リディアの後悔
マルクス様とイルフィミア様が「明日にでも結婚式を開こう。いや、明日は無理だが、近日中に」「花嫁衣装は準備できているのよ。あとは、皆様に招待状を送ってレスト神官長にもご挨拶をして……」と、結婚式の計画をしはじめている。
私は罪悪感で胸がいっぱいになって、なんだか泣きそうになってしまった。
――人を騙すというのは、いけないことだわ。
ロクサス様のお父様とお母様は、ロクサス様を傷つけた酷い人たちだと思っていた。
私は、ジラール家からロクサス様を助けなければいけない――なんて、軽い気持ちでここまで来てしまった。
確かに、ロクサス様の幼い頃は辛いことがたくさんあって、ご両親と上手くいっていなかった。
けれど、やっぱりそれだけではないのよね。
マルクス様は家のことや国のこと、王家のことを一番に考えていた。
イルフィミア様は――どうしてよいのか分からなかっただけだ。
だから、マルクス様の方針に従っていたのだろうし、ロクサス様を遠ざけてしまったのだろう。
愛していないわけじゃない。嫌っているわけじゃない。
何を一番にするのかを間違えた。どう関わって良いのかわからない。ただ、それだけで――ロクサス様にはご両親の愛や関心が、向かなかった。
それは残酷なことだ。けれど、今は関係を修復しようとしてくれている。
きちんと、謝って。
私とロクサス様の結婚を、喜んでくれている。
――私、酷いことをしている。
「悪いが、部屋に戻る。リディアは聖都から来たばかりで、疲れている。休ませてやりたい」
ご飯は残したくないので、あんまり食欲はわかなかったけれど、無理やり魚貝のトマト煮込みを口の中に押し込んでいた。
食べ終わったところでロクサス様が私を促して、部屋から出てくれた。
マルクス様とイルフィミア様は穏やかな表情で「ゆっくり休んでくれ」「リディアさん、私たちに気をつかわなくて良いのよ」と、言ってくれた。
ロクサス様に手を引かれて、とぼとぼ廊下を歩く。
途中、ロクサス様は使用人の方に「部屋に食事を運ぶように」と、頼んでいた。
ロクサス様の部屋に戻ると、暖炉の前で皆でくっついて待っていたエーリスちゃんが、私にむかってぱたぱたと飛んでくる。
ソファに座った私の膝にファミーヌさんがよじ登ってきて、お父さんが私の隣に丸まった。
ややあって使用人の方がお食事を持ってきてくれた。
使用人の方が部屋に入ってくると、エーリスちゃんたちは私のふんわりしたスカートの中へとささっと隠れて、テーブルの上にお食事のお皿を並べて使用人の方が出て行くと、ささっと出てきた。
テーブルには私の作った魚貝のトマト煮込みと、パンと、それから焼き菓子や紅茶などが準備されている。
両手を使わないと食べにくい魚貝のトマト煮込みを、私はフォークとスプーンを使ってエーリスちゃんに食べさせてあげた。放っておくとスープに口を突っ込みそうだったし、貝を殻ごと食べそうだと思ったからだ。
ファミーヌさんも小さな口をあけて待っているので、ナイフとフォークで小さく切った蛸や烏賊を、口の中に入れてあげた。
ソファに丸まっているお父さんが「魚貝には白ワイン」と言っていたので、聞こえなかったことにした。
「リディア、その、大丈夫か。先程、元気がなかったように見えたが」
私の隣に座ったロクサス様が、尋ねてくる。
ロクサス様はエーリスちゃんたちのために食事を持ってくるように指示してくれたのだろう。
エーリスちゃんたちに触ったり可愛がったりしているところを見たことがないけれど、気にしてくれているみたいだ。
「……ええと……はい」
「何かあったか。父や母が、リディアを傷つけるような態度を取ったのだとしたら、二度とリディアと奴らを会わせたりはしない」
「そ、そうじゃなくて……! マルクス様は謝っていましたし、イルフィミア様も、悩んでいたんだなと思って……」
エーリスちゃんのぷにぷにの体をつついたり、ファミーヌさんの肉球をぷにぷにしながら、私は言った。
お父さんが自分も撫でろみたいにして頭で私の腰を小突いてくるので、ふわふわの耳や頭をよしよしした。
癒される。
「それで……過去が消えるわけではない。父はレイルを切り捨て母はそれに従った。……あの二人の愛情が俺に向けられなかったことはどうでも良いが、兄上にした仕打ちを考えれば、耄碌した父や母が今更過去を悔いて思い悩んでいたとしても、だから何だと思うがな」
「……でも、だからって、喜んでくれているお二人を騙したらいけないって思って」
「騙す」
「はい。だって、私とロクサス様は本当は婚約者じゃないし、恋人でもないし……」
私は目を伏せる。
かつて私はステファン様に優しくしていただいて、そのあとステファン様に嫌われるという辛さを味わった。
私は傷ついたはずなのに、まるでそれを忘れてしまったみたいに。
今は、ロクサス様のご両親を傷つけようとしている。
「……リディア。騙すのが嫌なら、真実にするか?」
「どういうことですか?」
「俺と、……本当に結婚をするかという意味だ」
ロクサス様が、低い声でぼそりと言った。
私は瞬きを数度繰り返して、首を傾げる。ご両親を騙すのが嫌だからといって、そこまでするのも違う気がする。それに――。
「ロクサス様、結婚したくないんですよね?」
「あぁ。だが、……相手がリディア、お前ならば……」
「ええと、あの……」
やや強引に手を握られる。硬い指先が私の指と絡まった。
金色の瞳に射抜くように見つめられて、私はびくりと体を震わせる。
「ろ、ロクサス様、どうしたんですか……? 急に、その……」
本当に、どうしたのかしら。
重なった手が熱くて、熱心に私を見つめる瞳がいつもと違うみたいだ。――少し、怖い。
「俺は……」
「は、はい……」
「いや、……なんでもない。今、お前になにかしようとすると、丸餅たちから総攻撃を受ける気がする」
ロクサス様は私からぱっと手を離すと、眉間の皺をおさえて深く息をついた。
テーブルの上にちょこんと座っているエーリスちゃんとファミーヌさんが、すごくしょっぱい顔でロクサス様をじっとり睨んでいる。
「ぷりん!」
「タタン!」
「お母さんに触るなと子供たちが言っている」
お父さんが、エーリスちゃんとファミーヌさんの気持ちを代弁してくれた。
二人とも良い子だ。私は二人をぎゅっと抱きしめた。
それにしても一体何だったのかしら。ロクサス様。私とはお友達だし、気安いから、結婚しても良いような気になったのかしら。
それは、少し分かる気がするわね。全く知らない相手と結婚するよりは、あるていど知っている相手と結婚した方が気兼ねがなくて楽だと思うし。
「ロクサス様、私で妥協したら駄目です」
「妥協ではない」
「フランソワちゃんと色々あったから、ロクサス様はもしや女性が嫌いになってしまったんじゃ……それで、そこそこに仲の良い私で良いかなって、思っているんじゃ……」
「リディア。お前……人の気もしらないで……」
ロクサス様がまた苛々している。ロクサス様は私とお話していると結構苛々するので、私と結婚しないほうが良いんじゃないかしら。
いつものロクサス様に戻ってくれたので、私はほっとした。
それから――どうするべきなのか考えた。
このままご両親を騙すのは、やっぱりいけない。
「ロクサス様。結婚式が開かれたら、レイル様たちが乗り込んでくるんです。私を奪いに」
「大方そんなところだろうと思ってはいたが、ジラール家の面目が丸つぶれになるな。なるほど、兄上の考えそうなことだ。父の唖然とした顔が思い浮ぶ。良い気味だな」
「ロクサス様の評判も悪くなってしまいます……」
「俺は元々別に評判が良いわけではない。今更守りたい世間体も特にない」
「……イルフィミア様、あんなに喜んでくれていたのに。レイル様やロクサス様は……それで良いのかもしれませんけれど、でも、やっぱりよくないです」
ロクサス様は腕を組むと、嘆息した。
「面倒なことに巻き込んで、悪いな、リディア。……俺が適当な相手と結婚すればそれで済む話なのだが」
「レイル様はロクサス様を助けたいんです。私もお友達ですから、役に立ちたいって思ってます。でもやっぱり……このままレイル様が生きていることを内緒にするのも、私とロクサス様が結婚式を開くのも、……違う気がするんです」
ちゃんと――話し合った方が良いのではないかしら。
ロクサス様は、マルクス様を話し合うのは無駄な相手だと思っているみたいだけれど。
今のマルクス様ならきっと、大丈夫ではないかしら。
私が楽観的すぎるだけかもしれないけれど。
でも、このまま悪い方に物事が進んでいくのを傍観するのも、誰かを傷つけるために嘘をつくのも、嫌だと思う。
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