嫌いな食べ物は誰にでもある
ぼたぼたと落ちる生クリームは、兵士たちや馬の足を止めた。
私の髪や、鼻先や、肩や腕にも生クリームが落ちる。
いつも綺麗で、悠然としている印象のシエル様の髪や顔に、体に。
べしゃりと落ちてとろっと滑っていく甘いクリームをすくって、ぱくりと食べた。
まったり甘い。疲れた体が、癒されていくみたいだ。
「ふふ……」
なんだか面白くなってしまって、私はくすくす笑った。
宝石人の方々も、ウィスティリアの軍の方々も、壊れた街も、ひび割れた大地も、大地に突き刺さっている二艘の飛空艇もみんな、雪に覆われたみたいにふわふわの生クリームでいっぱいになっている。
大きなケーキみたいだ。
「かぼちゃぷりん」
「たるとたたん」
「……あじふらい」
私の胸の間から、エーリスちゃんがぴょこんと顔を出したと思ったら、ファミーヌさんと、それから垂れ耳の桃色のうさぎも、どうやって出てきたのかはわからないけれど、ぴょこんぴょこんと顔を出して、生クリームの海にボフッとダイブした。
私の胸、確かに大きめだけれど、そんなにたくさんのものを収納できたりしないと思うの。
エーリスちゃんぐらいなら入るけれど、ファミーヌさんとうさぎちゃんは入らない。
私は自分の、胸の開いたドレスからのぞいている胸の谷間に視線を落とした。
「シエル様、どうしましょう……胸の間に、謎の空間が……何かの病気でしょうか……」
「エーリスさんとファミーヌ……それから、あのうさぎは、イルネス……? あの子たちは、リディアさんを宿主としているのでしょう。実体のようでいて、実体ではない……体の半分は、リディアさんの中にあるような状態、でしょうか」
「リディア。胸をしまいなさい。シエル、冷静に分析するんじゃない。リディアの可憐な胸を前にもっと照れたり慌てたり、焦ったりするんだ! ロクサスのように」
ステファン様が正しい例、みたいな口振りで言って、ロクサス様に視線を送る。
ロクサス様は腕を組んで、眼鏡やお洋服を生クリームまみれにしながら黙っている。特に慌てている様子はないわね。
「今、ロクサスは色々なものが臨界点を突破して、立ったまま気絶したとこ」
クリスレインお兄様がにこにこしながら状況を報告してくれた。
それから、大きく手を広げた。クリスレインお兄様は細身だけれど、ふわふわの大きな毛皮を羽織っているので、手を広げるとその体はとても大きく見える。
「生クリームの海の中で、殺し合いを続けるとか、これほど馬鹿らしいことはないのではないかな。エルガルドではね、戦いほど馬鹿らしいことはないと言われている。戦いは文化を滅ぼし、土地を枯らせて汚染して、多くのものを失わせる」
「もう、後には引けない」
「……それは、我らとて同じだ」
ガリオン様と、フィロウズ様が睨み合っている。
宝石人の方々ははじめから戦う気なんてなくて、ウィスティリアの兵士のみなさんからも、戦意は失われているように見える。
「後には引けない? 何も、はじまってはいないだろうに。ほら、よく見てごらん。あなたたちの血を分けた子供が、命をかけて何を成したか。リディアの力が、何をもたらしたのか」
クリスレインお兄様の視線が、シエル様にそそがれる。
シエル様と、私。それから、私たちの目の前で、生クリームまみれになりながらじゃれあっている、エーリスちゃんとファミーヌさん、イルネスちゃんに。
「あなたたちの子供は、命を賭して、この大地を守った。シエルはあなたたちのことが嫌いだろう。あなたたちはシエルに好かれるような行動など、何ひとつとっていないのだからね。けれど、それでも、全てを守った。後一歩で、死んでしまうところだったし、危険な賭けだっただろう」
私はさっきまでのシエル様の姿を思い出す。
少しでも触れたら、粉々に砕けてしまいそうに見えた。
ぎゅっと、シエル様の手を握ると、大丈夫だというように握り返してくれる。
命が失われる恐怖は記憶にこびりついているけれど、もう大丈夫だって、思うことができる。
「シエルは、己の大切なものだけを守るという選択肢を選ぶこともできた。その方がずっとシエルにとっては簡単な方法だった。けれどそれをしなかった。……全てを守るという選択をしたシエルは、あなたたちよりもずっと、大人だ」
呆れたように、クリスレインお兄様は続ける。
「嫌いな食べ物は食べない。けれど嫌いな食べ物があるからと、それを提供する人間を殺したり、店を焼いたり、畑を焼いたりしない。魚が嫌いなら、海を干上がらせる? きのこが嫌いなら、山を焼き尽くす? 人参が嫌いなら、人参畑を全て燃やす? あなた方はそれをしようとしている」
「貴様は大切なものを奪われた経験があるのか、クリスレイン!」
「宝石人の嘆きが、お前にわかるのか」
「知らないよ、そんなの。どうでもいいことだ。でも私は大切なものを奪われたとして、人参を根絶やしにしようとはしない。シエルも同じ。そしてそんなシエルだから、皆は、リディアは……祝福を、愛を与えた」
クリスレインお兄様は鼻先に落ちた生クリームを指で掬って、ペロリと舐めた。
「甘すぎなくて、ちょうどいい。美味しいよ、食べてごらん。料理は愛だよ。全てを許し、癒す、愛。深い優しさと愛情に、心が動くこともない? こんな光景を見せられて、わからずやの老人たちは、まだ憎み合うというのかな」
深く嘆息して、それから、今までの穏やかな口ぶりから一転して、冷たい声で言う。
「ここにいるものたちの中では、一番、年老いているというのに、一体何を見て、何を考えて生きてきたのだろうね」
ぞわりとしたものが、背筋を伝った。
奇妙な緊張感を覚える。いつもにこやかなクリスレインお兄様だけれど、エルガルド王国の王太子殿下なのだ。
圧倒的な威厳のようなものが、そこにはある。
「……クリスレイン。ありがとう。あとは、俺が」
気圧されたように黙り込んだガリオン様とフィロウズ様を見据えて、ステファン様が口を開いた。
「王命に従わなかったガリオンを、ベルナール王家に叛意があるものとして、捕縛しろ。王国を危険に晒したものとして、フィロウズもだ。マルクス殿かまわないか」
静かに、成り行きを見守っていたマルクス様が、深く頷いた。
「はい。陛下。ご随意に」
「ルシアン、レイル。二人を捉えろ。抵抗する者もだ」
ステファン様は命令を下した。
そうして──ガリオン様とフィロウズ様は、捕縛された。
どうにもならないことが、悲しかった。仲直りすることは、きっとできない。
そういうこともあるのだと、私はやるせなさを抱えながら、その光景を見ていた。
でも、シエル様が手を繋いでいてくれたから、エーリスちゃんとファミーヌさんとイルネスちゃんが、楽しそうにじゃれあっていたから、だから。
やるせなさは感じたけれど、泣いたりはしなかった。
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エーデルシュタイン編はとりあえずこれで終わりです。
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