シエル様の見たもの
早々に親子丼を食べ終わっていたレイル様がテーブルにだらしなく肘をつきながら呆れたように言う。
「シエルはさ、賢いし基本的にはなんでもできるよね。でもそれって、あんまりいいことじゃないよね」
「頭がよくてなんでもできるのは、いいことじゃない……?」
私はシエル様の手の甲をぎゅうぎゅうつねった後、赤くなってしまったのが申し訳なくなったので、痛いのが飛んでいくように撫でながら首を傾げる。
「そうだよ。なんでもできるから、なんでも自分でしようとする。誰かに頼ろうとせずにね。それはいいことじゃない。結局自分の首を自分で締めるだけ」
「首を……」
シエル様の首は、締められていたのだろうか。シエル様を見上げると、その首に太い縄が巻き付いているように感じられる。
シエル様とぱちりと目が合った。困ったように微笑む顔は、優雅で美しいけれど──。
「どんなに泳ぎが得意だって、自分の力を過信して海底の岩に張り付いた鮑を取るために潜りすぎると、海面に浮上するまでに酸素が足りなくなって溺れ死んでしまうものだよ」
シエル様はずっと、溺れていたのだろうか。
そんなふうには見えなかったけれど、そうなのかもしれない。
「仕事ができることを誇りに思わないことだね、シエル。私は勇者業を趣味でやっているけれど、シエルは趣味じゃないだろう? 大切なのは余暇だ。人を愛したり、趣味に勤しんだり、植物を育てたり美味しいものを食べたり本を読んだり、散歩したり。心の余裕がある男は格好いいだろう、私のように」
「あぁ。兄上は格好いいと思う」
ロクサス様が同意する。
「そうだろう、そうだろう。できないことがあっていい、人に迷惑をかけていいんだ。姫君だって、君が一人で全て終わらせようとして、知らない場所で傷つくよりは、助けて欲しいって縋り付いてきた方が嬉しかったと思うよ」
「……肝に銘じておきます」
レイル様に諭すように言われて、シエル様は頷いた。
「そうですよ、シエル様。もう、隠し事はだめです。だめ。絶対にだめ」
「ええ。……これからは、もっと甘えさせてもらおうと思います。ありがとうございます、リディアさん」
本当は話し方も、もっといつも通りに、普通にしてほしい。
それは今度、改めて言おう。
レイル様は「あー、真面目な話をしてしまった」と言いながら、テーブルに顔を伏せた。
私はシエル様の手からそっと自分の手を離して「抓ってごめんなさい」と言った。
「それで、シエル。女神アレクサンドリアは、何を残していたんだ? 私も聖地の碑石は見たことがあるが、あれはただの石だった。特に何かが刻まれていたようなことはない。ベルナール人は、なぜ石を祀っているのだろうと不思議だったのだが」
ルシアンさんが言う。
私は聖地ハイルシュトルに行ったことはないけれど、そこには碑石と言われる石が祀られているらしい。
聖地ハイルシュトルは、巡礼の旅の最終目的地である。
ベルナールの神官たちは、各地の神殿を巡って、祈りを捧げながら、聖地ハイルシュトルまで旅をする。
これは、女神アレクサンドリア様に願いを届けるため。
聖地までの巡礼をすることで、ロザラクリマが終わり、魔物の脅威から国が守られるのだと言われている。
「一見ただの石ですが、一定の強さで魔力を送り込むと、文章が現れます。……今まで試したことはなかったのですが。そもそも、僕が碑石に触れる事自体、許可がおりませんから」
「そんなもの、俺に言ってくれたら簡単に許可を出した」
「ええ。陛下。次からはそうします」
「本当にそうしろ。二度と死にかけるんじゃない。お前が傷つくと、リディアが泣く」
「心底、ありがたいことだと思っています」
ステファン様が真剣な声で言って、シエル様は胸に手を当てると目を伏せた。
エーデルシュタインでの魔石の力の解放による爆発からベルナール王国や人々を守ってシエル様の体が砕けてしまいそうになったこと、今まで私たちはあまり話題にあげてこなかった。
けれどみんなそれぞれ、思うところがったのよね。
シエル様のことを大切なお友達だと思っているのは、私だけじゃないもの。
「女神アレクサンドリアが残したのは、謝罪文でした。ごめんなさい。その言葉が多く残っていました。……そこには、女神アレクサンドリアがこの国に来た後に起こったこと、それから、後世に託したことが綴られていました」
「何が書いてあった?」
お父さんが尋ねる。お父さんの声は、珍しく深刻さを孕んでいた。
「女神アレクサンドリア……皆が女神と崇めた彼女の正体は、月の民。白き月ブランシュリュンヌに住む、不死者です」
「不死者……」
それはいつか聞いたことのある単語だった。
お父さんが言ったのだったわよね。不死者。
お父さんは不死者の意味を教えてくれなかった。私はそれをマーガレットさんと一緒に聞いて、それからシエル様に相談したのだったわよね、確か。
つい最近のことだった気がするのだけれど、ずっと昔のことのように感じられる。
それだけ、いろいろなことがあった。
「不死者とは、その名の通りに不滅の存在。老いもなく死もない、普遍で不滅の強い魔力を持ったものたち。かつてこの地で暮らしていた彼らは、老いて死にゆく人間のことを、下等生物だと思っていたようです。自分たちは神だと名乗り、人間たちの指導者として崇められていました」
「老いもせず若いまま死なない強力な魔法が使える者がいるとしたら、それは脅威だろう。おそれ、敬い、媚び諂うしか、人々の生きる道はなかったのでは?」
ルシアンさんに尋ねられて、シエル様は「そうですね」と同意した。
「それも、一つの理由だったのかもしれません。遠い昔の話なので、わかりませんが。けれど不死者は絶対的な存在ではありませんでした。それぞれ感情があり、思想があります。感情や思想のぶつかり合いは、争いを生みます。争いを倦んだ不死者たちは月に上り、人間たちと関わらないことを決めました」
「月に、人が……」
私はつぶやいた。
月に、人が住んでいる。
赤い月にはシルフィーナが幽閉されているのだから、白い月に人が住んでいてもおかしい事はないけれど。
そこは、死者が登る楽園だと言われている。
ベルナールの人々は、死んだら白き月に登る。そこはアレクサンドリア様とテオバルト様に守られた、苦しみも悲しみもない楽園なのだと。
でも、それは違うのだろうか。
国教であるその教えは、嘘だったのだろうか。
なんだか、不安定さを感じる。今まで確かにそこにあった足場が、崩れていくような、奇妙な感じだった。
でも、恐怖はなかった。
今まで信じていたものが変わっていってしまっても、今の私は怖くない。
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