不浄なるものの襲来
何も遮るもののない空を飛空艇は進んでいく。
眼下には森や湖、山々が広がっている。空から見下ろすとレイル様ではないけれど、世界はあまりにも綺麗だ。
世界は広くて、私がとても小さくなってしまったように感じられる。
赤い月と、白い月が近く見える。
赤い月には──シルフィーナがいる。エーリスちゃんやファミーヌさんのお母さん。
幽閉されて、赤い涙をこぼしている。
ふと気づくと二人も、私と一緒に赤い月を見上げているようだった。
つぶらな瞳が、熱心に月を見ている。
私はエーリスちゃんとファミーヌさんをぎゅっと抱きしめた。
「姫君、ロクサスのそばに! ロクサス、操縦は任せたよ!」
「レイル様……?」
レイル様が短めの剣を抜いて、甲板の先端まで駆けていく。
エーデルシュタインのある山脈の上空には、翼をもつ魔物たちが浮かんでいる。
大きな一つ目と、私なんて一飲みにできてしまいそうな裂けた口には、鋭い牙が並んでいる。
巨大な顔からコウモリの羽に似た翼が生えている。
飛空艇の進路を遮るように、それは何匹も、角砂糖に群がる蟻のように空を黒く染めている。
「リディア、隠れていろ。大丈夫だ」
ルシアンさんが、抱き上げていたお父さんを私に手渡した。それから、安心させるように私の肩に手をおいてくれた。
特に慌てた様子もなく、落ち着いているルシアンさんを見上げる。
「ルシアンさん、あれは……」
「不浄なる者。空を飛ぶ魔物の一種だな。魔物は良い。難しいことを考えずに、戦うことができるからな」
ルシアンさん、妙に嬉しそうだ。
そういえばルシアンさんは戦うことが好きだったのよね。
レイル様も嬉々として、甲板の先端で次から次へと襲いかかってくる『不浄なるもの』を切り伏せている。
「ふっ、あははは……! シエル、こんな雑魚を差し向けてくるなんて、君は勇者である私の強さを忘れてしまったようだね! つまり君は偽物だ! 本物のシエルなら、不浄なる者の群れなど足止めにもならないことをわかっているはずだ!」
レイル様が甲板を蹴って空に浮かび上がると、両手に持った短い剣で飛来する不浄なる者を切り裂いた。
高笑いをあげながら、飛び回る不浄なる者を足場にして、さらに高い場所まで飛び上がる。空中で一回転して二振りの剣を、大きく口を開いて襲いかかってくる不浄なる者たち目掛けて振り下ろした。
一筋の光のように、連なる不浄なる者を切り裂いて甲板に戻るレイル様は、両手の剣を軽く振る。
不浄なる者が内側から弾け飛ぶようにして、霧散していく。
「兄上、生き生きしているな。仮面を被らなくて済むようになったからか」
「そういえば、フォックス仮面じゃなくなりましたね……」
操縦桿を持つロクサス様の後ろにこそこそ隠れながら、私は言った。
レイル様はこういう時いつも顔を隠していた。今は狐面は外されている。狐面の視界がどれほど広いのかわからないけれど、仮面がないほうが戦いやすそう。
「シエル様、偽物……」
レイル様の言葉を反芻して、私は口元に笑みを浮かべた。
うん。そうよね。
きっと、偽物だ。シエル様じゃない誰かが、シエル様のふりをしている。
この魔物たちに私たちを襲わせているのがシエル様だとして、シエル様は魔物を操ることなんてできないだろうし。
「レイル様、私の分も残しておいてください。先程は逃げることしかできなかったので、少々ストレスが溜まっています」
ルシアンさんが首飾りを首から外して、空に向かって投げる。
一瞬のうちにファフニールが姿を現して、ルシアンさんは軽々とその背に飛び乗った。
剣を抜いて、空に舞い上がり、ファフニールを手足のように操りながら、不浄なる者を切り伏せていく。
「……アレクサンドリアの聖女」
涼やかな声が聞こえる。
私は声の主を探して視線を彷徨わせた。
霧散する不浄なる者たちの背後に、シエル様が浮かんでいる。
黒いローブが風にはためいて、宝石が散りばめられたような美しい髪が風に揺れていた。
「シエル様……!」
「リディア、待て! ここにいろ!」
「ごめんなさい、私、シエル様と話さないと……!」
ロクサス様の静止を聞かずに、私はシエル様の元へと駆け寄る。レイル様のいる甲板の先端までくると、レイル様が片腕で私を抱き止めて、庇ってくれた。
「姫君、落ちるよ。落ち着いて」
「かぼちゃぷりん!」
「タルトタタン……」
レイル様と共に、心配そうにエーリスちゃんとファミーヌさんが声をかけてくれる。
崩れ落ちていく不浄なるものの大群の先で、シエル様は冷たい視線を私に向けていた。
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