マルクス・ジラールとマリア様
──マリア様。
マリア・エヴァディン様は、ステファン殿下のお母様の名前だ。
エヴァディン侯爵家の娘だったということぐらいしか、私は知らない。
ステファン様は、お父様に嫌われお母様を亡くした私に気遣って、ご家族の話をあまりしようとはしなかった。
マリア様はアンナ様を産んでしばらくで亡くなっている。ゼーレ様とは、仲睦まじかったらしい。
「私が、ゼーレ様やフェルドゥールと共に王立学園に通っていた時代の話だ。私は、皆に優しく慈悲深く、朗らかで美しいマリア様に恋をした」
マルクス様が昔を懐かしむようにして言うので、私は思わず、イルフィミア様を見る。
イルフィミア様は大丈夫だというように、小さく頷いた。
「私も知っていることだから、気にしなくて良いのよ、リディアさん」
「……でも」
「マルクス様はマリア様を愛している。それを知った上で、私はマルクス様の元にきたの。……家同士の結婚だったから。私個人の意思は関係ないし……ゼーレ様やマルクス様、マリア様の様子を私も学園で見知っていたから……」
「イルフィミアには、辛い思いをさせたと思う。イルフィミアが私の元に来てもなお、私の心はマリア様にあった」
マルクス様からの謝罪を受けて、イルフィミア様は曖昧に微笑んだ。
結婚をした相手に、他に好きな相手がいるというのはどういう気持ちなのかしら。
どんなにそばにいても、愛されないことはわかっている。
けれど、夫婦になってしまえば逃げることはできない。イルフィミア様はジラール家よりも格下の伯爵家の娘だったのだから、尚更。
我慢、するしかないわよね。
とても辛いことだろう。一緒にいても、ひとりぼっちみたいな気持ちになるかもしれない。
「何故、あなたのそのような話を聞かなければいけない」
ロクサス様が嫌そうに言う。
ロクサス様の気持ちもわかる。私もフェルドゥールお父様の過去の恋愛について聞きたいとはあんまり思えないし。
「お前も、私と同じなのかと思ってな。私はゼーレ様を敬愛していた。だから、マリア様を奪おうとは思わなかった。そして、ゼーレ様と亡くなったマリア様の忘形見であるステファン殿下や姫君たちを守り支えるのが、我がジラール公爵家の役割であると、考え続けてきた」
「あなたの横恋慕の尻拭いを、俺や兄上にさせようとしていたわけか」
「そうなるのだろうな。……私には、周りが見えていなかった。自分の感情が、全てだった。イルフィミアが私を恐れ遠慮していることも、ロクサス、お前が孤独の中にいるのも、レイルが……お前やイルフィミアを守ろうとしていたことにも、……気づいたのは、お前がレイルを連れてこの家を出て行ってからだった」
「愚かだ」
「あぁ、その通りだ。愚かだと思う。……だから、ロクサス。そしてリディアさん。正直に話をしてくれて感謝する」
マルクス様は私たちに向かって、深々と頭を下げた。
ご両親を騙そうとしていたのは私なのに。胸が息苦しく、ぎゅっとなる。
「ごめんなさい。……騙そうとしていたのだから、私が悪くて……」
「そんなことはない。我が家の事情に巻き込んでしまってすまなかった。そして、レイルを救ってくれてありがとう。リディアさんがいなければ、レイルは死んでいたのだな」
「ええと、その……」
そうはっきりと言われると、そうです、とは言いづらい。
レイル様が死んでしまうことなんて、今はもうあまり考えたくない。
「ロクサス。お前の気持ちは理解できた。……リディアさん、ロクサスのために、そしてレイルのためにここまで来てくれたのだな。そして……ロクサスのために皆が、殿下やそれからクリスレイン殿や、ルシアンまでもが協力してくれているのだな」
「は、はい……! みんな、ロクサス様のお友達です。ロクサス様のことも、レイル様のことも好きなんです。ジラール家の、家のためを思うと、邪魔しないほうが良いんだろうなってことはわかりますけれど……」
「ロクサスは、リディアさんが来てくれて嬉しかっただろう」
「あ、え、あ……あ、あぁ……それは、まぁ、そうだ」
ロクサス様がすごく挙動不審になりながら返事をした。
迷惑って思われてなかったのね。良かった。
「父上、俺はまだ結婚をしたくない。俺の役割は、ジラール家を存続させることだと理解はしているが、……レイルが元気になったばかりで、俺も、……ようやく、俺の人生を、悪くないと思い始めてきたところだ」
「そうか。……今までずっと悪かった。お前もレイルも、私とイルフィミアの子供だ。今までずっと私は間違えてきてしまったが、お前たちを、私なりに大切に思っている」
「私もよ、ロクサス。……ごめんなさい。私が、弱かったばかりに。あなたには苦しい思いをさせてしまった。レイルのことも、そう。私はレイルに縋っていた。マルクス様がレイルを優秀だと褒めるたび、自分が褒められているようで嬉しかったの。その時だけは、マルクス様に愛されているような気がしたから……」
「あなたたちの関係など、俺にとってはどうでも良いことだ。だが、夫婦というのは愛し合うものだと、リディアは信じている。リディアが悲しむような態度を取らないでくれ」
「えっ……あっ、は、はい……」
そこで話を振られるとは思わなくて、私は驚きながらも、こくこくと頷いた。
ロクサス様は「夫婦なんだから仲良くしてくれ」と、言っているのよね。
私の名前を出した方が言いやすいのだと思う。
「そうだな。……ロクサス、無理やり結婚をしても、私の二の舞になる可能性がある。イルフィミアと結婚をしたことを、後悔しているわけではないが。だが、イルフィミアを苦しめてしまったことは事実だ」
「今はもう、大丈夫です。マルクス様」
「あぁ。だが、ロクサスはまだ若い。私と同じ轍を踏ませることはするべきではない。そしてレイルも。生きているのなら、レイル・ジラールとして戻って来てほしい。白月病だったからと、差別する気はない。むしろ、リディアさんの力で治癒してもらったのだから、聖女の加護を受けているとも言えるだろう」
マルクス様は私たちの顔を順番に見て、それから口元になんとなく人の悪い笑みを浮かべた。
「結婚式を開こう、二人とも。私たちは、騙されたふりを続けてやる。ただし……」
マルクス様の提案に私とロクサス様は顔を見合わせると、思わず笑みをこぼした。
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