宝石人シエル・ウィスティリア
食堂のテーブルにとろとろオムライスと野菜スープ、カモミールティーを運んだ。
私とシエル様は向き合って座った。
私が両手を組んで「神祖テオバルト様、今日もお食事をありがとうございます」とお祈りを捧げると、シエル様も目を伏せて両手を組んだ。
「リディアさん、……素晴らしい料理をありがとうございます」
シエル様はテオバルト様の名前は口にしなかったけれど、私に祈りを捧げるようにして穏やかな口調で言った。
オムライスをすくって口に運ぶシエル様を、私はちらりと見てから、スプーンを手にする。
とろとろの卵が黄金色に艶々に輝いていて、赤いどろっとしたトマトソースが鮮やかで、美味しそう。
今日も上手にできた。
一口すくって食べると、ふんわりした卵の優しい味と、トマトの酸味、お米や玉ねぎの甘さと、現実的なソーセージの香ばしさと香草の爽やかさが口いっぱいに広がる。
「すごく、美味しいです、リディアさん」
「……よかったです」
「リーヴィスのように詳しい味の感想を言えなくてすみません。……なんだか、体が高揚する気がします。これは……失った魔力を、回復、してくれている……?」
「シエル様、その……私……普通にオムライス、作っただけで……」
「すみません、つい……気になってしまって。魔力回復の効果を抜きにしても、とても、美味しいです。……安心する味がします」
シエル様は数口オムライスを食べたあとカモミールティーを飲んだ。
私は自分で作ったご飯をありがたく食べて、野菜スープをスプーンですくってこくんと飲み込む。
「リーヴィスさん、……大丈夫でしょうか。まんまる羊、魔導師府で飼っているんですか?」
「あぁ、あれは、セイントワイスの召喚術です。リーヴィスや部下たちが、召喚してくれたものですね」
「召喚術……」
「ええ。動物や、魔物。形あるものを呼び出す術です。呼び出されたまんまる羊は本物ですが、役目を終えるとその姿は消えてしまいます。半分本物で、半分作り物、といったところでしょうか」
「……私やシエル様を助けにきてくれたんですね」
「ええ。……リーヴィスは、殿下との騒ぎにすぐに気づいたようですね。僕に、念話で、何もするな、と」
「念話?」
「遠くに声を届ける魔法のことです。セイントワイスの魔導師は、単独行動も多いので、念話を使って会話することが多くあります。例えば、ほら……」
私の頭の中に『リディアさん、今日はありがとうございました』というシエル様の声が響いた。
私は両耳を押さえて、目を白黒させた。
シエル様はお話ししていないのに、シエル様の声が聞こえるなんて、変な感じ。
「これはセイントワイスの魔導師同士でしか、使うことはほとんどないのですけどね。まるで、どこにいても行動を監視されているようで、あまり気持ちの良い感じはしないでしょう?」
「び、びっくりしましたけど、そんなこと、ないです。便利だなって、思います……」
「それでは、リディアさんが一人で部屋にいる夜、僕も一人が寂しく思ったら話しかけても良いですか?」
「それは……びっくりします、けど……でも、シエル様が、寂しいのなら、……たまになら、良いですよ……」
急にお部屋に来られるのは困るけれど。
寂しい時に話しかけられるぐらいなら、それぐらいなら、良いわよね。
「今のは、冗談です。……火急の用でもない限り、そのようなことはしませんよ」
「そ、そうですか……」
いつもの私なら、そんなことを言って女性を揶揄う男性は女の敵だと言って、怒っていた。
けれど、シエル様のことは怒る気になれなかった。
大人なのに、妙に無邪気さがある人だと思う。
小さな子供と話しているみたいだ。
「……リーヴィスは、大丈夫だと思います。あの場には、セイントワイスの魔導師、全員がいました。全員処罰するとなると、セイントワイスを解体することになります。国にとってそれは、とても困ることですから」
シエル様はオムライスとスープを食べ終えると、真剣な声音で言った。
「それに、……こう見えて、僕はかなり強いので、……セイントワイスの部下たちと一緒に城を制圧するのは、そこまで難しいことじゃありません。ただ、立場があるので。……僕がそのようなことをしたら、宝石人の立場はもっと悪くなると思うので、余計なことはできないのですが」
「まんまる羊の大群がきてくれてよかったです。まんまる羊の大群に弾き飛ばされる殿下、ちょっと面白かったです」
「そうですね」
私たちは顔を見合わせると、くすくす笑った。
ステファン様には申し訳ないけれど、なかなか見られない、面白い光景だった。
ぶつけられていた悪口も忘れてしまうぐらいに、怒っているのが馬鹿馬鹿しくなってしまうほど。
「……シエル様は、エーデルシュタインの出身なのですか?」
あまり聴かれたくないことかもしれないと思いながらも、私は尋ねた。
私は、宝石人のことをそんなによく知らない。
学園の授業で習ったのは、昔、差別を受けていたこと。西の都エーデルシュタインに住んでいることぐらいだ。
教科書に描いてあった宝石人の絵は、全身が鉱物でできているようだったし、王都の市場でごく稀に見かける宝石人の方は、確かに全身煌めく宝石でできているように見えた。
「僕は……これはあまり、公にはしていないのですが、ウィスティリア辺境伯家の長女、ビアンカの子なんです」
「辺境伯家の……?」
「ええ。辺境伯家とエーデルシュタインは近い。ウィスティリア領にあり、辺境伯家の管轄にあります。僕の父、サフィーロとビアンカは、ビアンカがエーデルシュタインに視察に来た時に、恋に落ちたようですね」
「まぁ……それは、ロマンスですね……!」
私は両手を合わせて、にこにこした。
恋の話は、そんなに嫌いじゃない。
私は幸せになれなかったけれど、幸せな恋の話は、聞いていて幸せな気持ちになれる。
「けれど、……ウィスティリア辺境伯は、それを許さなかった。駆け落ち同然でエーデルシュタインに移り住んだビアンカを辺境伯家に連れ戻し、僕の父は……母を惑わして孕ませた罪で、……宝石穿ちの刑にされたそうです」
「……宝石、穿ち?」
「宝石人は、その体を細かく切り裂くことで、魔力を持った宝石になります。……かつて差別をされていたのは、宝石を乱獲するため。……今も、それは全くなくなったというわけではありません」
「…………そんな」
「王国の人々にとって、僕たちは魔物と同じですから。魔物とは、知性を持たない獣です。……獣を殺すことに、躊躇う必要はありません」
「…………でも、ひどい、です」
引っ込んでいた涙が、ぽろぽろと溢れて、空のスープ皿に落ちた。
「シエル様は……ビアンカ様は、それから、どうなったのですか……?」
「母は、……僕を守ってくれましたが、心労が祟り、僕を産んでからしばらくで亡くなりました。……僕は、辺境伯家の恥。忌子として育てられました。……この体にも、ウィスティリア家の血が流れていますから、捨てることも殺すこともできなかったのでしょう」
シエル様がなんでもないことのようにいうので、私はもっと悲しくなってしまった。
シエル様が怒れないのは、嘲る言葉に鈍感になっているのは。
私が想像していたよりもずっと、ひどいことを言われて、ひどい光景を見て、育ってきたから。
「十五歳の時、でしょうか。ウィスティリア家から逃げて、エーデルシュタインに向かいました。そこでも、半分人間の血が流れている僕は異物でした。……魔法だけは得意でしたから、傭兵になりました。それから、シエル・ヴァーミリオン、父の姓を名乗るようになりました。それからしばらくして、王宮に呼び出されたのです」
「王宮に、ですか」
「ええ。ゼーレ・ベルナール陛下……ステファン殿下のお父上ですね。ゼーレ様は、僕の出自を知っていました。僕の力を認めてくださり、セイントワイスに入らないか、と。僕はその頃から、月の涙についての研究をしていましたから、セイントワイスに入り、数年で今の立場につきました」
「シエル様……すごく、大変だったんですね。……私、何も知らなくて、……ごめんなさい。ひどいこと、言って」
シエル様はぼろぼろ泣いている私の顔を、ハンカチでごしごし拭いてくれる。
それから、困ったように微笑んだ。
「……リディアさん。……あなたも、大変でしたよね。僕よりもずっと、あなたの方が」
「私は、私、そんなに大変じゃなくて……それは確かに、神官家では、誰にも相手にされなくて、寂しかったですけど……殿下と幸せになれるかもって、期待もしましたけれど、……でも、もういいんです」
「リディアさん……」
「怒ったり泣いたりすることばかり、ですけど、……でも、私の作ったご飯、美味しいって言ってもらえて、嬉しいから。……こうしてここにいるの、今までよりもずっと、自由だし、良いなって、思っていて」
「…………リディアさん、僕は、………あなたが嫌でなければ、あなたの力を調べたいと思っています」
シエル様は、少し躊躇うようにして沈黙した後に、口を開いた。
「あなたが嫌がることだと、理解しています。けれど、……調べたい。……もしかしたら、月の呪いを、どうにかできるかもしれない」
「私……役に、立ちますか?」
「もちろんです」
「……料理、作るだけ、ですよね」
「ええ。……対価は、支払います。僕としては、リディアさんの料理を食べることができるので、役得ではあるのですが」
私は膝の上で、自分の手をぎゅっと握り締めた。
私、何の役にも立たなくて。
料理しかできなくて。
あと、男性は嫌いだから近づきたくないって、ずっと思っていたけれど。
シエル様が私を頼りにしてくれているのなら、手伝いたいと思う。
料理しかできないのは、同じだけど。
「良いですよ。……でも、食堂を開いているときは、お手伝いできません、けど」
「もちろんです。……リディアさん。よろしくお願いします」
「はい。……お友達、ですから」
「友達?」
「ええと、はい……一緒に、ご飯を食べたので、……お友達、です。……だ、だめでした、でしょうか……?」
恐る恐る私が尋ねると、シエル様はとても嬉しそうに微笑んでくれた。
そうして私に、はじめての、友達ができた。
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