リディア、ちょっとだけたちなおる
私が王宮に誘拐されたのはお昼すぎ。
二十人分のハンバーグを作ったり、ステファン様と喧嘩をしたりしていたせいで、いつの間にか街には夕闇が迫ってきている。
蜜柑色に染まる空には、赤い月と白い月が輝いている。
夕暮れ時の街を、シエル様は私を抱き上げて歩いていた。
「……リディアさん。……王太子殿下にあのような物言いは、危ういことです」
王宮の姿がすっかり見えなくなったところで、シエル様はどこか困ったように言った。
橙色の光がシエル様の髪にある宝石に反射して、きらきら輝いていて、とても綺麗。
煌びやかな方ーーと思ったけれど、それはジェルヒュムだからなのね。
ジェルヒュムの方はもっと全身が鉱物のように光っているけれど、シエル様は違う。
ステファン様は、混じり物と言っていた。
つまり、シエル様は純粋なジェルヒュムじゃなくて、ジェルヒュムの血が混じっているのだろう。
それでも、ひどいことを言われる。
「殿下は……昔は、もっと温和な方だったように思いますが、どうにも……近々ご即位されることを意識しているのか、どこか苛立っているようで、……リディアさんとの婚約破棄の顛末もひどいものだとは思いますが、それ以外にも」
「シエル様を貶めたり、ですか……?」
「僕のことは良いのですよ。……フランソワ様を嘲ったという理由で、城の侍女を辞めさせたり、リディアさんの件で意見をしてくる貴族や、従者に罰を与えたりと……もちろん、殿下のいる王宮にあなたを連れていった僕に、咎があるのは確かなのですが」
「それはもう、良いんです、シエル様。……私の方こそ、ごめんなさい」
私は大人しくシエル様に抱き上げられながら、反省した。
「私、自分に力があるなんて、思ってなくて、今も、思ってないんですけど……だから私が誰かの役に立つなんて、とても思えなくて……シエル様は困っていたのに、よくない態度を取りました。ごめんなさい……」
「謝らなければいけないのは僕です。……僕はあなたを騙していないと言いましたけれど、……嘘ばかり、ついていました。どうしたらあなたが僕のいうことを聞いてくれるのか、それだけを考えていました」
私の元にきたシエル様のこと、私は確かに、ルシアンさんと同じ女誑し、と思った。
距離が近いし。
でも今のシエル様は、どこか違う。
「部下を助けるために、藁にもすがる思いであなたの元に……というのは、言い訳ですね。すみませんでした」
「私、もう怒っていなくて。……シエル様たちが元気になってよかったって、思ってます。殿下には会いたくなかったけど、でも、ちゃんと文句を言えてよかったです。あんな最低な人、……婚約者じゃなくなって、せいせい、します……っ」
そこまで言うと、じわりと涙が目尻に溜まった。
婚約者に選ばれたばかりの頃、ステファン様が私にまだ優しかったころ。
そこには確かに、淡い憧れと、恋心があった。
それが粉々に砕かれて、夕暮れの空に散り散りになって、消えていく。
最低って思うけど。
ろくでなしって思うけど。
でも、良いことだって、少しはあったのよね。少し。少しだけど。
「リディアさん。……ありがとうございました。……あなたを守ることもできず、逆に、あなたに守られてしまった。情けないですよね。僕は、あなたよりもずっと大人なのに」
「シエル様は、大人だから、我慢しているのでしょう……?」
「……どうなのかな。忘れてしまいました。宝石人は、嫌われても仕方ない。そういう、立場です。僕を今の立場に取り立ててくださった国王陛下には、感謝をしています。今の立場が一番、……月の涙、ロザラクリマについての研究がしやすいのです」
「魔物の落ちる日のことですね……?」
「ええ。……ジェルヒュムが差別を受ける理由は、宝石人は、月から落ちてきた魔物だから。知性ある魔物。……王国の人間たちは、そう思っています」
「……それは、昔の話で、今は……」
私は首を振った。
でも、わかっている。そんなのは、建前だ。
今だって、ジェルヒュムの方々を自分達と同じ人間だって思っていない人はたくさんいて。
ステファン様の物言いはひどいけれど、そんなに珍しいことじゃない。
「ごめんなさい。……私、今、嘘をつきました。……そんなことないですよね、シエル様、……ひどいことをたくさん、言われてきましたよね。私も、嫌いって、言いました。ごめんなさい」
やくたたずだと言われること。
不用品だと言われること。
地味で目立たなくて、どこにいるかわからない。
誰も、私のことを見てくれない。
それはとても辛い。何もしていないのに嫌われて、蔑まれるのは、とても苦しい。
私はそれを知っているのに、同じことを、していた。
シエル様は私に何度も謝ってくださったのに、男性だからと、嫌って。
変態とか、言ったし。何度も言ったし。
いえ、これは仕方ないのよ。私を強引に誘拐するから。
でも、謝ってくれたのだから。私だって、いつまでも怒っているのは、よくないのよ。
「リディアさん。……僕は、嬉しかったんです。……リディアさんは、僕を宝石人だからという理由ではなくて、男だから、嫌っている。もちろんあなたが僕を、宝石人の血が混じっていると知らなかったから、ということもあるのでしょうが。……僕の血筋ではなくて、僕自身を蔑んでくれるのが、なんだか嬉しかった」
「そ、それは、あの、……ごめんなさい」
「それに、僕が嘲られることについて、怒ってくれました。……ありがとう。あなたは優しい方です」
「私、……殿下には、個人的な恨みが、たくさんあって……!」
「でも、僕のために怒ってくださった。……リディアさん。優しいあなたを泣かせてしまって、すみませんでした。僕はあなたに嫌われているから、もう、二度とあなたの前に顔を出さないと、誓います」
「シエル様……」
シエル様が、切なげに眉を寄せて微笑んでいる。
なんだかとっても胸が苦しい。
私もステファン様と同じ。
私の頑なな態度が、シエル様を傷つけてしまった。
シエル様のこと、よく知らないのに。よく知らないのに、拒絶して。
そもそも、せっかく食堂にご飯を食べにきてくれるお客さんを、男だからという理由で拒絶するのは、間違っているのではないのかしら。
あ。
ルシアンさんは別だ。女誑しだから。
「……シエル様、あの、あの……っ」
「リディアさん?」
「ええと、その……シエル様、……もしよかったら、お夕飯、食べて行きますか? もう、そんな時間です……よかったら、ですけど……」
「良いんですか……? 嬉しいな。……あなたの作る食事は、今まで食べたどの料理よりも美味しい。食べられなくなるのは、残念だと思っていました」
シエル様がそう言って、とても嬉しそうに微笑んでくれたので。
私は安堵して、目尻に浮かんだ涙をゴシゴシ擦ると、にっこり笑った。
久々に、ちゃんと笑うことができたような気がした。
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