エーデルシュタインの騒乱
開かれた扉の前にいたのはジラール家の侍女の方で、「お休みのところ申し訳ありません、皆様がお呼びです」と言って、お着替えを手伝ってくれた。
スカートや袖のたっぷりとしたクリーム色のドレスに、私が持ってきた赤いショールを羽織らせてもらう。
リボンを編み込むようにしながら髪を結い上げて、あたたかい蒸しタオルで顔や手を拭いて、倭国との貿易品の椿から作られている美容オイルを肌に塗りこんでもらう。
一人ではまずしないお手入れをしてもらった私は、朝から艶々に輝いている。
黒い髪に紫の瞳のやや地味な色合いの私だけれど、着飾っているためかクリスレインお兄様やティアンサお母様のように華やかに見える。
「可愛い」
ドレスのスカートの裾をつまんで鏡の前でくるっと回ると、私のお世話をしてくれた侍女の方も「とても可愛いです、リディア様」と褒めてくれた。
エーリスちゃんとファミーヌさんが赤いショールの隙間から服の間に潜り込んでくる。
私はお父さんを両手に抱いて、お部屋から外に出た。
「そういえば、お父さん、お話が途中でした」
「急ぐことでもない。それに、リディア一人に話すよりも、皆が揃った時に話したほうが早い。君は私の話を、皆に伝えるだろうから」
「それは確かにそうですけれど、気になります」
「私は全てを話すと決めた。焦る必要はない。それより今は、皆の元へ急いだ方がいい」
「そうですね……」
昨日は夜遅くまでお酒を飲んでいたのではないのかしら。
だからまだ皆、眠っているものと思っていたのだけれど。
私は侍女の方に案内されて、皆が待っているというダイニングルームに向かった。
ダイニングルームの長テーブルはお花や燭台で綺麗に飾り付けられている。ミルクがたっぷり入った珈琲。小さく切られた果物。バターの香りのする焼きたてのパン。卵サラダ。黄金色のコンソメスープ。などなどの食事が準備されていて、私が椅子に座るとエーリスちゃんが私の前に置かれているパンをあむあむ食べ始める。
エーリスちゃんの横にちょこんと座ったファミーヌさんにも、私はパンを小さく切って食べさせてあげた。
「おはよう、リディア。そのドレス、よく似合っている」
「リディア、お前も食事を済ませろ」
私がダイニングルームに入ると、何やら難しい顔で話し合っていたステファン様やロクサス様が会話をやめて、私に声をかけてくれる。
ステファン様は嬉しそうに褒めてくれたけれど、ロクサス様はやや厳しい声で私に言った。
「何かあったんですか……?」
急ぎの用事があるのかしら。
私はロクサス様に促されたので珈琲のカップに口をつけて、苺ジャムのたっぷり乗ったパンを口に入れた。
エーリスちゃんの口が苺ジャムでべとべとになっている。
ファミーヌさんが見かねたように、尻尾でぱしぱしとエーリスちゃんを叩いている。
お父さんは私の隣に置かれた椅子に乗り移って、姿勢を正して座った。正しいおすわりの形だ。
「セイントワイスのリーヴィスから、魔力蝶で今朝方知らせが届いた。シエルが行方知れずになったこと、それから……ウィスティリア家が、エーデルシュタインに軍を向けていること」
ステファン様が難しい顔で言った。
魔力蝶とは、魔導士の方々が時折使用する連絡手段で、お手紙のようにして魔力でできた蝶に言葉を込めて飛ばすことができる。リーヴィスさんの魔力蝶がステファン様に届けられたということだろう。
私はステファン様の言葉の意味が一瞬わからなくて、数回瞬きをする。
昨日は、レイル様がジラール家に戻って、みんなでお祝いをして。
楽しかったし、嬉しかった。
ふかふかのベッドでぐっすり眠って、綺麗なドレスを着せてもらって。
今日はロベリアに帰って、いつもと同じ日常に戻る、はずだったのに。
「……シエル様が?」
「落ち着いて聞け、リディア。まだ何もわからない。シエルが長期間不在にするのはよくあることらしい。だが、セイントワイスの者たちが連絡に使用している念話という特殊な魔法に、応答がない。シエルが返事をしないことなど滅多にないそうだ」
ロクサス様が腕を組んで言った。
シエル様が、行方不明。
でも、大丈夫よね。シエル様はセイントワイスの筆頭魔導士様で、とても強いもの。
何かの事情があって、返事ができないだけかもしれない。
「そして、シエルの不在と同時にウィスティリアが軍をエーデルシュタインに向けた。エーデルシュタインの宝石人をシエルが率いてウィスティリアと戦おうとしているのだと、ウィスティリア領では噂が流れているらしい」
「そんなわけ、ないです……シエル様は、そんなことをする人じゃありません……!」
ロクサス様に強い口調で言ってしまって、私は口を手で押さえる。
「大丈夫だ、リディア。わかっている。リーヴィスもただの噂にしか過ぎないと言っていた。だから桃饅頭とファフニールで空からの偵察を頼んだ。ルシアンにはエーデルシュタインを、クリスレイン殿とレイルにはウィスティリアが本当に軍を出しているのかを調べに行ってもらっている」
宥めるように落ち着いた声でステファン様が言う。
私は手に持っていたパンをお皿に戻した。
不安が胸を支配する。
心臓の音がうるさい。指先が一気に冷えていく。
シエル様に何かあったのかもしれない。ウィスティリアはシエル様の家で、エーデルシュタインはシエル様のお父様の出身地。
ウィスティリアの家は、シエル様やシエル様のお父様とお母様にひどいことをした。
シエル様はウィスティリアを憎んでいるのかもしれない。それに、その体の半分は宝石人だから、宝石人を守ろうと思ったのかもしれない。
だから、一人でエーデルシュタインに向かって、宝石人を率いて戦争を起こそうとしている──?
(違う。シエル様は……強い力を持っているけれど、戦うことを選ばない人だもの)
その魔力は、力は、人々を守るためのものだと──自分を戒めているような人だ。
優しい人だと、私は知っている。
きっと何かの間違い。ただの噂。でも、行方がわからないのは、どうして……?
「軍を率いているのはクリフォードの若造か? 流石に、ウィスティリアの隠居ではないだろう。あれは娘を宝石人に奪われて、宝石人を憎んでいたようだが、もう棺桶に片足を突っ込んでいるような年齢だ。今更、なんだというんだ」
静かに話を聞いていたマルクス様が口を開いた。
「兄上の話では、白月病の罹患者がウィスティリア辺境伯領に異様に増えているのだと、街の者たちが話していたという。聖都にまで噂が広まっているぐらいだからな、事実ではあるのだろうが。父よ、ウィスティリアの隠居はかなりの高齢なのか?」
「あぁ。私よりも二十は上だ。もうとっくに死んでいても良い年だな」
ロクサス様の問いに、マルクス様が答える。
その方は、シエル様のお祖父様だ。シエル様のお父様、サフィーロ様を宝石穿ちの刑にしたという、辺境伯。
「……白月病は、宝石人の呪いだと。ウィスティリア領では言われているらしい。父上が病に伏して、俺が……魔物に操られている間に、じわじわとそのような噂が辺境の地では広まっていったようだ。その噂がおそらく、大神殿での騒乱と共に噂ではないと判断されたのだろう」
「……どうしてですか?」
「俺は魔物に操られていた。王家を支配するほどの恐ろしい魔物がこの国には蔓延っている。魔物とは害悪。宝石人は魔物。魔物は……呪いの魔法を使うことができる。白月病も、呪い。……単純だが、恐怖や疑惑は人々に広まりやすい。多くの者が同じように考えれば、噂は真実となってしまう」
「タルトタタン……」
ファミーヌさんが私のショールの中に潜り込んでくる。
エーリスちゃんが両手をぱたぱた広げて、ファミーヌさんを庇うようにした。
「子供たち、大丈夫だ。ステファンは子供たちを責めているわけではない」
お父さんに言われて、エーリスちゃんは「かぼちゃ……」と言って、目をぱちくりさせた。
「リディア、食事をしておけ。どちらにせよ、兄上たちやルシアンが戻ってくるまでは何もすることがない」
ロクサス様が言う。
私は頷くと、目の前のパンを見つめた。無理やり口に押し込んで、飲み込んだ。
不安が胸をぐるぐると渦巻いて、せっかくの美味しそうなパンなのに、何の味もしなかった。
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