お父さんの秘密の話
目覚めると、見知らぬ景色が視界に飛び込んできて、一瞬ここがどこかのかわからなかった。
ロベリアではなくて、ここは──。
「ロクサス様の、お家……」
すぴすぴ眠っているエーリスちゃんやファミーヌさんを、ふかふかのベッドに寝転んだまま指先でつついた。
エーリスちゃんの体に指が沈み込んで、離すとムニっと戻ってくるのが面白くて、何度かそれを続ける。
無防備なファミーヌさんの小さな手を取って、ピンク色の肉球をむにむにしてみる。
二人とも、ジラール家の高級入浴剤の良い香りがする。
しばらくむにむにしたりふにふにしたりしていたけれど、そういえばお父さんの姿がないことに気づいて、私はのっそりと起き出した。
「おはようございます、お父さん。早いですね」
「よく寝たからな」
「どうしました? 何か、悩みごとですか?」
「……まぁ、そうだな」
お父さんがバルコニーに続く大きな窓の前で、外の景色を見つめている。
時計は午前十時を示していて、朝を過ぎて昼前の明るい日差しが、お父さんの白い小さな体とバルコニーに溜まっている白い雪を照らして、きらきら輝かせていた。
ベッドの横のルームシューズを履いて、私はお父さんの隣にいく。
肩からずり落ちそうになる寝衣を引っ張って整えると、窓の外に視線を向けた。
夜のうちに降った新雪が、こんもりと積もっている。
真っ白な世界に日差しが降り注ぐ光景は、どことなく神聖さを感じる。
吐き出した息が窓を白く曇らせた。
皆、もう起きたのかしら。それともまだ寝ているかしら。
昨日眠る前に何かに悩んでいた気がするけれど、一晩ぐっすり眠ったら、気持ちが軽くなったみたいだ。
「そろそろ、私のことを話そうか悩んでいる」
「お父さんのこと?」
「あぁ。ずっと秘密にしていたことだ。私の話、私の知っていることについて君に話すことは、君の負担にしかならない。そう思っていた」
「お父さんの知っていることを私に話すと、よくないってお父さんは言っていた気がしますよ」
私はお父さんのことをよく知らない。
私が幼いときに現れた聖獣という存在で、不死者。
ふわふわの子犬の姿なのは、私が可愛い姿が良いと望んだから。
可愛いに絶対的な自信を持っていて、お酒が好き。
本当は顔立ちの良い成人男性の姿をしている。そして秘密が多い。私が知っているのはそれぐらいだ。
「よくない。そうだな。よくない。だが、リディアのそばでずっとリディアと、周りのものたちを見てきて気づいた。リディア、君はとても善良だ」
「そんなことないですよ。怒ったり、泣いたり嫌がったりします。良い人なんかじゃないです」
お父さんに褒められたので、私は首を振った。
最近は時々褒めてもらうことがあるけれど、私が誰かを助けることができているとしたらそれは、私だけの力じゃない。
私は、一人では何もできなかった。
シエル様に無理やり閉じこもっていたお店から連れ出してもらってから、みんなと出会って励ましてもらって。
支えてもらったから、今ここにいることができているというだけだ。
「君の心の奥にある君の本質は善良だ。人にはいろいろな一面があるだろう。愚痴や文句を言いながら、それでも助けを求めて伸ばされた手を君は振り払うことができない。それは君の優しさだ。君の優しさが、周りのものを変えていく」
「……違いますよ。私のそばにいてくれる皆が優しいのは、もともと皆、優しいからです」
「どんな目にあっても、何を見ても、君は許しを与えるのだろうな。エーリスやファミーヌを許し、愛しているように」
「愛……!」
恋や愛のことは難しいと、寝る前の私は悩んでいたように思う。
けれどお父さんがさらっと愛と口にしたので、私はびっくりした。
「かぼちゃぷりん!」
「タルトタタン……」
私の声に気づいたのか、エーリスちゃんとファミーヌさんが私の元へと跳ねるようにしてやってくる。
二人を両手にぎゅっと抱きしめて、私は『愛』という言葉を心の中で繰り返した。
私は二人のことが好き。
ふわふわしていて可愛いし、小さな体で私を守ろうとしてくれるし、私のそばにいてくれる。
私は二人を守らなきゃって思う。
二人の記憶はお母さんに愛されたいという感情に満ちていた。
シルフィーナは二人を大切にできなかった。
でも、もしかしたら。イルフィミア様のように、間違えてしまっただけなのかもしれない。
「君の愛が、二人を変えた。憎しみと憂いと悲しみと苦しみと全ての苦痛に満ちていた二人を、まっさらな幼い姿に変えた。私はずっと、アレクサンドリアの力を持って生まれてしまった君だが、君の人生は君のものだと思っていた」
「ええと、どういうことですか?」
「君の人生は君のものだ。君が何をなすべきか、選ぶもの。愛するものと結婚をして静かに暮らすのも、食堂を開いて料理を振る舞い皆に幸せを分け与えるのも、それは全て君の自由」
「自由……」
「君は優しくて善良だ。だから、私の話は君の負担になるだろう、リディア。私は君に、重たい荷物を背負わせたくないと考えていた」
「重たい荷物なら結構持てますよ。ロクサス様が隠した絵に描いてあった蛸ぐらい、大きな蛸だって運べるのですから」
「あれは忘れた方が良い」
「蛸というのは女性に絡みつくものなのでしょうか……私も絡みつかれました」
「それも忘れた方が良い」
確かにそうだ。今は蛸について話している場合じゃない。
「つまり、私が言いたいのは、私は結構重たい荷物が持てるので、お父さんのお話を聞いても潰れちゃったりはしないんじゃないかな、ということです」
「君は、強くなったな、リディア」
「……それは、私が一人じゃないからかなって。……シエル様が、不死者や魔女の娘について調べるって言ってくれていました。シエル様はご不在で、……それは、私のせいでお仕事が増えてしまったからじゃないかなって思うんです」
「彼は宝石人だ。賢く、強い。だが、脆い。宝石人とは、そういう存在だ」
「お父さんは宝石人のことも知っているんですね。教えてください。お父さんが知っていること……もしそれが重たい荷物だとしても、私は一人で全部を抱えるつもりはありません。私には一緒に荷物を持ってくれる人たちがいるって、思うから」
以前の私ならきっと、そんなふうには思わなかった。
今は違う。
私がルシアンさんを助けたいと言った時、皆が私を助けてくれた。
ステファン様の時もそう。
そして、レイル様がロクサス様を救いたいと言った時、皆で一緒に来てくれた。
「お父さんがいつか教えてくれました。お友達とは、楽しさを何倍にもして、苦しさを、半分にするものだって。私には今、お友達がいるから」
「そうだな。お前の友人たちも、悩み苦しみ、もがきながらも、……皆、必死に生きている。正しい道を歩んで行こうとしている。リディア、私は──」
お父さんが何かを言いかけた時、お部屋の扉がやや慌ただしく叩かれた。
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