The Hanged Man(刑死者)
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小さな顔に、菫色の瞳。嫋やかな黒髪はまっすぐで、白い肌との対比がはっとするほど美しい少女が、白いスカートを摘んで礼をした。
「はじめまして、リディア・レストと申します」
俺に向かって遠慮がちに微笑んだリディアは、その年頃の少女にしては小さく痩せているように見えた。
レスト神官家の娘にしては、ずいぶん貧相だなと、思った。
リディアとの婚約は、国王であるゼーレ父上からの命令だった。
結婚について特に理想があったというわけではない。
神祖テオバルトとその妻である女神アレクサンドリア。
双方を神として祀るベルナール王国は、神官の力が強い。
その神官たちを束ねるフェルドゥール・レスト神官長の影響力は、ベルナール王家と肩を並べるほどだ。
レスト神官家とのつながりを深めるための政略結婚であることは、理解していた。
フェルドゥールに連れられて王宮にやってきたリディアと俺は、王宮の庭園ではじめて挨拶を交わした。
「ステファン・ベルナールだ。これから、よろしく」
リディアと会ったのは、その日がはじめてだった。
フェルドゥール神官長は、リディアはレスト神官家の力を何一つ受け継がない役立たずで、結婚するのなら次女のフランソワにするべきだとしきりに言っていた。
レスト神官家の恥晒しだから、外に出すことはなかったのだと。
実の娘に随分なことをいうものだと、俺は呆れながらそれを聞いていた。
「フェルドゥ。王家は、レスト神官家の神秘の力を欲しているわけではない。必要なのは、ベルナール王家とレスト神官家が信頼関係で結ばれているという事実。どちらが力を持ちすぎても、貴族や国民たちは不安になるものだ。実の娘に対する言葉としては、少々行きすぎているのではないか」
「リディアは、魔力さえ持たない落ちこぼれです。我が娘と思ったことは一度もない」
「それなら尚更、王家が貰い受けても構わないだろう。お前がどう思っていようが、リディアはレスト神官家の正当な血筋の娘だ。……魔力の有無や、その出自、種族の違いで、人の価値が決まるものではない」
父が嘆息しながら言って、フェルドゥール神官長を庭園から王宮へと連れて行った。
俺はリディアと二人で庭園に残された。
リディアは実の父から酷い言葉を投げつけられても、あまり気にした風もなく微笑んでいる。
好奇心に輝く瞳が、花の咲き乱れる庭園にちらちらと向けられている。
「……リディア、花が、好きなのか?」
「お花は、好きです。でも、お花も好きですけれど、神官家から外にでたの、初めてで……だから、色々、珍しくて」
「どういうことだ?」
「ええと……その、私、魔法、使えないおちこぼれですから、……神官家では、私は、いらなくて。きちんとドレスを着たり、こうして外に連れ出してもらえるのは、はじめてなんです」
「リディア……それは、笑いながら言うことではないだろう……!」
俺よりも幼い少女が、微笑みながら口にしたことに、俺は少なからず衝撃を受けた。
リディアの触れただけで折れそうな細くて小さい両肩を掴むと、リディアは驚いたように菫色の瞳を見開いた。
「何故、怒らない? 不遇な扱いを受けていることを、父に、ひどい言葉を投げつけられていることを、なぜ怒らないんだ、リディア」
「なぜ……お屋敷に、置いていただいているだけで、ありがたいことですから。私、役立たずですし。でも、そんなに困ったことはないのですよ。最近は、料理を覚えましたし……料理人たちは私が料理を眺めていても、怒ったりはしないのです。目玉焼きを焼いて食べても、怒られませんし……」
「それは、おかしいだろう。リディア、父が言ったように、魔力の有無で人の価値が決まるものではない」
「こんなに、誰かとお話ししたのは、はじめてです。……言葉を話すのって、疲れるのですね」
「……すまない。……痛かったか、リディア」
リディアが困ったように微笑むので、俺はリディアの両肩を掴んでいた手を離した。
「痛くないです。ステファン様、体温とは、あたたかいものなのですね。知らなかったです」
「……これからは、俺がリディアのことを守る。今すぐにレスト神官家から連れ出せるように、父に頼んでみる」
「あ、ありがとうございます、ステファン様……私、何もできません、けど、……ステファン様のお嫁さんに、選んでいただけて、嬉しいです」
リディアは、恥ずかしそうに言って、はじめて俺の目をまっすぐに見た。
菫色の澄んだ瞳はどこまでも美しくて。
痛みを痛みとも認識していないように見えるリディアを、俺が守らなければいけないと思った。
リディアを生涯守る。そう、心に誓った。
「……リディア」
壁に両手をついて、俺は体を支えた。
まんまる羊に弾き飛ばされたと思ったのだが、怪我はないし、衝撃もない。
しきりに俺を心配してくるセイントワイスの魔導師たちを追い払った。
頭が痛む。
あれから、どうなった。リディアは、俺は。
俺はーー父に、レスト神官家からリディアを王宮にうつすように頼んだ。
父はそれを了承してフェルドゥール神官長にかけあったが、まだ幼く、礼儀作法も未熟だからと拒絶されてしまったらしい。
数年したら、全寮制の学園に入学する。
そうしたらリディアは自由だ。フェルドゥール神官長の支配下から逃れられる。
それまでしばらく、耐えてくれとリディアには伝えた。
王家といえども、レスト神官家の内情には口出しできない。情けないことだが。
それから、俺は。
「……親指程度なわけがないだろう……!」
怒ることを知らなかったリディアが、俺を睨みつけて言った言葉を思い出す。
記憶が、ごっそりと抜け落ちているようだ。
涙に濡れた瞳で俺を睨むリディアと、まるで恋人のように寄り添う、シエルの姿が想起される。
どうして、なぜ、リディアは、俺の婚約者だった。
守ると、誓った。
俺が幸せにすると、強く思った。それなのに。
「ステファン様……! 大丈夫ですか、王宮で騒ぎが起こったと聞いて、心配で、きてしまいました……お姉様が、王宮に入り込んだと」
可憐な声が聞こえて、俺は顔を上げる。
可憐な声、だろうか。まるで、肌を蛇の舌になめられているように、不快な声ではないのか。
「未練がましいお姉様……! ステファン様の前に姿を見せるなんて、まるで、人の食べかすを欲しがる鼠みたい」
「フランソワ……本当、だな。……まるで、鼠のように、見窄らしい姿だった」
違う。
それは、違う。リディアは、泣いていた。泣きながら、怒っていた。
黒い艶やかな髪も、菫色の瞳も、白い肌も、小さな唇も。
あの頃と、変わらない。俺の、可愛らしい婚約者――。
リディアよりもずっと派手な顔立ちの女が、俺の腕に自分の手を絡める。
視界が赤く濁った。
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