碑文の内容
「アレクサンドリアは、不死者の中では一番年齢が若い、最後に生まれた子供。それ故、他の不死者とは違い地上で起きた諍いを体験していませんでした。月から見た地上はとても魅力的で、アレクサンドリアは地上に降りたいと願い、禁忌を破りました」
シエル様のゆったりとして落ち着いた言葉が、静かなロベリアに響く。
女神アレクサンドリア様。それは、レスト神官家の遠いご先祖様だ。
私の力は、女神アレクサンドリア様の力。その女神様は、月から地上に現れた。
「月から地上に現れた癒やしの力を持つ不死者。アレクサンドリアはベルナール王家に保護されて、神祖テオバルトの庇護下に置かれました。アレクサンドリアは恋に落ち、テオバルトに自分を愛して欲しいと乞いました。テオバルトにはシルフィーナという妻がいましたが、月から降りてきた不死者のアレクサンドリアには、シルフィーナからテオバルトを奪うことの意味を理解していなかったのです」
「かぼちゃぷりん!」
「タルトタタン!」
「あじふらい!」
シエル様のお話の途中で、エーリスちゃんとファミーヌさんとイルネスちゃんが、ぷんすか怒りながらシエル様にぶつかっていく。
私はみんなをがしっと掴むと、ぎゅっと抱っこした。
私はシルフィーナの記憶を見た。すごく、苦しくて辛かった。
意味を理解していなかったといういいわけで、許されないほどの罪だ。
テオバルト様の気持ちがどうだったかなんてわからないけれど、女神様に愛してほしいと乞われたら、拒絶できる人間なんていないような気もする。
「……あまり、皆にとっては聞きたくない話ですよね。もう少しだけ」
シエル様は私の腕の中のエーリスちゃんたちを撫でると、続けた。
「あとは皆の知る通り。シルフィーナは深く傷つき、魔女となった。ベルナール王国を滅ぼし、アレクサンドリアを殺そうとしたシルフィーナを、テオバルトとアレクサンドリアは協力して撃ち倒し、赤い月へと幽閉しました。テオバルトはシルフィーナに情があり、殺すことができなかったのです」
「……情があるのなら、殺してやるべきだっただろう」
ルシアンさんが呆れたような口ぶりで言った。
「たとえば、ルシアンがテオバルトで、リディアさんがシルフィーナだったら、ルシアンはリディアさんを殺すことができますか?」
「……私は心変わりなどしない」
「たとえばの話です。僕ならきっと、殺せない。テオバルトの気持ちは少し、わかる気がします」
シエル様とルシアンさんを私は交互に見つめる。
それからはっと気づいて、口を開いた。
「た、確かに、危ないところでした……! それはまるで、私とステファン様と、フランソワちゃんみたいです。私がステファン様を奪われた恨みつらみを溢れさせて、魔女にならずにすんでよかったです」
「リディアは、恨みつらみを込めた料理を作ったぐらいですんだからな。可愛いものだ」
ルシアンさんが気を取り直したように、にこにこしながら私を撫でてくれた。
「怨念のソーセージ、今となっては可愛くないです」
「忘れるんだ、リディア。ソーセージの件はもう終わった」
生真面目に、ステファン様が言う。レイル様が「私も恨みつらみの料理を作る姫君の可愛い姿、見たかったなぁ」と残念そうに言った。
「ジラール家に誘拐した時はさほど恨みつらみという感じではなかったな」
ロクサス様が首を傾げる。ロクサス様に誘拐された時、誘拐自体については怒っていたけれど、婚約破棄の件はもう結構どうでもよくなっていたのよね。
「それは、シエル様に誘拐された後で、少し立ち直っていましたから……」
「僕があなたの料理をしている姿をはじめて見た時、あなたは泣いていましたが、そこまで恨みつらみ、という感じはしませんでした」
「シエル様は私に甘いのです」
ルシアンさんやシエル様の前では、私はかなり恨みつらみという感じだったもの。
エーリスちゃんたちが私にぎゅっとしがみついてくる。シルフィーナのようにならないでと言われているような気がしたので、私はみんなを抱きしめて、大丈夫だとすりすりした。
ふわふわもこもこで、過去の辛い話など吹き飛んでしまうぐらいには気持ちいい。
「──アレクサンドリアは、シルフィーナの悲しみを見てはじめて、自分の犯した罪の重さを知りました。そしてアレクサンドリアは碑文を残し、月へと帰りました」
それた話を戻すように、シエル様が静かな声音で続けた。
「月に戻ったのですか……」
月に戻ることができるのね。降りることができるのだから、戻ることもできるのでしょうけれど。
空の高い場所にある月と行ったり来たりするなんて、なんだか現実味がない。
「碑文に記されていたのは謝罪。己の罪の重さを嘆き、……いつか自分の血を継いだ誰かが、赤い月に幽閉されたシルフィーナの心を癒やし、救ってくれるようにという願いでした。それは憎まれている自分自身にはできないことだろうと。全ての罪を、子孫に託して、アレクサンドリアはこの地から去ったのです」
私は──その言葉に意味に気づいて、まじまじとシエル様を見つめた。
その子孫とは、私。
私は、シルフィーナを救うことができる。
だからシエル様は、先に自分一人で終わらせようとしたのだろう。私を、危険な目に合わせないように。
お読みくださりありがとうございました!
評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。




