大衆食堂ロベリア、本日閉店休業です。
今日は、大衆食堂ロベリアは閉店休業。
朝からクローズの看板を出しているし、毎朝来るルシアンさんは来ていない。
西の森からマライア神殿にかけて増えているという、ギルフェルニア甲虫の討伐にしばらくかかるかもしれないと言っていたから、まだ帰ってきていないのだと思う。
ルシアンさんが来ないと騎士団の方々も来ないので、食堂の朝はとっても静かだ。
朝食から食堂を利用する方なんて、そんなにいないし。
それは結構贅沢だからだ。
「それで、……幽玄の魔王サマは、ロザラクリマについて研究しているのね」
カウンター席に座って、マーガレットさんが優雅にミルクティーを飲んでいる。
お休みの日であっても、マーガレットさんは別。
時々遊びに来てくれるので、おもてなしをさせて貰っている。大家さんは大切にしないと。
「ロザラクリマってのは、何だ?」
マーガレットさんの隣にいるのはツクヨミさん。
長い黒髪に、布で片目をかくした男性で、倭国からくじら一号で海を越えて商売に来ている商人さんだ。
ツクヨミさんは、お醤油とかお酒とか、お茶とか、王国では見慣れない調味料などを市場で売っている。
あと、海産物とか乾物も取り扱っている。
マーガレットさんのお友達である。
今日も見慣れない衣服に身を包んでいる。真っ赤な着物に、巨大な蛸が描かれている。
ツクヨミさんは、蛸が好きらしい。いつも大抵蛸柄だ。
「倭国には、ロザラクリマ、ないんですか?」
私はツクヨミさんに尋ねた。
マーガレットさんは朝はミルクティーだけだけれど、ツクヨミさんはちゃんと食べる。
パンよりご飯派のツクヨミさんが食べているのは、朝の定番目玉焼きと現実的なソーセージのせご飯。
今日はお休みのつもりだったので、市場に買い物に行っていない。
あまり物の食材で良いというので、作ってあげた。
もぐもぐお箸でご飯をたべているツクヨミさんに、私は野菜スープも出してあげる。
ついでにほうじ茶も入れてあげる。
マーガレットさんからはお金を取らないけれど、時々一緒に来るツクヨミさんからはお金を取っている。いっぱい食べるし。
「赤い月ルブルムリュンヌから魔物が落ちることを、ロザラクリマと言います。赤い月が、赤い涙を落として泣いているように見えるから、月の涙と言われているんですよ」
「ふぅん。お嬢ちゃんは詳しいなぁ。倭国にはそんなものはねぇな。もちろん、月は二つ浮かんで見えるがな。穏やか……ってこともないが、魔物は月からは落ちてこねぇ」
「そうなんですか……不思議ですね」
「王国よりもずっと小せぇ島国だからな。月も涙を落とす場所もねぇんだろ」
「そういうもの、ですか……」
私は首を傾げた。
「なんでまた、月が泣くんだ? 王国民に、恨みでもあるのか」
「さぁ、知らないわよ。恨みたいのはこっちの方よ。定期的にロザラクリマが起るせいで、倒しても倒しても新しい魔物が現れるんだから、たまったもんじゃないわよね」
マーガレットさんが、カウンターに頬杖をついて言った。
朝のマーガレットさんは、いつも大抵眠そうにしている。朝は苦手らしい。
「魔物は街や人を無差別に襲ってくるから、セイントワイスの魔導師様方が、街に結界を張ってくれているわけだけど。魔物が入り込まないようにね」
「ええと、その……一応、ですけれど、女神アレクサンドリア様に祈ることで、ロザラクリマが終わると、王国では言われていて……各地の神殿で祈りを捧げるため、神官や、巡礼者の方々が、一年を通して巡礼の旅を行っているのです」
「おお、そりゃまた、いかがわしいな」
「い、いかがわしくありません……女神アレクサンドリア様の加護も、私の妹、フランソワは受けていて……あらゆる、病気や、呪い、怪我を治すことができるんです……」
「お嬢ちゃんの妹、ね。話に聞いただけでも、性格が悪そうな」
「なーんか、嘘くさいのよね。本当にそうだったら、聖都から病人なんて一人もいなくなるでしょ? でも、そんなことないじゃない」
私の説明に、ツクヨミさんは嫌そうに口元を歪めて、マーガレットさんは肩をすくめた。
「そ、それは、お父様の方針で、……アレクサンドリア様の力を、表に出すことはしてはいけない、って……だから、フランソワは、滅多なことでは、魔法を使えなくて……」
「そんなこと言って、本当はそんな魔法、使えねぇんじゃねぇのか?」
「そんなことは、ないと思います……フランソワは、私が一緒に暮らしていた頃、ねずみ取りの毒を食べて死にそうになった小鳥を、生き返らせたこともありますし……」
フランソワを庇う訳じゃないけれど、レスト神官家に宿るとされている女神の力は、フランソワに宿っている。
神官家の多くの者達はフランソワの起こす奇跡を見た。
私も、柱の影にかくれて、それを見ていた。
――あら、お姉様!
――そんなところにいないで、こちらにきてください!
――――お姉様、魔力がないでしょう? だから、魔法、珍しいでしょう!
隠れている私に気づいていたフランソワは、にこにこしながら言った。
まるで悪気はないように、私を愚弄してくるあの感じ。
思い出すだけでも、憎悪が煮えたぎ――。
「治癒魔法では、病気は直せません。呪いの解呪についても、限度がある。致死量の毒ともなると、……魔法での解毒は殆どの場合が不可能です」
作業台の椅子に座っているシエル様が、落ち着いた声音で言った。
思案するように首を捻ると、頭の宝石が揺れた。
私は、エプロンのポケットの中に入れているシエル様の宝石について思い出す。
それだけで、苛立ちや悲しみが、不思議なぐらいにあっさりと消えていった。
すごく、不思議。
はじめてお友達ができたことを思うと――過去について怒っているのが、すこし、馬鹿馬鹿しくなってきたからかもしれない。
「で、幽玄サマは、根本を解決するために、月の涙について調べている、と」
ツクヨミさんが言う。
「ゆうげんさまっていうのは……」
「幽玄の魔王シエル・ヴァーミリオン。知らないの、リディアちゃん。有名よ?」
「他国の俺でさえ知ってるのに、お嬢ちゃんときたら……」
「……シエル様、有名人だったんですね」
マーガレットさんとツクヨミさんが、顔を見合わせて、あーあ、みたいな感じで溜息をついた。
私はやや慌てながら、ミートミンサーのハンドルをぐるぐる回す。
ぐにぐにと、ミンチ肉が出てくる。楽しい。
朝からツクヨミさんと一緒に遊びに来てくれたマーガレットさんが、豚の塊肉と腸詰め用の腸をお土産に持ってきてくれた。
二人と話をしているとシエル様がやってきて、
「長持ちする料理を作って欲しい、多めに買っていって自宅で効果を調べつつ、ついでに食べたい」
と、言うので、ソーセージを作っているというわけである。
「数年前のロザラクリマの日かしら。王国の北に、月からそれはもう巨大な、妖精竜が現れたの。もう一つの月に見えるほどに、強大な、ね。それを一人で倒したのが、シエル・ヴァーミリオン。その戦いぶりの美しさから、シエルは、幽玄の魔王と呼ばれるようになったのよ」
マーガレットさんは、魔法でカードを手の中に出現させて言った。
「……あまり、その呼び名は。この年になって恥ずかしいので」
シエル様が深く溜息をつく。
素敵な名前だと思うけれど、恥ずかしいのかしら。
「そうなの? ルシアンなんかは、星墜の死神って呼ばれるの、喜んでいるでしょ」
「せいつい、しにがみ……」
私はマーガレットさんの言葉を反芻した。
不穏だわ。死神とか、ちょっと怖いし。
百戦錬磨の女好き、とかで良いと思う。ルシアンさんなんて。
「ミンチ肉、できました。あとは、香草と、レモンと、香辛料。それから、辛いものが好きなシエル様のために、ちょっと辛くするために唐辛子の粉末を混ぜます。シエル様、ソーセージ、どれぐらいの大きさが良いですか? 現実的な大きさが良いですか?」
「毎日、ルシアンの提案した現実的なソーセージを食べるというのは、少し。……それに、ルシアンばかりが、リディアさんに食堂のメニューにしてもらうのが、羨ましい」
「じゃあ、シエル様がどれぐらいなのか、教えてください。ソーセージ作るの、楽しいですよ。やってみますか?」
「良いんですか?」
シエル様が嬉しそう。
私としても、すり潰したいルシアンさんのソーセージよりは、シエル様の好きな大きさの方が良いなと思う。
「……あれは、どれぐらい理解して言ってるんだろうな、マーガレット」
「三割ってとこね」
「どの辺まで分かってるんだ?」
「あたしの推理が確かなら、リディアちゃんが理解しているのは、男の欲望はソーセージに似ているってことぐらいじゃないかしら」
「つまり、だから、すり潰したい、と。見たことはねぇんだろうなぁ。……今はあれだろ、純粋にソーセージの話をしてるつもりだろ」
「ええ。面白いから、この調子で、中途半端な知識を教えるわよ、ツクヨミ」
「任された」
マーガレットさんとツクヨミさんが、なにやら楽しそうにお話をしている。
シエル様が作ってしまったら、不思議な力はお料理に宿らないのではないかしらと思いながらも、私はソーセージフィーラーをシエル様の前に差し出した。
マーガレットさんが魔法でできたカードをシャッフルしはじめる。
「あら。戦車、ね。意味は、勝利、勇気、強い意志……」
シエル様が、ソーセージフィーラーのハンドルを回す。
ぐるぐる。
ぐるぐるぐる。
ぐるぐるぐるぐる。
ちょっと、回しすぎでは無いのかしら。
「し、シエル様、ちょっと、おおきすぎます……」
分かるのよ、薄い腸の中にお肉がぐにぐに入っていって膨れていくのが気持ち良いの、分かるのよ。
でも、さすがに詰め込みすぎなのではないかしら……!
私はシエル様を、わたわたしながら見上げた。
シエル様は楽しそうに微笑んだ。
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