嫌なことがあった日の、ほっと一息とろとろオムライス
シエル様と一緒に大衆食堂ロベリアに帰った私。
マーガレットさんのお肉屋さんはもうしまっていて、夕方から開いているお店はお酒を飲む飲み屋さんぐらい。
私のお店も日が落ちると閉めてしまう。
南地区の治安は、もともとそんなに良くはないのだけれど、夜はもっと良くない。
マーガレットさんやルシアンさん、ツクヨミさんが口を揃えて、女の子が一人で夜お店を開くのは危ないというから、素直に従っている。
用心棒でも雇えば大丈夫なのだろうけれど、そんな余裕はないし。
そもそも男性は信用できないって思ってるのに、用心棒というのは男性がほとんどだし。
シエル様は抱き上げていた私を、お店の前で降ろしてくれた。
お店の中に入ると、特にお客さんがきたような様子もなくて、しんと静まり返っていた。
私はクローズの看板を店先に出して、扉を閉めて鍵をかける。
暗い店内に魔石ランプを灯した。
魔石ランプの橙色の灯りが、柔らかく店内を照らす。
「とりあえず、着替えてきますから、待っていてくださいね」
「……リディアさん、僕に何かできることはありますか?」
「シエル様、お湯ぐらいは沸かせますか?」
「大丈夫だと思います」
「それじゃあ、お願いします。お茶を淹れたいので」
私はシエル様にキッチンのコンロの場所と、ケトルの場所を教えると、二階にあがった。
二階にあるのは、お風呂などの生活空間と、寝室ぐらい。
もともとここはマーガレットさんのご両親のお家だった。
寝室にはベッドが二つあって、私は窓際のベッドを使わせてもらっている。
クローゼットから部屋着を出してきて着替えた。
お店に出るときはちゃんと、ブラウスとスカート、エプロンでしっかり外用の武装をしているのだけれど、お店には今日シエル様が一人しかいない。
飾りひとつついていない黒いワンピースに着替えて、乱れた髪を結き直すと、私は一階に降りた。
ボロボロになってしまったエプロンとブラウスは、小さく切ってお掃除用のクロスにしようと思う。
「シエル様、お湯、沸きましたか?」
「ええ、多分大丈夫だと思います。それから、水魔石の魔力量が減っていたので、補充しておきました」
「え? あ、ありがとうございます……魔石に魔力を補充するには、数週間かかるって思っていたんですけれど……」
「魔石師は、魔石に自分の魔力を込めます。魔石の数が多いほど、魔力の使用量が増えて補充に時間がかかるんです。僕は……宝石人の特性で、魔力量が普通の人間よりも多いので、ひとつの魔石に魔力を補充するには、数分もかかりませんよ」
「それは、確かに、筆頭魔導師様ですから、そうなんでしょうけれど……」
「リディアさん、これぐらいのことなら僕にもできます。あなたの役に立てるのなら、いつでも言ってください」
「あ、ありがとうございます……」
嬉しそうにシエル様がいうので、私は恐縮した。
魔石の魔力を補充するのに筆頭魔導師様を呼びつけるのは、かなりの贅沢なのではないかしら。
流石にそれはできないのよ。
「それじゃあシエル様、残っている食材でお夕飯を作りますので、座って待っていてください」
「その……リディアさん。迷惑じゃなければ、近くで見ていても良いですか?」
「いいですけど……もう見張らなくても、大丈夫ですよ?」
「見張っているわけではなくて……リディアさんが、手早く食事をつくる姿を見ているのが、僕はかなり、好きみたいなんです。もともとあった食材の形が次々に変わっていったり、キッチンを動き回るあなたの姿を見ていると、……なんだか、心があたたかくなります」
「……そ、そうですか、シエル様、料理を作っているところを見るのが好きなんですね」
「ええ、多分」
「それなら、私と同じですね」
私も、神官家の調理場の片隅に座って、料理人たちの料理を見るのが好きだった。
その料理は私の口には入らなかったのだけれど、どれも美味しそうで、一体どんな味がするのだろうと思いながら熱心に眺めていた。
料理人たちは私の存在にまるで気づいていないようだった。迷惑にするでもなく、追い出すこともなく、私に視線を向けることもなかった。
神官家の使用人たちはみんな同じような感じだったから、気にしたこともなかったけれど。
今は、熱心にシエル様が私を見ている。少し落ち着かないけれど、……でも、嫌な感じはしない。
私は保存庫から玉ねぎと現実的なソーセージの残り、それから、卵をいくつか取り出した。
玉ねぎをみじん切りにして、茹でた後の現実的なソーセージを小さく切っていく。
コンロで熱して油を入れたフライパンで、玉ねぎとソーセージを炒める。
火がとおるのを待つ間に、ティーポットにカモミールティーの茶葉を入れて、シエル様が沸かしてくれたケトルでお湯を注いだ。
「シエル様、少ししたら、カップにお茶を注いでくれますか?」
「はい。わかりました。……リディアさん。楽しいですね。……いつもは研究室に篭っていて、もしくは、研究のために一人でフィールドワークに出ていて、食事は、固形食料を齧るぐらいだったのですけれど……こうして、一緒に食事の準備をする時間というのは、特別なものだと感じます」
シエル様が優雅な所作で準備したカップにお茶を注いでくれる。
お料理を作っているとき、私の心は悲しみとか怒りとかでいっぱいだったはずなのに、今日は、ステファン様にひどいことを言われて腹が立っていたはずなのに、恨み言を言う気にはなれなかった。
「……嫌なことがあったの。私の元婚約者は、最低な浮気者だけれど、それ以上に、ひどい差別をする人だったの。……言葉は、……刃みたいに、相手に傷をつけるのよ。だから、今までごめんね、玉ねぎさん、みんな……」
フライパンでじゅうじゅう音を立てながら、白から透明に変わっていく玉ねぎのみじん切りや、香ばしい香りを立ち上らせている現実的なソーセージに、私は謝った。
反省も、今日だけかもしれない。
明日から恨みと悲しみに満ちた私に戻るかも知れないけれど。
たまには反省する日があっても良いと思うの。
「リディアさん。……リディアさんも、傷ついていますよね。……すみません。咄嗟に、言葉が出てこなかった。ああいったことを言われるのには慣れていて、鈍感になっているようです」
お茶を注ぎながら、シエル様がポツリと言った。
私はフライパンに羽釜に残っているご飯を入れて、炒めていく。
それから、昼間作っておいた残り物のスープを温め直した。
ご飯を軽く炒めて塩胡椒をして、風味づけにバター、それから、乾燥パセリを入れて混ぜる。
一度コンロからおろして、新しいフライパンにバターを入れて温める。
フライパンが温まるまでに、お皿に炒めたご飯を丸型に盛り付けた。
「シエル様は、もっと怒って良いと思いますよ、私みたいに……」
いつも怒ってばかりいる私が言うのもなんだけれど、シエル様は怒らなすぎではないかしら。
あれほどひどい言葉をぶつけられたら、少しぐらいは感情を乱れさせても当然だと思うのに。
まるで、気にしていないようだった。
慣れているといっても、大人だからといっても、やっぱり、我慢しすぎは良くないと思う。
「……怒って良い、でしょうか」
「はい。だって、シエル様、何にも悪いことしてないじゃないですか。シエル様がした悪いことは、私を誘拐したことですけれど、それは謝ってくれましたし。……ちゃんと選ばれた立場で働いているのだから、あんなことを言われるのは、間違っていると思います……」
「…………リディアさん。……僕は」
私はフライパンに溶いた卵を入れて、手早くかき混ぜる。
さらさらだった卵がすぐに固まって、ドロドロになっていく。
半分ぐらいドロドロになりながら固まった卵を、盛り付けたご飯の上にかけた。
それを、二つ。
それから作り置きのトマトソースをフライパンで温めて、卵の上にかける。
「できました! シエル様、嫌なことがあった日のほっと一息とろとろオムライスと、普通の野菜スープです!」
今の私、怒っていない。
あと、悲しくもない。未練もない。
だから、料理名も、そんな感じ。
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