若葉マークの飛空艇
飛空艇の甲板から見上げると、視線の先にあるのは動力源である風魔石である。
ロベリアの調理場で使用している炎魔石や水魔石よりもずっと大きい。
ロクサス様が甲板の先端近くにある円形の操縦桿(船のものによく似ている)を握り、片手で操縦桿の中央部分にあるエメラルドグリーンの拳大の魔石に触れる。
頭上の大きな風魔石が煌めき、足元が揺れた。
飛空艇が保管されている巨大な倉庫から、中庭に向けて真っ直ぐに進み始める。
クリスレインお兄様たちを乗せた桃饅頭が空に飛び上がり、私たちの姿を見下ろした。甲板に、桃饅頭の大きな影が落ちる。
「ロクサス様、大きい、すごい……こんなに大きいのに、動くのですね……!」
「リディア、俺は今かなり集中している。静かにしていろ」
風船のついた大きな船みたいな姿なのに、まっすぐ進むのが面白くて、私は少し興奮気味に操縦桿を握るロクサス様を覗き込んだ。怒られた。
「ご、ごめんなさい……」
「い、いや、怒っているわけじゃない。兄上以外を乗せて飛ぶのははじめてだ。そして、飛ばすのは久しい。お前の言葉は、どうにも集中力が削がれる」
「ひゃん……っ」
「な、なんだ……!?」
唐突に背後から誰かに抱きつかれて、私はびくりと身を震わせた。
私の腕の中にいるエーリスちゃんやファミーヌさんが、私ごとぎゅっと抱きしめられて、「ぷりん!」「タタン……!」と言いながら、不満げな顔をした。
「姫君、飛空艇は浮かび上がる時に一番激しく体が揺れるんだよ。甲板から投げ出されたら大変だから、ちゃんと捕まっていて。エーリスやファミーヌが飛ばされないようにね」
「は、はい……」
「姫君はエーリスとファミーヌを抱きしめていて。姫君のことは、私が守っていてあげる。今、私は、ルシアンが同じことをしようとした気配を察知して、先を越したんだよ。操縦桿を握るロクサスの隣で、ルシアンと姫君が仲良くしていたら、ロクサスが可哀想だなって思って」
「レイル様、妙な言いがかりはやめてください。私は許可もなく女性を抱きしめたりはしませんよ」
「許可を得るつもりだっただろう?」
「空を飛ぶというのは、危険ですからね。リディアや子供たちが吹き飛ばされないようにする必要が……お父さんも危ないから、こちらに来てください」
ルシアンさんは甲板をちょこちょこ歩いているお父さんを抱き上げた。
そういえば、お父さんの秘密の話はどうなったのかしら。みんなが揃ったのに、それどころじゃなくなってしまった。
お父さんの話も気になるけれど、今はシエル様よね。
「あ、あの、レイル様、あんまり耳元でお話しされると、くすぐったいです……」
「そう? 私の声も、……少し声をひそめると、そう悪くはないよね。ふふ、姫君、可愛いね。やっぱり勇者としては、船の甲板で姫君を抱きしめながら……ほら、風を感じる? この世界はあまりにも、綺麗だね……とか、やりたいよね」
「レイル様、よくわからないです……あの、近い、です……」
いつも明るいレイル様の声は、少し低くするだけで別人のように男らしいものに変わる。
至近距離でお話しされると、鼓膜に直接音を流し込まれているみたいで、体がぞわぞわした。
「リディア、集中が削がれる。少し黙れ。飛ぶぞ。しっかり捕まっていろ」
私は特に悪いことをしていない気がするのだけれど、ロクサス様に怒られた。
レイル様とルシアンさんは、操縦桿付近にある手すりに捕まり、私はエーリスちゃんとファミーヌさんをぎゅっと抱きしめた。
浮遊感が体を襲う。風に、体が包まれているみたいだ。
しっかり捕まっていなければ、確かに吹き飛ばされてしまう。
大きな船が風を纏い、空に浮かび上がる。
桃饅頭が飛空艇に付かず離れずの位置で飛んでいる。
眼下にジラール公爵家と街の景色が広がって、次第に小さくなっていく。
雲や空が、地面よりも近い。
やや斜めに傾いていた船体が平らに戻ると、体が浮くような浮遊感が消えて、衝撃が和らいだ。
「リディア、気をつけて! ガリオン殿との話し合いが終わったら、俺も合流をする!」
「ステファン様も……!」
桃饅頭の上で、ステファン様が手を振っている。
私が手を振りかえすと、ステファン様は振っていた手を握りしめて、空に掲げた。
桃饅頭が飛空艇から離れていく。
ロクサス様がまっすぐ前を見据えながら「離陸はなんとかなった。……次は着陸だな」と、呟いた。
「楽しかったね、姫君。飛空艇は空に浮かぶと安定してしまうからね。浮かぶときと、降りるときが一番楽しいんだよ」
レイル様が私からぱっと手を離して、にこやかに言った。
「兄上……先ほどのようなことは、危険だからやめろ。俺が魔力を暴走させて、操縦桿が消滅したらどうするんだ」
「さっきのこと? 何の話?」
「わかってやっているだろう」
操縦桿をそれはもう力強く握りしめながら、ロクサス様がレイル様を半眼で睨んだ。
レイル様は楽しそうに笑いながら、肩をすくめる。
「目の前でルシアンが姫君に必要以上に触るのを見るよりは、平常心でいられたでしょ?」
「……レイル様、聞こえるような声でいうのはやめてください。私は立場を弁えています」
「嘘でしょ」
「まぁ、そうですね。嘘です」
お父さんを抱っこしながらルシアンさんがレイル様と何かを話している。
私は腕の中から飛び出して、「かぼちゃぷりん!」と嬉しそうにぱたぱた飛ぼうとするエーリスちゃんが、風に吹き飛ばされそうになるのを必死に掴んで、ドレスの開いた胸元にぐいっと押し込んだ。
ファミーヌさんは私の首に巻き付いて、大人しくしてくれている。
さっきまではすごく、不安で。
苦しくて。泣きたい気持ちだったけれど。
レイル様やロクサス様、ルシアンさんのいつもと変わらないやり取りを聞いていたら、少し落ちつくことができた。
きっと、大丈夫。シエル様は──戻ってきてくれる。
シエル様は大切なお友達だ。
私の、はじめてのお友達。
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