一人で暮らして、シエル様と出会って、それから、ロクサス様やレイル様、ルシアンさんやキルシュタインの人たち、ステファン様や、それから、エーデルシュタインの人たち。色んな、人たちが、色んな思いで生きているのを、知りました。……苦しいのも辛いのも私だけじゃないって、分かりました」
「リディアちゃん……」
「私、役に立ちたい。レスト神官家の娘として、私に何ができるのかわからないけど、できることがあれば行いたいと思います。頑張りますね、私」
「お父様が、必ずリディアちゃんを守ろう。その言葉を聞いて、安心した。本当は、戴冠式への出席を迷っていたんだ。今までと違い多くの人の前に出れば、リディアちゃんの自由は失われてしまうのではないかと」
「それは……大丈夫だと思います。私は私の役目を果たしたい。役に立ちたい。でも、役目を果たしながら自由な人もいて……レイル様とか、クリスレインお兄様とか」
「クリスレインは役目をはたしていないけれどね」
お母様が溜息交じりに言った。
そうかもしれないけれど、でも、クリスレインお兄様は立場を捨てているわけではないし。
それからツクヨミさんとか、マーガレットさんとか。
色んな生き方をしている人たちがいることを私は知っている。だから、大丈夫。怖くない。
「リディアちゃん。明日はドレスをつくるための仕立て人を呼んでいる。しばらく、ゆっくり泊っていきなさい。ここは、リディアちゃんの家なのだから」
「ありがとうございます、お父様」
私の家と言われたのが、くすぐったい。
照れながら微笑むと、お父様が私をぎゅうぎゅう抱きしめてきたので、ちょっと痛かった。
お父さんが、今まで隠していたことについてお父様と話すと言って、二人で部屋に籠ったので、私はお母様と二人で神官家の美しく手入れされた広い庭園をお散歩することになった。
いっぱい食べたエーリスちゃんたちは、侍女の方々によって「お風呂にいれます」ということで、連れていかれた。
皆、あわあわしていたけれど、私が「大丈夫です、綺麗になったらふかふかのクッションでお昼寝できますよ」と言うと、大人しく侍女の方々に抱っこされていった。
少し離れたところから侍女の方々の「可愛い、鳥ちゃん! 私は鳥ちゃんをお風呂に入れるわ!」「私はウサギちゃん」「猫ちゃんは私たちよ!」「狐ちゃんおいで~!」という、弾んだ声が聞こえてきた。
もしかして皆、エーリスちゃんたちに触りたかったのかもしれない。
大人気みたいだ。よかった。
夏の気配を感じるこの季節、庭園には様々な花が咲き乱れている。
一番多いのは青い薔薇だった。
「リディアちゃん。これは、ティアンサローズといってね、学生時代お父様が私のために品種改良して作ってくださった青い薔薇なのよ」
「お父様、薔薇を作れるのですね」
「何日も学園にある研究室に籠っていたわね。青い薔薇が咲いた……! と、私に持ってきてくれて、そのまま倒れたわ。懐かしいわね」
お母様が、素敵な思い出みたいに語っている。
そういえば私はお父様とお母様のことをほとんど知らない。
今までゆっくり話す機会もなかったからだ。
青い薔薇は、蜂蜜みたいないい香りがした。美しい黒髪のお母様には、青い薔薇がとても似合う。
「クリスレインから聞いたと思うけれど、私の出身のエルガルドは美食の国と言われていてね。だから、結婚した時には王国一と言われていた料理人──今の料理長ね。私に美味しい料理を食べさせるために雇ってくれたり、ともかく一生懸命だった」
「お母様とお父様は仲良しだったのですね」
「ええ。色々あって……あんなことになってしまったけれど。他国から嫁ぐことになって、フェル様の他に寄る辺のない私を、フェル様は本当に支えてくれたのよ」
薔薇のアーチの下をゆったり歩きながら、お母様は微笑んだ。
その姿は、とても自信にあふれていて、幸せそうに見えた。
風がお母様の髪を揺らした。その瞳が少し切なく、心配そうに潤んで、私を見つめる。
「だからね、リディアちゃん。……今までもずっと大変だったと思う。けれど、これからもきっと、大変だわ。……支えてくれる人をみつけるのは大切なことよ」
「支えてくれる人ですか……」
「ええ。リディアちゃんを好きだという人はたくさんいるでしょう。でも、リディアちゃんの気持ちも大切」
「私の気持ち」
私は目を伏せた。
私の気持ちも大切。
それは、私が──。
「私が目覚めてから、しばらくたったわ。リディアちゃん、好きな人がそろそろできたんじゃないかしら」
私は胸の前で手を組んだ。
私が好きだと思う人。お友達として好きな人はいっぱいいる。
でも、恋人として……真剣に考えようとすると、どうしても恥ずかしい気持ちが先行してしまう。
「私……」
「無理にとはいわないわ。でも、できれば頼る相手がいたほうがいい。リディアちゃんが辛い時支えてくれる人が。そして、辛い時に、支えてあげたいと思う人が。……きっとどこかにいるはずだから」
私は小さく頷いた。
まだ、はっきりとは分からないけれど。
でも、お母様の言葉はすごく分かる。
とりあえず、戴冠式をすませてそれから、シルフィーナを救う方法を探して。
自分のことを考えるのはその先でもいいのかなという気がしたけれど、お母様には言わなかった。
お母様は私を心配してくれていて、私の幸せを願ってくれているのだろう。きっと。
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