愛と憎しみ
エーデルシュタインは階段が多い。
山脈の岩肌をくり抜くように上へ上へと作られている街のようだ。
街の入り口にも階段を登らないと入ることができなくて、一番下の階層から上に街が伸びていっている様は、どことなく巻貝を思わせる。
白い街だ。建物は白い石で作られている。
けれど色がないわけではなくて、白い建物には宝石が埋め込まれていて、大きめの鉱石が街の地面から突き出たりしている。
「誰もいませんね……」
私はきょろきょろと街を見渡しながら呟いた。
ステファン様は街に来たことがあるのだろう、明確な足取りで上層への階段を見つけ出して、先陣を切って歩いていく。
私はステファン様のあとに続いた。私のすぐ後ろを、ルシアンさんが歩いている。
「静かなものだな。だが、視線は感じる。家の中に隠れているのだろう」
「……宝石人の方々が、街の中に入るなと言って襲いかかってくるのかと思っていました」
ルシアンさんが白い四角形の連なる家々に視線を走らせながら言った。
「宝石人は、戦う力を持つが戦う心を持たないと言われている。こちらから攻撃を仕掛けない限りは、おそらく何もしてこないだろう」
「それなのに、どうして、ガリオン様は宝石人を……」
私は首を傾げた。
宝石人の方々は誰かを傷つけたりしないのに。どうして毛嫌いして、魔物だと決めつけるのかしら。
「父の話では、ガリオン卿は一人娘のビアンカを、溺愛していたらしい。ビアンカは優秀で、女性だが辺境伯家を継がせると言って、皆に自慢していたとか。仕事を覚えさせるために、ガリオン卿は常にビアンカを連れて歩いていたという」
上層に続く広い階段を登りながら、ステファン様が言う。
シエル様に聞いた話では、ガリオン様はサフィーロさんと愛し合ったビアンカ様を辺境伯家に連れ戻して、閉じ込めていたみたいだ。
でも、最初からビアンカ様のことを憎んでいたと言うわけではないのね。
「卿は、早くに奥方を亡くしている。どうやら、……過激派のキルシュタイン人に攫われて、殺されたのだとか。そのせいで、キルシュタイン人を憎んでいたし、奥方の忘れ形見のビアンカを大切にしていた」
「……私が生まれる前の話ですね。私の両親は、戦争を望まない穏健派でした。ですが、それに従わないキルシュタイン人もいたようです」
ステファン様の話に、ルシアンさんが言った。
ずっと昔の話だ。ルシアンさんが生まれる前、私も、生まれる前。
クリスレインお兄様は、過去は変えられないと言っていた。確かにその通りで、すでに起こってしまった悲劇は、どうすることもできない。
私は腕の中のエーリスちゃんたちをぎゅっと抱きしめた。
「ルシアンが王になって、俺も王になって……互いに手を取り合っていけたらよかったのだがな」
「今の形も、私は悪くないと思っていますよ。それに、過去がなければ今の私もない。何事もなくキルシュタインで暮らしていれば、リディアと出会うこともなかったでしょうから」
「私と?」
「あぁ。君と出会うことができた。色々あったが、今の私は幸せだと思っているよ」
「ええと、あの、ありがとうございます……」
ルシアンさんが優しく私に微笑むので、私は照れた。
ルシアンさんは息をするように甘い言葉を言う癖があるのよね。いちいち照れていたら身が持たない。それに、照れている場合じゃないので、表情を引き締める。
「……ガリオン様は、ビアンカ様を大切にしていたのに、どうしてシエル様のことを憎むのでしょうか」
「元々は、宝石人を憎んでいるわけではなかったようだ。だが、エーデルシュタインの視察にビアンカを連れて行き、ビアンカが宝石人と恋に落ちて、……それからだろうな」
「恋や、愛は、素敵なことです。ステファン様が私に読んでくださった本や、演劇でも、恋や愛は素敵なものでした」
「あぁ。覚えていてくれるのか、リディア。嬉しい」
ステファン様は大きく目を見開いて私をまじまじと見つめた後に、ぶわっと涙ぐんだ。
手の甲で目尻をごしごしと拭うと、真面目な表情を浮かべる。
「ガリオン卿はビアンカを自分の分身のように思っていたのだろう。キルシュタイン人とのこともあり、他種族に対する嫌悪感は多少はあったのだろうが、それがビアンカを奪われたと思い、その感情が爆発したのだろうな」
「……よくわかりません」
「ビアンカの結婚相手も、ガリオン卿が選ぶつもりでいたのだろう。それを、勝手に宝石人と恋に落ちて、駄目だと言ったら、宝石人の元へ駆け落ちをしてしまった。なんとか連れ戻したところで、シエルが生まれた。ビアンカにむけていた愛情は、全て憎しみに変わったのだろうな」
「愛情が、憎しみに……」
私は、エーリスちゃんやファミーヌさんが教えてくれたシルフィーナの記憶を思い出した。
シルフィーナは、テオバルト様のことを愛していた。
けれどアレクサンドリア様が現れて、愛は深い悲しみに変わった。
「……恋や、愛は、誰かを傷つけるものなのでしょうか」
「……難しい質問だな」
「そう深く考えることでもない。感情とは自分ではどうしようもないものだからな。おさえようと思っても、一度愛してしまえば深みにはまる一方だ。己の身を捧げても構わないとさえ思うぐらいに、誰かを愛することもある」
私の質問に、ステファン様は悩ましく眉を寄せた。
ルシアンさんが私の背中に軽く手を置いて、階段の中腹で足を止めた私を促してくれる。
ルシアンさんは、深く誰かを愛しているのかしら。
それとも、私の知らない過去に、そんな相手がいたのかしら。
それは一体、どんな感じなのだろう。
イルネスの言葉が私の脳裏をよぎる。シエル様は私を愛していて、私の心はシエル様にない。
──お友達として、シエル様は私を大切にしてくれている。
そんなことは、イルネスに言われなくても私はよく知っている。だけど──。
「……あなたたちは、わたしたちを、こわしにきたの?」
階段を登り切ると、そこには小さな宝石人の少女がいた。
私たちに駆け寄ってくる宝石人の少女を、お母さんと思われる宝石人の女性が追いかけてくる。
煌めく鉱石でできた体を持つ宝石人の方たちを、こんなに近くで見たのははじめてだった。
それに、声を聞いたのもはじめてだ。
目も髪も肌も鉱石でできている宝石人は、とても美しかった。
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