ヴィルシャーク・ウィスティリア
旧キルシュタイン領も、それから宝石人の街エーデルシュタインも、ウィスティリア辺境伯領にある。
元々キルシュタインとウィスティリア領は隣接しており、先の戦争後にベルナール王国にキルシュタインは併合された形になっている。
「旧キルシュタイン領……この地の面倒を見たいという者は、いなかった。その時は辺境伯様はまだ元気で、ゼーレ王は辺境伯の立場を思いこの地を辺境伯家に任せて、中央から役人を派遣することはしなかった」
「それで、あなたがここに」
「あぁ。辺境伯家は兄のクリフォードが継いでいる。俺はこの地を任せられた。要らないと言われている気がした。こんな……キルシュタイン人ばかりのいる土地をどうしろというのだと、鬱積した怒りを抱えて日々を過ごしていた」
旧キルシュタイン領の一室で、シエルはヴィルシャークと向き合っている。
テーブルには紅茶や茶菓子。
ソファの対面に座っているヴィルシャークには、以前のような敵意はない。
客人として歓迎されているようだった。
「シエル。まずは謝罪をさせてくれ。……今まで、すまなかった」
「いえ。その話はもう良いです。僕はウィスティリアの名を捨てた身。過去はなく、あなたとは赤の他人。謝ってもらう必要はありません」
「だが、お前は正当なウィスティリアの後継者だ。辺境伯の血は、お前の体にのみ流れている」
「僕の体に流れているのは血ではありません。宝石人は血を流さない。心臓も体も鉱物でできています。血筋など……今更どうでも良いことです」
この体が宝石穿ちの刑に処されたとしたら、飛び散った欠片は輝く宝石へと姿を変えるのだろうか。
ヴィルシャークと話しながら、そんなことを考える。
自分は人に近いのか、宝石人に近いのか、どちらなのだろう。
ヴィルシャークは謝罪をやめて、諦めたように深くため息をついた。
「僕を呼び出した理由が何かあるのでしょう。火急の用とはなんですか、ヴィルシャーク」
「あぁ。……先ほど、ウィスティリア辺境伯家はクリフォードが継いだと言っただろう」
「ええ、聞きました」
「クリフォードは……過去の俺のように、いや、それ以上に他種族に対して嫌悪感が強い。辺境伯の生き写しのような人だ。旧キルシュタインに移り住んだ俺よりもずっと、辺境伯の影響を受けている」
「辺境伯……ガリオン様はご存命ですか?」
「セイントワイスの筆頭魔導士なら情報ぐらいは耳に入るだろう」
「ウィスティリアのことには極力関わらないようにしていたものですから」
全く何も知らないというわけではないが、シエルは人と関わることが少ない。
貴族の家の事情などは部下のリーヴィスなどの方がよほど詳しい。
リーヴィスはシエルにとって有益になりそうな情報のみを選んで伝えてくれる。
その中でウィスティリアの家の話は、出さないようにしてくれているようだった。
「そうか。……ガリオン様はまだご存命だ。俺やクリフォードの父上の方が先に逝かれたぐらいだ。壮健ではあるが……以前よりもずっと、キルシュタイン人やエーデルシュタインへの感情が悪化している」
「耄碌したということですか」
「年齢のせいで判断力が鈍ったということはあるかもしれん。しかし、兄上はそんなふうには思っていない。父上を亡くし、兄上の指標はガリオン様のみだ。ガリオン様の言葉は、兄上にとっては絶対的なもの」
「あの家にいては、そうなってしまうのも仕方ないかと思います。キルシュタインやエーデルシュタインの宝石人に対する悪感情や差別は、何もガリオン様のみが特別、というわけではない。王国民は多かれ少なかれ、その感情を抱いている」
そう口にして──そんな人ばかりではないなと、シエルは思い直す。
ゼーレ王やセイントワイスの魔導士たち。
そして──友人になってくれると言った、リディア。
リディアの周りの人々。
彼らは宝石人だからと、シエルを嫌悪の瞳で見たりはしなかった。
ごく自然に受け入れてくれた。共にいることを。食事をして、雪遊びをして。共に、戦って。
愛しい日々を、守りたい。
壊されないように。傷つけないように。
大衆食堂ロベリアに溢れる幸せが、変わらずずっと続いていくように。
「……妙な話を耳にした」
「妙な話ですか」
「あぁ。……聖女リディア様によって俺の目は覚めた。あの日から、俺はキルシュタイン人と王国人が交流を持ち、互いの居場所を奪い合わずに暮らせるように奔走するようになった。ガリオン様も、兄上も俺の行動を快く思っていない。だから、……直接話したというわけではく、使用人たちから噂を聞いただけだが」
「あくまで噂、ということですね」
「あぁ。……ウィスティリア辺境伯領では、他の領地よりも白月病の者たちが増えている。それは、エーデルシュタインの宝石人たちのせいだと。宝石人たちが、ウィスティリアの領地の民たちに、死の呪いをかけているのだと」
「……蒙昧な。死の呪いなど、魔物でもない限り……あぁ、宝石人は魔物だから、そのような魔法が使えるということですね」
「そのように考えているらしい。もちろん、俺はそんなことは信用していない。白月病は、原因のわからない病の一つだろう。誰かのかけた呪いなどではない。だが、ガリオン様とクリフォードは、エーデルシュタインに近く、攻撃を仕掛けるつもりだと。戦の準備をしているらしい」
「……ゼーレ様はそれを許したのですか」
「陛下は病身だ。ステファン殿下は、魔物に操られていたと噂が流れている。ガリオン様はステファン殿下のことを役立たずの馬鹿者だと……だから、王家に伺いを立てずに軍を出すつもりだろう。ウィスティリア辺境伯家は、それを許されている家だ」
確かにそれはそうだ。
辺境伯とは辺境を守る立場にある。
必要があって軍を出すのにいちいち王の許可を得ていたら、有事の際にはとても間に合わない。
辺境伯の判断により軍を出すことができる。
「エーデルシュタインを滅ぼすつもりか……」
「エーデルシュタインが滅んだら、次はキルシュタインに憎悪の目が向くだろう。どのみちエーデルシュタインが滅んだところで白月病が治らないものと分かれば、次はキルシュタイン人が呪いをかけているとでも言い始めるはずだ」
「……なぜそれを、僕に?」
「お前はウィスティリアの後継者だ。名を捨ててもその立場が変わるわけではない。それにお前の体には、宝石人の血が流れている。お前の父は宝石人の王族の子だったそうだ。……お前はウィスティリア、エーデルシュタインどちらにも、因縁がある」
「僕に何をしろと」
「それはお前が考えろ、シエル。どのみち俺は何もできん。ウィスティリアに逆らえるほどの軍は持たず、キルシュタイン人を巻き込むわけにもいかない。お前の友人には力になってくれそうなものたちが多くいるだろう。俺は、ジラール公爵や、レオンズロア、それから聖女様に……何かを頼める立場にはない」
「……わかりました」
それは、自分も同じだ。
愚かなウィスティリア家と己の事情に、リディアたちを巻き込みたくはない。
シエルの父親であるサフィーロが、宝石人たちの中で王と呼ばれる者の息子であったことは、シエルは知っていた。
一度だけ、ウィスティリアの家を出た後に、エーデルシュタインを訪れた時に話を聞いた。
王族サフィーロは宝石人を危険に晒した裏切り者だと言われていた。
「ヴィルシャーク、教えてくださりありがとうございました。……ガリオン様もクリフォードも、僕の話を聞くことはないでしょう。……白月病と宝石人に関連はないと思いますが、エーデルシュタインに行き宝石人と話をしてみます」
「お前なら、宝石人と話すことができるかもしれないな。彼らは人を恐れている。誰に対しても、頑なに口を閉ざすが、王族の血が流れているお前なら……」
「期待はできませんが。僕も、無駄な血を流したくはない」
リディアは、争いを嫌う。
みんなで穏やかな毎日を過ごしたい。食事をして、話をして、買い物をして。
変わり映えのない毎日で良い。何か特別なことがなくても良い。
それが、幸せだから。
そう言って笑うのがリディアだ。満ち足りるということをよく知っている。
孤独を知り、空腹を知っているリディアだから、それで十分だと思うのだろう。
その瞳を悲しみで曇らせたくはない。
ふと──シエルの今までの生きる指標が「正しく生きて」と言う母の言葉から、「リディアを悲しませたくない」というものに変わっていることに気づいた。
なんだか妙にくすぐったい気持ちになる。これは。これが。恋というものなのかもしれない。
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