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病による死:イルネス



 宮殿の奥へと、フィロウズは進んでいく。

 柱や天上には宝石が埋め込まれていて、天上からつり下がっている数々のシエルの拳ほどもありそうな大きな宝石は、ランプのように輝きあたりを照らしている。

 岩をくり抜いて作られている宮殿には窓が少ない。だが、煌びやかな宝石に灯りが反射して、薄暗さはない。

 

 深く深く深淵へと続く洞窟を、灯りを照らしながら歩いているようだとシエルは思う。

 この町には一度だけ来たことがあるが、宮殿の奥にまで入るのはこれがはじめてだった。


「お前はこの街の宝石を見て、どう思う?」


「宝石人の宝石とは魔力の結晶。この街は強い魔力に覆われていると思います」


「あぁ。人間たちは我らをただの装飾品の石だと考える。多少魔道に詳しい者は、魔石として我らを扱う」


「人々の使用している魔石の殆どは、地に溶けた魔物から零れた魔力が載積して結晶化したものです。氷や、水や炎。それぞれの魔力を注ぎ込んで、生活に役立てています」


 リディアの食堂でも使われている魔石は、採掘所から採掘されたものだ。

 フィロウズの言うように宝石人の欠片から成る魔石は、一般には流通していない。


 ただ──確かに国の一部ではそれを利用している。

 各地を守護する結界石がそれにあたる。

 結界石は宝石人の欠片を集めて溶かし、再結晶化した純度の高い魔石で、シエルの体よりも大きい。

 あれほどの大きさの魔石をつくるためには、多くの宝石人が過去、犠牲になったのだろう。


「……人間全てが、あなたたち宝石人を、魔石や鉱物だと考えているわけではない」


 そう口にして、シエルは自分の言葉に俄に驚いた。

 シエル自身も――己を、鉱物と人の混じり物。どちらにもなれず、中途半端な『魔物』だと、思っていたからだ。

 そう言われて育ち、拒絶や畏れを孕んだ視線も何度も向けられてきた。

 人にはなれず、人より下の立場だ。

 人は宝石人の混じり物であるシエルを見下すが、同時に恐れた。


 どうにもならない溝が。シエルと世界の間にはある。シエルと人と宝石人の世界は、近いようでいて重なることはありはしない。

 いつか朽ちることができるまで、自分は独りだと、考えていた。

 それで良いと思っていた。寂しさも、悲しみも苦しみも、そこにはなかった。


「綺麗事を言う。人の世界で暮らして絆されたのか? お前は所詮は化け物だ。人が我らを見下し恐れるように、人はお前を見下し恐れる。この国でお前の居場所があるとしたら、それはお前が人にとって有益な存在だからだ」


「ええ。そうですね。僕は人を守る。だから……セイントワイスという居場所を得ることができました。けれどそれは、僕が特別だからではない。人は人を守る。それは優しさや愛というものだと考えています」


 ――あぁ、そうか。

 今まで胸の奥にあった形のないものが、手で触れられるぐらいにはっきりと浮かび上がってくる。


 シエルは、セイントワイスの魔導師たちとともに死の淵にあったあの日。

 リディアの力を頼った時からずっと、リディアを見てきた。

 友人だと言ってくれたリディアの傍で。

 リディアがシエルをはじめての友達と言ったように、シエルにとってもリディアははじめてできた友人だった。


 極力誰とも関わらないように、仕事をして眠るだけの日々を浪費する中で。

 はじめて、自分から余暇というものを、使って行動をした。

 家を買い、研究室を移し、ロベリアに顔を出して食事をした。食事など――生きるために必要だから、仕方なくしていただけだったのに。


 何かを食べたいと思うことも、美味しいと感じることも、生まれてからリディアに出会うまでは一度もなかった。

 まるで世界に色がついたように、リディアと出会ってからの日々は鮮やかだった。


「宝石人は人々に見下され、苦しめられてきた。これは事実です。ですが、人々の中にも僕のような異端者を見下さず受け入れてくれる者がいる。これもまた事実です」


「心の底では、どう思われているのかなど分からんだろう」


「心の奥までは見ることができません。言葉は儚い。けれどその言葉は行動へと繋がる。誰かを必死で守ろうとしてくれたり、笑顔を浮かべて受け入れてくれる。人は人を愛し、動物を愛し、植物を愛し――魔物を愛することができる」


 リディアはいつも何かに巻き込まれて、逃げることなく立ち向かっていた。

 怯えて、怖いと泣きながら、それでも最後には――どんな苦しいことにも向き合っていた。

 レイルを助け、白月病の診療所で病に苦しむ人々を救い、復讐を胸に秘めていたルシアンに手を伸ばした。


 長い間リディアを傷つけていたステファンやフランソワを救い、両親を助け――許した。

 そしてエーリスやファミーヌを受け入れて、傍に置いている。


 救済と、許し。

 それは――愛と呼ぶべきものだろう。

 その愛はきっと、シエルにも向けられている。それは友人として。

 異形の自分を友人だと言ってくれた。暗い雪道を、心配だからと一人で家まで来てくれた。


 ご飯を食べないと駄目だと言って、料理をしてくれて。

 まともに生活をしていないことについて、泣きながら怒ってくれた。


(どうして――今まで僕は、それに気づかなかったのだろう)


 人の温もりも愛情も手に入るはずがないと、諦めて手放して、それからずっと拗ねていた。

 人ではないからと、欲しいものから目をそらして。

 人ではないからと、己の力を驕って。


 ここに、一人でいることに違和感を覚える。

 ヴィルシャークから手紙を貰って。一人で、聖地へと赴いて。

 リディアを守りたいからと、全てを一人で――終わらせようとして。


 助けて欲しいと伸ばせば掴んでくれる手がそこにあることを知りながら、それを拒絶した。

 巻き込みたくない。リディアの幸せな生活を、壊したくない。

 自分は――そこにいなくても、良い。


 どこかでそう、思っていた。


「全ての人間が冷酷であると断じるのは、暴虐な考えです」


「甘いな。昔はもっと、醒めた目をしていた。お前はきっと全てを恨むだろう。全てを恨み――我らの元へと戻ってくるだろう。そう、予言者は言った」


「予言者……」


「お前は人の世界で誰かを愛したのか? 我が息子、サフィーロのように。愚かな女に騙されたのか。だが、お前の愛した女はここにはいない。お前は愛されていないのか。裏切られたのか。サフィーロを愛していると言った人の娘は、サフィーロの傍から離れることなどなかったというのに」


「男女が番う。それだけが、愛ではない。親愛も、敬愛も博愛も全て含めて愛情でしょう」


「それこそ、綺麗事だな。お前は何のためにここに来た。お前を虐げたウィスティリア辺境伯家を守るためか? 我らを穿ったベルナール人どもを守るためか? 正直に話せ、シエル。心の底など、簡単に読むことができる」


 フィロウズの赤い瞳が不可思議に煌めいた。

 心を読める。本当にそうなのだろう。王と崇められるフィロウズは、宝石人の中でもより強大な魔力を有している。

 人は人を騙し嘘をつくが、宝石人は純粋な者が多い。

 心の底までを考えることなく、言葉そのものを受け取る。


 だから――幼い宝石人を騙し攫うのはとても簡単だ。乱獲された歴史にはそういった、宝石人特有の性質にも原因がある。

 純粋無垢で争いを嫌う。強力な魔力を有し堅牢な体を持つが、戦う術を持たない。

 だから、今はフィロウズのような王が必要だった。

 人の嘘を見抜き、宝石人を守る王が。


「僕は……優しくない。そのどちらも、本当はどうでも良い。僕の大切な人を、争いに巻き込まないために、僕はここにきました」


「お前もサフィーロと同じだ。大切な女を守るためなら、自分の身を砕く」


「死ぬ気はありません」


「シエル。我らは長い間、苦しみの中にあった。この地に産まれ落ちるも土地を持たずに流れ者となり、どこに行っても異端とされる。化け物と呼ばれ人に狩られ、体を穿たれ殺される」


 淡々と、フィロウズは続ける。


「大切な者を殺された宝石人は、悲しみ嘆き、その命を終わらせる。何人もの宝石人がそうして命を落とし宝石となった。エーデルシュタインは安住の地ではない。何度も襲撃を受け、我らは数を減らした。この地に埋め込まれた宝石は、奪われた命に嘆き、失われた宝石人の体だ」


「……ゼーレ王も、そしてステファン殿下も、賢君です。嘆きの歴史は消えることはない。ですが、憎しみ合うばかりでは何も変わりません」


 キルシュタイン人は、ルシアンもきっと――ベルナール人を全て許したというわけではないだろう。

 それでも争いは終わった。

 リディアの優しさが、愛が、空から降って。

 武器から手を離し、愛する者や大切な者たちと抱きしめ合った。


 憎しみから流した血は、それ以上に多くの血へと変わるだろう。

 綺麗事かもしれない。だが、シエルはリディアの瞳に映る優しく綺麗な世界を守りたい。

 それだけが、シエルの中での真実だった。


「もう手遅れだ。ウィスティリアはエーデルシュタインに攻めてくるのだろう。我らは戦うことを決めた。予言者が我らの元に現れて――我らは戦うべきだと教えてくれた」


「また、予言者ですか。予言者とは、一体――」


 回廊を進み、宮殿の最奥へと辿り着いたようだった。

 魔石の光が揺らめく、宝石で作られた檻のような小部屋の豪奢な椅子に、真っ白い少女が座っている。

 どことなく――その姿は少女の姿のエーリスに似ている。


 背丈よりも長い白い髪が、滝のように椅子から床へと流れている。

 真っ白なワンピースからほっそりそした腕と、裸足の足が伸びている。

 美しい青い大きな瞳は湖面のように、シエルの顔を写していた。


「それは、私。病による死を司る、魔女の娘。私はシルフィーナの三番目の娘、イルネス」


「……イルネス」


「ええ。あなたは、妖精竜を殺し、私の妹を殺した」


 すっと、少女の――イルネスの指先がシエルに伸びる。


「あなたは強い。お母様は私に希望を託した。宝石人たちは、お母様の子供。私は宝石人を守る。時は満ちた」


「病による死……白月病は、あなたが」


「ええ。人に子供を殺され、家族を殺され。悲しみ嘆き死にたいと願う。宝石人の命はそれだけで簡単に失われてしまう。だから、私は人にそれを返した。死にたいと願った人間に、死を。ただそれだけのこと。病は優しく体を蝕み、やがて、私の元へと命があつまる」


 白月病に罹患した者は「こっちにおいで」という女の声が聞こえるのだという。

 それは、イルネスの声だったのだろう。

 フィロウズが恭しく、イルネスに頭を下げる。

 シエルは指先に魔力を集中させながら、一歩前へと進んだ。


「辺境伯領の噂は本当だったということですね。あなたを匿っていたこと、人に危害を加えていたことが分かれば、エーデルシュタインは滅ぼされる。戦争が起これば、悲しむ人がいる。僕はあなたを倒さなければいけない」


「あなたは宝石人の希望。あなたは強い。あなたがいれば、この国は滅ぶ」


「……馬鹿げたことを」


「あなたは私たちに力を貸すでしょう。あなたもまた、お母様の子供なのだから」


「シエル。お前は我らの味方だろう。我らは殺される。ウィスティリアの軍によって。宝石人の多くは戦う心を持たない。……だが、我らには長い年月で溜め込んだ、魔石がある」


 イルネスの隣に、フィロウズが立って、口を開いた。娘を守る父のように。

 宝石人は、シルフィーナの子供。

 魔女の娘と妖精竜を、シエルは殺した。

 イルネスの言葉について一瞬考えた。エメラルドグリーンに輝く動物が、シエルのローブの中から顔を出して、「ジジッ」と、小さな警戒音のような鳴き声をあげた。


「この街の魔石の力を解放すれば、この国は焦土と化すだろう。多くの人間が死ぬ。だが、我らは死なない。魔石の魔力を受けても、我らは死ぬことがない。イルネス様がそれを教えてくれた」


「宝石人も魔物も、お母様の子供。魔力でできているお母様の子供は、同じ魔力を受けても無傷。人は滅ぶ。お母様を傷つけた者たちは滅ぶ。私は宝石人を守る。それがお母様の望み。時は満ちた。多くの命が私の元に集まり――私は力を取り戻した」


 表情のなかったイルネスの唇が、笑みの形に変わった。

 優しく慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、イルネスは両手を広げる。

 確かに二人の言うとおり、これだけの量の魔石の力を解放したら、大きな魔力の奔流が国中に溢れるだろう。

 大規模な爆発といっても良い。火山が爆発するような――この国が、全て吹き飛んでしまうようなもの。

 そんなことは――させるわけにはいかない。


「あなたが人を守りたいと思うのならば、あなたが宝石人を率いて人を支配なさい。その力があなたにはある。この国が焦土になることを防ぎたいのなら、あなたの力を私たちに捧げなさい」


「――紅蓮の炎竜」


 話し合いは、意味を為さない。

 多くの宝石人は平和を求めている。イルネスの言葉にフィロウズは惑っているのだろう。

 だとしたら――イルネスを今ここで倒さなくては。

 シエルの魔法が構築されて、少女に深紅の炎を纏った細長い形をした竜が襲いかかるのと、少女の足下からするすると伸びた真っ白い何本もの手がシエルの体に絡みつくのは、同時だった。

 シエルの顔を覆うようにして、白い手がシエルの体を包み込んでいく。


「時は満ちた。病による死が人を滅ぼす前に、人は私を殺しに来る。私はそれを知っている。だから、待っていた。私の力はあなたを支配するためにある。私は最後の一人になってしまった。……使命を、果たさなければ」


 眠りなさい。

 眠りなさい。

 もう疲れたでしょう。

 永遠に。

 

 大丈夫――次に目覚めたとき、世界はよりよいものに変わっている。


 耳元で少女の声が聞こえる。

 夜のとばりが落ちるように、瞼が閉じていく。

 ――自分一人でどうにかできると、ずっと思っていた。

 雪の日の夜。泣きそうな顔で怒るリディアを抱きしめた記憶が、蘇る。

 シエルと共にあった動物――妖精竜が、イルネスの元に駆けていくのが、シエルの最後に見た光景だった。

 


お読みくださりありがとうございました!

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