表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
188/296

昨日と今日は別の一日



 ルシアンさんとクリスレインお兄様、レイル様が帰ってきたのは、私が味のしない朝食を無理やり喉の奥に押し込んで、ミルクのたっぷり入った珈琲を飲み終えた時だった。


「ただいま、姫君。おはよう。今日も可愛いね! クリーム色のドレス、似合っているよ。バタークリームみたいで美味しそうだね」


 元気よくダイニングルームの扉を開いて中に入ってきたレイル様は、椅子に座る私を背後から抱きしめて、「桃饅頭の上は寒かったよ。姫君はぬくい。あったかい。ちょっと暖を取らせて」と言って、私の頭に頬を擦り付けた。


「レイル様、クリスレインお兄様、ルシアンさん、おかえりなさい……あ、あの、シエル様は……!」


 私は首にまわっているレイル様の腕をそっと掴んで、レイル様より少し遅れて入ってきたクリスレインお兄様やルシアンさんに視線を向ける。

 クリスレインお兄様は元々ジラール家に住んでいたみたいな堂々とかつ、優雅な所作で、長テーブルのマルクス様の向かい側の席に足を組んで座った。

 ルシアンさんは私の隣に立って、私の肩に軽く手を置いた後、胸に手を当てて立礼をした。


「王命により、エーデルシュタインの偵察に行ってまいりました。ルシアン・キルクケード、ただいま戻りました」


「ルシアン、いつも通りで良い。マルクス様の手前、礼節を重んじてくれているのだろうが、ここは王宮ではない。あまり堅苦しいと、リディアが怯える」


「あ、あの、ステファン様、大丈夫です……怯えたりとかはしないです、子供じゃないので……」


「そ、そうか。つい……俺の中ではリディアは十三歳の少女のイメージが強くて。すまない」


 ピシッとご挨拶をするルシアンさんに、ステファン様が言う。

 ルシアンの騎士のような姿を見るのは珍しいので、礼儀正しい姿に感心はするけれど、怯えたりはしない。

 ステファン様は私のことをまだ少女だと思っているのね。そんな年齢ではないのよ。

 だから、私を娘のように思っていると言っていたのかしら。

 ステファン様もまだお若いのに。


「それでは、いつも通りに。……リディア、落ち着いて聞いてほしい。リーヴィスの話は、本当だった。エーデルシュタインの上空で、私はシエルから攻撃を受けた」


 ルシアンさんは甘さのある低く淡々とした声で、静かにそう言った。

 言葉を理解するのに、時間がかかる。

 朝起きてから、昨日とは世界が変わってしまったみたいに思える。

 昨日までの世界は穏やかで満ち足りていて、色々あるけれど楽しくて。

 それはずっと続くものだと思っていたのに。


 新年祭の夜私を寝室に送り届けて、私の幸せを願ってくれたシエル様の涼やかな声を思い出す。

 そして、雪の日に冷たい部屋で一人きりでいたシエル様を。

 あの時私は、シエル様に伝えた。私が、シエル様を大切にするって。自分を大切にすることは難しいとシエル様は言っていたから──私の言葉は、シエル様に伝わらなかったのだろうか。


 言葉が、気持ちが──伝わっていると思うのは、傲慢だったのかもしれない。

 私はシエル様のことを何もわかっていなかったのかもしれない。


 シエル様の立場も、抱えているものも。辺境伯家との関係も。宝石人の方々の苦しみも。全部。


 哀れんで。同情して。

 わかったふりをしていただけだ。


 だって私は、何もしなかった。可哀想、酷い。辛い。そう思っても、何もしなかった。


「……っ」


 目尻に溜まった涙を、レイル様がハンカチで拭ってくれる。

 シエル様はよく、私を慰めてくれた。

 シエル様と出会った頃の私は、今よりもずっと泣いてばかりいたから。


 泣かないでくださいと、泣かせてしまってすみませんと、少し困ったように言うシエル様の様子が脳裏に想起される。

 私が見ていたシエル様は、全部、シエル様が作り上げていた幻のようなものだったのだろうか。 


「リディア、すまない。もっと良い知らせができれば良かったのだが。……シエルは私に攻撃をした後に、王に伝えろと。人を滅ぼし、この国は宝石人が支配するのだと。……これが私の見たものの全てです。今は事実のみを、私情を交えず話しました」


 ルシアンさんが私に短く謝罪をして、淡々と続けた。


「あぁ。ありがとう、ルシアン。怪我はないか?」


 ステファン様が頷く。真剣な表情のステファン様はいつものステファン様とは少し違う。

 正式な戴冠式はまだだけれど、ゼーレ様から王位を継いでいるステファン様は、聖王として話をしているみたいだった。


「大丈夫です。交戦はせずにすぐに逃げて戻りましたから」


「報告は、了解した。次は、私情を交えて話してくれ、ルシアン」


「はい。……私は、シエルが惑ったとは考えたくない。きっと何か事情があって、あのような振る舞いをしているのだと」


「ルシアンさん……そうですよね。きっと、そうです。シエル様は、優しい人ですから……」


「その事情は、宝石人を守ることではないのか? だから私はゼーレ様に反対をしたのだ。王宮に宝石人を入れて、あまつさえセイントワイスの筆頭魔導士に取り立てるなど。いつか寝首を掻かれるぞ、とな」


 マルクス様が眉間に皺を寄せていう。

 私は思わずマルクス様を睨んだ。


「シエル様はそんな人じゃありません……!」


「リディアさん。君は、宝石人と我が国の関係を知らないだろう。知っているかもしれないがそれは知識だけだ。本当に見てきたわけではない」


「それはそうかもしれないですけれど……でも、シエル様のことは知っています。近くでずっと、見てきましたから……!」


「リディア、落ち着け。父よ、そのような発言をするのなら同席は遠慮してもらおうか。辺境伯の隠居といい、父といい、古い者たちの皺寄せを押し付けられるのならまだ良い。だが大人しくしていれば良いものを、しゃしゃり出てこられると物事が悪化することがよくわかった」


「ロクサス……すまない、言い方が悪かったな。リディアさん、すまなかった。宝石人やシエルを責めているのではなく、暴動を起こされてもあまりあるような非道なことを、ベルナール人は宝石人に行ってきたという意味だった」


 ロクサス様にきつく叱られて、マルクス様は謝った。

 場をとりなすように、クリスレインお兄様が両手をパン! と、軽快な音を立てて叩いた。


「私はこの国の人間ではないからよく知らないけれどね。ああでもないこうでもないとここで話し合っていても仕方ないだろう? ウィスティリアの軍は、確かにエーデルシュタインに向かっているようだったよ」


「軍を率いているのは現辺境伯のクリフォード。それから、ガリオン殿も老体に鞭打って出陣なさっているよ。もう六十は過ぎているのではないのかな。年が明けてまだ一ヶ月も経っていない。寒いのに、よくやるよね」


 クリスレインお兄様の後を、レイル様が続ける。

 レイル様は私から体を離して、私の隣の席に座って、テーブルの上に置いてあるオレンジを器用にナイフを使って剥き始める。


「クリフォードとガリオン殿に話しかけたら、ジラール家の出来損ないとか、白月病にかかった呪われた死に損ないとか言われて、全く相手にしてもらえなかったね」


「あの老人は昔からそういう男だ。ゼーレ様にも反抗的だった。キルシュタインの制圧の時は、喜んで軍をキルシュタインに差し向けていたがな」


「……制圧戦争の後のキルシュタインの街は、酷いものでした。ほとんどの建物が焼かれて……女も子供も関係なく、殺されました。あれは、ゼーレ王ではなく」


「街の制圧は、ガリオンの指揮下だった。キルシュタイン人に、ウィスティリア領にある街や村を焼かれただの、毒を水路に流されただの言っていたからな。酷く恨んでいたようだった」


「あぁ、それで……」


 ルシアンさんは少し疲れたように、息をついた。

 マルクス様が眉間に皺を寄せながら、腕を組んで言った。


「それに、一人娘として溺愛していたビアンカを宝石人に奪われた後だったからな、他種族を敵視するようになっていたのだろう。ビアンカのことがある前は、もう少し話のできる穏やかな男だったように思うのだが……といっても、あの時代は私やゼーレ様などは、ガリオンから見れば子供のようなものだっただろうがな」


「ウィスティリアの軍がエーデルシュタインに到着したら、戦いが始まってしまうということですよね……?」


 私はガタリと椅子から立ち上がった。

 クリスレインお兄様の言うとおりだ。このままここにいても何も変わらない。

 私は──行かなきゃ。


「私、シエル様に会いに行ってきます。シエル様は宝石人の方々を守るために、どんなことを言われても黙っているような人です。それに、王国人を守るために魔物の研究を続けて、お休みをしないで働いていて……! だから、私……シエル様が傷つくのも、シエル様が誰かを傷つけるのも、嫌です……」


 何かが間違っている。

 昨日と今日の間には大きな隔たりがあって、どこかで何かが間違ってしまったような気がする。

 でも、きっと、まだ間に合う。

 だから早く、行かないと。

 会って、話して、もしシエル様が何かを一人で抱えているのなら、重たい荷物を一緒に持って差し上げたい。


「リディアならそう言うと思っていた。事実の確認ができたら、エーデルシュタインに向かうつもりだった。シエルに敵う魔導師は、この国にはいない。ガリオン殿の軍も、シエル一人で壊滅させることができるだろう。ガリオン殿もクリフォードの命も、簡単に奪うことができる。今までのシエルは、それをしなかったというだけで」


 ステファン様も立ち上がり、私に向かって微笑んだ。


「シエルを助けに行こう、リディア。君が俺を、助けてくれたように」


「はい……!」


「皆で行くのだよね。桃饅頭に全員乗れるかな」


 クリスレインお兄様が首を傾げる。ロクサス様が片手をあげて「移動手段なら、ジラール家の飛空艇を使うと良い」と言った。



お読みくださりありがとうございました!

評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ