今週のビックリドッキリ結婚式
ジラール家の敷地内に、礼拝堂がある。
白い円柱形の礼拝堂には聖剣を手にした翼を持った女神アレクサンドリア様の像がある。
礼拝堂までのアプローチには雪が積もっていて、白い雪肌に光が反射して、目に眩しい。
婚礼の儀式用の白いドレスを、ジラール家の使用人の方々が裾をもち、手を引いて、礼拝堂まで案内をしてくれる。
私の頭にはエーリスちゃんが乗っていて、首にはファミーヌさんが巻き付いている。
お父さんは私の腕に抱っこされていた。雪の中を歩くと肉球が凍えて寒そうだから、抱っこをしてあげている。
本当はみんな、お部屋で待っていてもよかったのだけれど。お父さんは「花嫁の横を歩くのはお父さんの役目だ」というし、エーリスちゃんとファミーヌさんも私にくっついて離れないので連れてきた。
花嫁衣装を着た私を見て、エーリスちゃんとファミーヌさんは涙目になっていたので、もしかしたら私がどこかに行ってしまうと思ったのかもしれない。可愛い。
二人にも今日の結婚式は、色々あって騙されたふりをして、レイル様たちを騙すために行うのだと説明したのだけれど、よくわからないみたいに首を傾げていた。
説明が難しいので、来てもらうのが一番早いだろう。
「……レイル様たち、本当に乗り込んでくるのでしょうか」
腕の中のお父さんに、私は尋ねる。
人を騙すのはいけないことだけれど、マルクス様の提案はそんなに悪いものじゃなかった。
誰も傷つかずに、いられるような感じがする。
結婚式の準備を整えたあと、「フェルドゥールには許可を得た。だが、ロクサスもレスト神官家も色々あったからな、まずは我が家でささやかな式を行おう。ベルナール王家への報告は、婚姻を結んでからゆっくりと行えば良い」と、マルクス様は大きな声で私たちに言っていた。
これは、レイル様や他の誰かがジラール家の動向を探っているだろうからと、わざと祝い事に浮かれたような態度をとってくれていたかららしい。
それなので、レイル様たちは今日結婚式が開かれることを知っているはず──というのが、マルクス様やロクサス様の考えだった。
「どうだろうな。まぁでも、来るのではないか? 一人足りない気がするが」
「一人……」
「お前は心配しているだろう」
「シエル様のことですよね」
私は結婚式の準備が整うまでの数日、ジラール家で過ごしていた。
ロクサス様とはお部屋は別々で、私は大切なお客様のように扱われていた。
とても快適だったし、イルフィミア様がお話し相手になってくれたり、エーリスちゃんやファミーヌさんやお父さんと中庭で雪だるまを作ったりして遊んだので、そんなに退屈でもなかったのだけれど。
でも、ロベリアを留守にしてしまっているのが気になる。
シエル様やマーガレットさんには、私がどこに行ったのかを伝えていない。
一言、伝えてくればよかった。書き置きだけでも残してくればよかった。
心配しているのではないかしら。
私も心配だ。シエル様は、長くご不在だったみたいだけれど。帰ってきたかしら。
みんなで年末に蟹を食べて一晩泊まってもらって、年明けにお別れをしたきり、シエル様には会っていない。
以前は、一週間に一回か二回ぐらいは、ロベリアにご飯を食べにきてくれていたのに。
「……心配です。お友達ですし……それに」
それに──。
シエル様は、いつも無理をしている気がするから。私よりずっとシエル様は大人だから、私が心配するのはおかしいかもしれないけれど。
ミハエルさんも言っていたもの。シエル様には魔力枯渇は起こらないから、それだけ動くことができてしまう。
休むことをしないのだと。
「それに」
「それに……私は」
私は、なんだろう。
何もない寒い部屋で一人きりで過ごしているシエル様を思い出して、ずきりと心が痛んだ。
どうしてかわからないけれど、なんとなくの嫌な予感がする。
何もなければ良いけれど。ロベリアに戻った時に、シエル様もいてくれて。
「楽しそうなことがあったのですね。……僕も一緒にいたかったな」
と、いつものように言ってくれたら良いのだけれど。
「……リディア、綺麗だ」
そんなことをぼんやりと考えていた私は、唐突な褒め言葉に、ぱちりと瞬きをして目を見開いた。
礼拝堂の女神像の前に、正装のロクサス様が立っている。
私はロクサス様の隣に並んでいて、マルクス様とイルフィミア様が女神像と私たちの間に立っている。
礼拝堂に並んでいる長椅子には、雰囲気を出すために使用人の方々が座っていた。
まさに、結婚式という感じだ。
「ありがとうございます。ロクサス様も素敵です」
ドレスを褒められたのが嬉しくて、私はにっこり微笑んだ。
ジラール家に来てからは、高級なドレスばかりを着せてもらっている。
髪も整えてもらっているし、スキンケアもしてもらっているし、お姫様になったみたいだ。
「あ、あぁ、そ、そうか……ありがとう、リディア」
ロクサス様は照れたように私から視線を逸らした。
やや目つきが鋭いけれど、ロクサス様は細身ですらっと背が高くて、スタイルが良くて顔立ちも良い。
家柄も良いし、ロクサス様と結婚したいという方は多いのではないかしら。
そう思うと、どうして私がここにいるんだろうと、なんだか少し混乱する。
演技だけれど。まるで、本当に結婚するみたいに思える。
ロクサス様と──結婚。
そんなに、嫌な感じはしない。私はロクサス様のことが嫌いではないし、どちらかといえば好きだ。
ロクサス様はよくものを壊すし、不器用だし辛辣だけれど、悪い人じゃない。
でも、結婚。
結婚式をして、それで。
結ばれた二人は、いつまでも幸せに暮らしました。
ステファン様が読んでくれた童話は、いつもそんな締めくくりだった。
いつまでも幸せに暮らせるものなのかしら。
愛し合って、ずっと一緒に。どうにも、うまく考えがまとまらない。すごく曖昧で、ぼんやりしている。
「ロクサス、リディア。お互いを尊重し、愛し合い、いついかなる時も手を取り合ってこれから生きることを誓うか?」
マルクス様の厳かな声が、礼拝堂に響く。
これは、誓いの言葉というものだ。
ロクサス様が「誓います」と、短く言った。私もそれに倣って、「はい!」と、元気よく言った。
緊張していたせいで、無駄に大きな声が出てしまう。元気いっぱいという感じになってしまって、ロクサス様が口元を押さえて肩を振るわせた。
面白かったみたいだ。
「……それでは、誓いの口付けを」
イルフィミア様がにこやかに言った。
──誓いの、口付け。
口付け。口付け。キスのこと。それは唇を合わせるということ。
誰ともしたことがないけれど、いつかしてみたいな……なんて思っていた時期が、私にもあった気がする。
遠い昔のことだ。
色々あった私は恋や愛には憎しみと強い拒否感を抱いていたから、誰かとそんなことをするなんて、長い間考えたこともなかった。
「リディア……」
ロクサス様が私の両腕を包み込むようにして握りしめた。
私の腕よりもロクサス様の手のひらの方がずっと大きい。眼鏡の奥の真剣な金色の瞳を、私はじっと見つめた。
「……ロクサス様、あ、あの」
結婚するフリというのは、そこまでするものなのかしら。
一応、私、ファーストキスというものなのだけれど……!
レスト神官家に生まれた私が、いろんな男性とキスをしたりしたらいけないので、経験がたくさんあったらそれこそ大問題なのだから、はじめてなのは仕方ないのよ。
むしろ、はじめてなのが当たり前なのだし。まだ、十八歳だから。経験とか、なくて当たり前よね。
わからない。違うのかしら。みんなは、キスとか、普通にするのかしら。挨拶がわりに。
「……あ、あの、まって、待って……」
大混乱しているせいで、取り止めのない考えが頭の中をぐるぐる巡る。
ロクサス様の整った顔がすごく近い。このままでは、触れてしまう。
でも、演技だし。演技だから、逃げるわけにはいかなくて。
どうしよう。顔が熱い。恋をしているわけではないのに、こんなふうに感じるなんて。
私、もしかしたらふしだらなのかもしれない。じわりと目尻に涙が滲む。
恋に憧れていたのは事実で、相手は誰でも良いって思っていたのかしら。ロクサス様は演技をしているだけなのに、こんなに恥ずかしくなってしまうなんて。
「その結婚式、少し待ってもらおうか!」
その時。
とてもとても良いタイミングで、礼拝堂の扉がバァン!と音を立てて開いた。
実際には、そんなに大きな音はしなかったのだけれど。
私にはばーん! という音が聞こえた気がしたし、雪の積もった庭園を背にしたルシアンさんが、光り輝いて見えた。
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