表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
206/296

夢と目覚め



 エーリスお姉様やファミーヌお姉様、メドゥシアナがどこにいったのか、私は知らなかった。

 赤い月からみんなで一緒に降りたというわけじゃない。


 気づけばみんないなくなっていたような気がするし、私が先にいなくなったような気もする。


 私は宝石人の国に留まった。私がお母様の子供である彼らを守らなくてはいけない。

 赤い月に幽閉されているお母様はずっと夢を見ていて、憎しみと怒りと悲しみに満ちているときは、知性のない魔物を産んだ。

 奪われた子供について考えて──愛しさと悲しさでいっぱいになっている時には、宝石人を産んだ。


 エーリスお姉様は言った。「お母様は、泣いている」と。

 ファミーヌお姉様は言った。「お母様は宝石人を愛している」と。

 メドゥシアナは失敗作だったから、言葉を話すことはできなかった。


 私たちはそれぞれ別の場所に、お母様の望みを果たすために降り立った。

 お姉様たちが何を考えているのか、何をしようとしているのかは、知らなかった。


 私は宝石人を守るという役割がある。宝石人は人に、残酷な目に合わされていたから。

 宝石人はお母様の子供なのに。お母様から与えられたたくさんの魔力を持っているはずなのに。

 自ら戦うことをしない。どうしてかは、よくわからない。


 私が彼らを守るといえば、彼らは私を受け入れた。


 あぁ、でも。


 世界を破壊するために降りてきたとても強い魔物、妖精竜は、殺されてしまった。

 出来損ないのメドゥシアナが、知性のない魔物のように暴れ回って──殺されてしまった。


 殺したのは、宝石人だ。

 私が守るべき宝石人が、どうして人間の味方をするのだろう。

 同じ宝石人が苦しんでいるのに、どうして人間を助けるようなことをするのだろう。


 あの人は、私の、私たちの味方じゃないとおかしいのに。


 私はその姿を、数々の目を通して見ていた。

 私の力で死にいたる病になった者たちは私のもの。私の目。私の耳。


 シエルという宝石人を、味方にしよう。どうして宝石人なのに人間を守るのか理解はできないけれど、心の奥底ではきっと人間を、憎んでいるはずだ。


 でも──。


 それは、違った。


 その体に寄生して、その心をのぞいた。

 シエルはずっと、黴臭く埃っぽい薄暗い部屋の古ぼけたソファに座っていた。その部屋にはベッドが一つある。

 ベッドには母親が横たわっている。もう、命はない。死んでいる。死んでいるのに、声だけが響いている。


「人間が憎い。人間が憎い。お父様が憎い。私の大切な人を奪った。憎い」

「あぁ、でも、駄目。サフィーロは誰も憎むなと言った。だから、駄目。誰も憎まず、恨まず、正しく生きなければ」

「全員殺してしまいたい」

「駄目。どうか、あなたは正しく生きて」


 声だけが、部屋に響いている。

 幼いシエルは古ぼけたソファに座って膝を抱えている。

 じっと動かないでいれば、そのうち息が止まるだろうか。息が止まって、死ぬことができるだろうか。

 そんなことを考えている。


 でも──それは、唐突に終わった。

 薄暗い部屋のカーテンが、扉が、開く。光が中に差し込んでくる。

 きらきらと輝くような笑みを浮かべた少女が、シエルの目の前にいる。幼いシエルの手を、ぎゅっと握った。


「シエル様、ご飯、食べましょう? シエル様は何が好きですか?」

「シエル様が自分を大切にできないのなら、私がシエル様を大切にします」


「──お友達に、なってくれますか?」


 優しさと愛情で、心が満ちる。

 何を食べても味などしなかったのに。何も感じないように、誰も──恨まないように、憎まないように。

 心を閉ざしていたのに。


「……どうして、こんなものを私に見せるの」


 私は、目を見開いた。心の奥の憎しみを、暴いてやろうと思っていたのに。

 優しくて。切なくて。愛しい記憶だ。

 少女の周りには、悲しいことはあるけれど、笑顔が溢れている。

 エーリスお姉様がカニクリームコロッケというものを、食べさせて貰っている。

 ファミーヌお姉様が、小さく切ったエビフライを口に入れて貰っている。

 一緒のベッドで、温もりを分け合うようにくっつきながら、眠っている。


「おやすみ、リディア。どうか君の幸せが、ずっと続くように」


 少女の顔を優しく撫でて、祈るようにシエルが言った。嬉しそうに微笑む安心しきったその顔に、胸が締め付けられるほどに苦しい。


 欲しい。

 私も、欲しい。

 私も──愛されたい。

 お母様は宝石人だけを愛している。お姉様たちのことも、私のことも、その瞳にはうつしていない。


 お母様が夢を見ながら囁く言葉は一つだけだ。


 ──私の、赤ちゃん。テオバルト様との、大切な。


 それは私たちじゃない。そんなことは分かっていた。分かっていたけれど、それでいいと思っていた。

 でも、気づいてしまった。

 愛されることの喜びを、愛への渇望を。

 私も、私も……!

 お姉様たちのように、愛されたい。

 どうして私は、一人で、頑張らなくてはいけないの? どうして私が、お母様から愛情を奪った宝石人を守らなくてはいけないの?

 どうして。

 どうして──私は、差し伸べられた手を、お姉様たちの手を、取ってはいけないの?


「……イルネスちゃん」


 不意に、ぎゅっと抱きしめられたような気がした。

 ふかふかで、あったかい。


「イルネスちゃん、大丈夫。私たちが、一緒にいる」


「イルネス。大丈夫。私たちは、姉妹だわ」


 大きなエーリスお姉様と、綺麗なファミーヌお姉様が、私を抱きしめている。


「イルネスちゃん。一緒に帰りましょう。ロベリアは広いから、イルネスちゃんが一人増えても大丈夫です」


 お姉様たちの姿は幻のように消えて、私をリディアが抱きしめていた。

 リディアと一緒に、小さな鳥みたいな姿をしたエーリスお姉様と、猫の姿をしたファミーヌお姉様も。


「……ありがとう、リディア。あじふらいも、いちごぱるふぇも美味しかった」


 このままずっと、この温もりの中にいられたら、どんなにいいだろう。


「ごめんなさい。シエル。あなたの記憶を勝手に、のぞいた」


「……構わない。もう、罪悪感も羞恥も、感じない」


 リディアの背後に立っているシエルに謝ると、シエルは首を振った。

 隣にいる金色の男が「少しは感じろ。すごいものを見せられたぞ、私は」と、やれやれというように額を抑えた。


「シルフィーナはまだ、苦しんでいるのだな」


 金色の男に抱えられている白い犬が言う。

 犬なのに、喋る。

 変なのと、思って。私は目を閉じた。

 あぁもう、夢が覚めてしまう。私は私の形をもう、保っていられない。

 体が粒子のように、さらさらと崩れていった。




お読みくださりありがとうございました!

評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] ルシアンさんは何を見せられたんだろう……(ΦωΦ) [一言] いちごぱるふぇちゃん、どんな姿になるのかワクワクですo(^▽^)o
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ