The Moon(月)
◆◆◆◆
愛されたいと、必死だった。
あれは、俺の中での一番最低な記憶だ。
物心ついた時から、父はレイルの名前しか呼ばず、母はレイルにばかり構っていた。
俺は「出来損ない」「二人に別れて生まれてこなければ、レイルはもっと優秀になったかもしれない」「お前はレイルのスペアだ」と、父に言われていた。
幼いながらに、俺は自分を不用品だと考えて──ならば認められるためにレイルの倍学ぼうと考えた。
毎日書庫に通い、辞書を開きながら読めない文字を必死に目で追いかけた。
レイルは家庭教師の指導は受けてもそれ以外の時間は庭で走り回っているような子供だった。
だが、それでも俺よりもずっと、成績が良かった。
才能の差、というものなのだろう。
元々の出来が良いのだ。努力など、何の意味もないと思わされるもの。
兄上を完璧につくりあげた後に、残ったいらないもので双子の俺が作られたとしか思えない。
だとしたら俺など、存在するだけ無駄なのではと、考えていた。
それでも、愛されたい。
父に──母に、俺を見て欲しい。
見てくれなくても良い。一言だけでも良いから「ロクサス、良い子ね」と言われたい。
褒められたい。
一度だけで良い。撫でて欲しい。一度だけで、構わないから。
自分の持つ力に気づいたのは、そんな最中のことだった。
それは炎や水といった、一般的な魔法ではない。特殊なものだ。
俺だけに使える、特別なもの。
「母上……!」
母に、見せたい。
きっと喜んでくれる。俺に微笑み、偉いと、良い子だと、褒めてもらえる。
母と兄上のいる中庭に、俺はすぐに走っていった。
兄上は──母との茶会に、俺も来るようにと何度も誘ってくれていたけれど、行く気にならなかった。
母が兄上ばかりを見て、兄上ばかりに話しかける姿を見ていると、よりいっそう自分が惨めになるように思えたからだ。
「母上、見てください!」
中庭には母の好きないろとりどりのアネモネの花が、咲き乱れている。
一本だけ。
魔法をかけるのは、一本だけで良かった。
「ロクサス、どうしたの?」
驚いたような表情の母は何も言わず、兄上が俺に話しかけてくる。
俺の感情は、昂っていたのだろう。はじめて自分に誇れるものができたような気がした。
特別に、なれる。
出来損ないの俺でも、特別になれると思った。
「ロクサス……!」
花に手をかざす。魔法をかけるのは一本だけで良かったのに、使い慣れていない魔力が手のひらから溢れた。
俺の魔法は、母の愛している中庭の庭園の花々の命を、その時間を全て奪った。
花は萎れて、枯れて、花弁を落とし──茶色い茎だけを晒した。
美しかった庭園は、全て朽ちた。
「……嫌っ、何、なんてことを……!」
母上が悲鳴じみた声をあげた。
恐怖に見開かれた瞳と、青ざめた顔で、俺は何か──失敗してしまった。間違えてしまったことに気づいた。
「どうした、何があった!? なんだ、これは……」
使用人たちからも、息を呑む声が上がっている。
そして誰かが呼んできたのだろう、父も屋敷から出てきて、怒鳴り声をあげた。
俺は自分の失敗に気づいて、体を震わせながら、朽ちた庭園を見ていた。
やっぱり、駄目だ。俺は、駄目だ。
何一つ、うまくいかない。出来損ないだから。
「ロクサス、大丈夫だよ」
いつの間にか隣に来ていた兄上が、俺の手を握った。
兄上が手をかざすと、朽ちた庭園があっという間に元の美しい花の咲き乱れるものへと戻った。
アネモネの花々が、花弁に光をいっぱいうけて、色とりどりに咲いている。
中央の黒いアネモネの花々が、その時俺にはたくんさんの目玉のように思えた。
たくさんの目玉が俺を見ている。失敗した、出来損ないの、俺を。
「……レイル、すごいわ……!」
「なんて素晴らしい力だ!」
「……違います。すごいのは、僕だけじゃない」
兄上は俺をいつも守ろうとしてくれる。
この時も、そうだった。
けれど俺は果てしない羞恥心を覚えて、少しでも認めて欲しいと思ってしまった自分が情けなく愚かで、もう二度と──何かに期待しない。誰かに、期待をしたりしないと、決めたのだ。
俺の力は、命を奪うもの。時間を奪うものだ。
兄上の力は、時間を巻き戻すもの。生命を与えるもの。
俺は不出来で、命を奪うことしかできない。
命を奪う、奪魂の力は──使わない。憎むべきものだ。
こんな力があったから、余計な期待をしてしまった。余計な醜態を晒してしまった。
こんなもの、なければ良い。
そんな風に思っていた。
俺は出来損ないではあったが、生活に不自由しているわけではない。
公爵家の者たちは俺に怯えてはいたものの、ただそれだけだ。
食事を与えられないわけでも、服がないわけでも、部屋がないわけでも、教育を受けさせてもらえないわけでもない。
それ以上に、何を望むものがある。
割り切ってしまえば、気は楽だった。それに、俺には兄上がいる。
兄上はいつだって俺に優しかった。俺が一人きりにならないように、外で動くのが好きだろうに、書庫に一日中いる俺のそばで居眠りをしたり、体操をしたり、どうでも良い話をしたりしていた。
「ロクサス、私が公爵家を継いだら、お前は自由だよ」
「兄上は、勇者になりたいのだろう」
「まぁね。ほら、見て、ロクサス。格好良いだろう、勇者。ドラゴンを倒すのだよ」
兄上は字が多い本は眠くなると言って、挿絵のある児童向けの物語をよく読んでいた。
勇者の物語を見つけたと、俺に嬉しそうに内容を話し、挿絵を見せてくる。
荒唐無稽な物語を、俺はあまり好まなかった。
それは役に立たないものだ。歴史書や、図鑑や、言語学の本を読んでいた方がずっと役にたつ。
「でも……公爵を継ぐのも、勇者になるのも、無理かもしれない」
いつも明るい兄上が、どこか苦しげにそう呟いた。
明るい日差しが差し込む静かな書庫で向かい合わせに座っている兄上の顔は、いつもよりも妙に白く見えた。
「……病気、みたいなんだ。日に日に、食事をとれなくなっている。今は、少し走るだけで息がきれる」
──なぜ、気づかなかった。
兄上が以前よりも、やつれていることに。銀の髪や、白い肌が、よりいっそう白くなっていることに。
「……まさか」
兄上は、白月病を患った。
そして父は、あれほど兄上に目をかけていた父は「レイルは駄目だな。ロクサス、ジラール家を継ぐのはお前だ」と、あっさりと口にしたのだ。
もう、昔のことだ。
どうでも良い。俺は良い大人で、引きずってなどいないと考えていた。
だが父上と話をしていると──今さら、謝罪をされたところで。
という怒りが、沸々と胸に湧き上がってくる。
俺の中に幼い俺がまだいるようで、不出来だと、いらないと切り捨てられた幼い俺が、レイルを捨てた父を睨むまだ年若い俺が、心の中から父上に憎しみの目を向けているようだった。
「……ロクサス様、大丈夫ですか? あの、これでよかったのでしょうか……私、余計なことをしたんじゃないかなって……」
父上との話を終えて部屋に戻ってくると、リディアが尋ねてくる。
その声を聞くだけで、苛立った感情が凪いでいくのを感じる。
「そんなことはない。……お前がいたから、父や母と話すことができた。ありがとう、リディア」
今は、怒りを抱いている子供の俺は、眠っているようだ。
父と母の事情を、感情を知って──全て許せたと、納得ができたというわけではないが。
それでもこのまま父に従い、役割に従順にならずに済むのかと思うと、肩の力が抜けるような気がした。
今はまだ。
現実に戻りたくない。俺の力を「煮込み料理に便利」だと、「だいこん魔法」と、呑気に言ってくるリディアの近くで、その愛らしい姿を見ていたい。
兄上と共に。それが自分の役割から逃げることであっても。もう少しだけ、失った時間を取り戻せるような幸福を、味わっていたい。
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