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愛とか恋とか友情とか



 ──シエル様だ。

 去年の夏のはじまりに出会って、それからいつも──私が苦しいとき、大変なとき、助けて欲しいとき。

 一緒にいてくれた、シエル様。


 その真紅の瞳は私を冷たく見据えているけれど、でも。


「シエル様!」


 その姿形は、いつものシエル様と同じ。


「シエル様……ごめんなさい、私、シエル様は悩んでいたのに、何もできなくて……っ、ステファン様が、辺境伯様と話し合ってくれています、宝石人の方々と戦わなくてすむように……きっと、大丈夫、大丈夫だから、戻ってきてください……一人で、行かないで、シエル様……!」


 レイル様の片腕に庇われながら、私はシエル様に手を伸ばした。

 シエル様に何が起こったのかはわからない。

 その美しい姿の中にいるのはシエル様ではない別の何かで、私の声は届かないのかもしれない。


 でも、私は私にできることをしなきゃ。

 伝えなきゃ、いけない。

 だってシエル様は──ウィスティリア家のことも、宝石人のことも。

 誰にも、抱えている悩みを伝えることをしないで、一人で行ってしまったのだから。


 シエル様はいつも私の手を優しく握ってくれたのに。私は、それをすることができなかった。

 それどころか、何も言ってくれなかった。


「お友達なのに、お友達だと、思っていたのに……何も、言ってくれないなんて、黙ってどこかに行ってしまうなんて、嫌です……! シエル様の馬鹿!」


 泣いている場合じゃないのはわかっているのに、じわりと涙が滲んだ。

 感情が、言葉と一緒に心の中から溢れる。

 シエル様の馬鹿。相談してくれたってよかったのに。悩んでいること。困っていること。


 レイル様が、ロクサス様のことについて私に相談をしてくれたみたいに。

 シエル様だって。困っているって。どうしたらいいのかわからないって。

 教えてくれたら、みんなで一緒に、どうすればいいのか考えることができたのに。


「教えてくれないと、言ってくれないと、わからないです……私は鈍いから、わからない……でも、知りたい。シエル様のこと、何を考えて、何を悩んでいるのか……困ったことがあったら、一緒に考えたい。私は、シエル様の力になりたい!」


 ご自分を大切にしないシエル様が心配だって、私はシエル様が大切だって、何回私はシエル様に伝えただろうか。

 足りなかった。まだ、足りない。

 一度だけじゃ伝わらないなら、何度だって繰り返さなきゃ。

 あなたが大切だって。

 握り返してもらえなくたって、何度でも手を、差し伸べたい。

 私が、そうしたいから──。


 シエル様の瞳が、驚いたように見開かれる。

 私の手に繊細だけれど大きくて、骨の浮き出た手が、長い指先が伸ばされる。


「リディアさん……」


「シエル様!」


 私の名前を、呼んでくれた。

 シエル様だ。いつもの、シエル様の声。優しくて、涼しげで、澄んだ湖を思わせる、安心できる声。

 けれどシエル様の手は私に届かなかった。

 その背中から、体の至る所から、真っ白な血の気のない手が何本も伸びる。

 シエル様の口を、顔を、首を、その手は拘束具のように暴虐に押さえつけるようにして包み込んだ。


「アレクサンドリアの聖女。……この男は、あなたを欲していた」


 口をふさがれ拘束されたシエル様から、少女の声が響く。

 白い手の中からぬるりと現れて、シエル様の首に腕を絡みつかせているのは、色のない少女だった。

 真っ白い少女の体からは、あらゆる大きさの男性のものや女性のもの、子供のものまで混じり合った手が幾重にも折り重なって、少女の体よりもずっと大きな翼のよう形になり、空に広がっている。


「あなたの声は、その姿は、この男を引き戻すもの。あなたは全てを魅了する。それはアレクサンドリアの聖女だから。かつてアレクサンドリアが、お母様の愛する男をお母様から奪ったように。お母様の大切なものを奪い、その心を壊したように」


「シエル様から離れて……!」


 私の肩に乗っているエーリスちゃんとファミーヌさんが、少女を威嚇するように、けれどどこか心配そうに「かぼちゃ……!」「タルト……!」と、少女に呼びかける。


「お姉様たち、哀れな姿。お母様を苦しめたアレクサンドリアに、その力を受けたものに、すっかり飼い慣らされてしまったのですね。可哀想」


「お姉様というと、君もやはり魔女の娘なんだね」


 レイル様が冷静に言った。


「ええ。あなたは……あなたも、私の子。死にたいと願い、私の体の一部になるはずだった、私の子」


「君の声を知っているよ。病にかかった私を、呼んでいたね」


「ええ。あなたは死にたいと願った。私は、死を与える。病による、静かで穏やかな死を。私は、イルネス。病による死を司る、魔女の娘。三番目の、娘」


「まぁ、そうだね。そういうこともあるよ。死にたいと願うことなんて、生きていれば……よくあることだよ」


 レイル様は肩をすくめる。

 それから、「余計なお世話と言うものではないのかな。迷惑なことをするね」と、イルネスを睨んだ。


「かぼちゃぷりん……」


「タルトタタン!」


 エーリスちゃんとファミーヌさんが、イルネスを呼んでいる。

 シエル様が白い手に拘束されながら、身を捩った。


「僕から……離れろ……! お前に渡すものは、僕には何一つない……!」


「あなたも死にたいと望んだ。ずっと、望んでいた。けれど私はあなたの命を奪わない。あなたは宝石人だから。お母様の大切な、宝石人だから。……あなたは強いけれど、私には勝てない。だって私は、あなたの力を奪うためだけに、幾つもの魂をこの体に貯めてきたのだから」


「シエル様……」


「あなたは邪魔ですね。私とお母様の望みを果たすために、あなたは邪魔」


「シエル様を返して!」


「返して……どうするのです? この男はあなたを愛しているのに、あなたの愛は、この男にはないのでしょう? アレクサンドリアは誰かを傷つけずには、生きていけない」


 くすくす笑いながら、けれど哀れむように、イルネスは言った。

 私はぎゅっと手を握りしめる。

 シエル様の心にある柔らかい部分を、勝手に曝け出されているみたいだ。

 誰にも伝えずに隠している、大切なことを、勝手に。

 シエル様が私を大切に思ってくれていることを、私は知っている。そんなの、一緒にいたらわかる。

 私だってシエル様が大切だもの。それは愛といえば、そうだなって思うもの。

 愛や恋は難しいけれど、私はシエル様が好き。一人ぼっちだった私に、ずっと泣きながら、誰かを恨んでばかりいた私に、はじめてできたお友達だもの。

 イルネスは、シエル様の首に巻きつけていた手を伸ばして、私を指差した。


「この世界はお母様のもの。そして、宝石人たちのもの。私は、私の役割を果たす」


 イルネスの周囲に、空を飛ぶ魔物の群れが現れる。

 一斉に襲いかかってくる魔物の群れを残して、イルネスとシエル様の姿は消えてしまった。



お読みくださりありがとうございました!

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