怒れるリディアと元婚約者
ステファン様、顔は良いけどお馬鹿さんなのかもって思ったら、怒りや悲しみを通り越してなんだかちょっと冷静になってしまった私。
今の言葉を頭の中で反芻してみる。
ええと。私はシエル様と二人で歩いているわよね。
それで私、服がボロボロよね。なんだか乱れてるわよね。
セイントワイスの皆さんに、お祭りの時の花神輿ぐらいにわっしょいわっしょいされたから。
それで、そんな私を見てステファン様は、王宮のどこかで私とシエル様が、口には出せないようなことをしていたと誤解しているのよね。
「シエル様……恋人を職場に連れ込んで、服を切り裂いてひどいことをしたあとに、ぼろぼろの女性を堂々と連れ回すような人だって、殿下に思われているみたいですけど……」
「そうみたいですね」
「……ステファン様、ろくでなしとは思っていましたけど、あまりにも、あんまりです……」
私はシエル様にこそこそ言った。
シエル様のことは変態って思わなくもないけれど、もしかしたら変態ではないのかもしれないって、考えを改めなくもない微妙なところではあるのだけれど。
そこまでの変質者なんて思わないのよ。
ステファン様、私のことはともかくとして、自分の配下の方に、なんてひどいことを言うのかしら。
それに、フランソワのお母様は娼館の出身なのに、その発言はどうなのかしら……。
「リディアさん、あなたが嫌っている僕と恋人だと思われてしまうなんて。申し訳ありません」
シエル様も私にこそこそ言った。
「シエル様、怒らないのですか……ひどいこと言われているのに」
「ええ、まぁ。僕のことはともかく、リディアさん。大丈夫ですか? 僕が王宮に連れてきたばかりに。転移魔法で逃げましょうか」
「服、破けますよね……?」
「破けます」
これ以上やぶけたら今もまあまあ大変だけれど、もっと大変なことになるわよね。
だって、お店、閉めてこなかったもの。
もしお客さんが来ていたとしたら、半裸どころか全裸の私をお見せしてしまうもの。
私のお店、大衆食堂なのよ。いかがわしいお店とかじゃないのよ。
だから、駄目。絶対駄目。
「私、大丈夫です……今の私、もう食堂の料理人なので、殿下とは無関係の、赤の他人ですので……」
だって、ステファン様が私よりもフランソワを優先し始めて。
それから婚約破棄された時点で、千年の恋も醒めたもの。
そこまでの恋心なんてなかったとは思うのだけれど、淡い期待のようなものは、もちろんあったのよ。
今残っているのは怒りと悲しみと恨みつらみ。
私のメンタルは、すっかり暗黒面に落ちたのよ……!
暗黒面に落ちたのだから、こんなところで宿敵に責められて、落ち込んでいる場合じゃないのよ、私!
「大人しい女だとばかり思っていたが、神官家においてはフランソワを嘲り虐め、婚約破棄されたあとは、男漁りとは……シエル、お前もだ。俺の元婚約者殿を王宮に連れ込んで手を出すとは、これだから宝石人は、常識がなくて困る」
「……っ」
ステファン様が吐き捨てるように言った言葉に、私は息を呑んだ。
咄嗟にシエル様の顔を見上げるけれど、シエル様はまるで何も聞こえていなかったように、微笑んでいる。
ひどい、差別なのに。
シエル様の髪には、宝石が煌めいていて。私はそれを装飾品だと思っていた。
けれど、確かによくよくみると、髪が途中で鉱物に変化しているみたいだ。
宝石人ジェルヒュムとは、言葉の通り体が宝石でできた種族の方々のこと。
昔は王国で暮らしていたけれど、人間からひどい差別を受けて、今は安全のために王国の西にある宝石人の街、エーデルシュタインにほとんどの方々が移り住んでいる。
今は、表向きは差別はなくなって、ジェルヒュムの方々の安全は守られていると言われているけれど。
「……なんてこと、言うんです……シエル様たちは、王国の方々のために、……危険なお仕事をなさっているのに……!」
私は思わず、ステファン様を睨みつけていた。
先ほど見た光景が、思い出される。
病床に寝かされていた、今にも命を失ってしまいそうなほどに見えたセイントワイスの魔導師の方々。
リーヴィスさんや他のみなさんも。
それから、シエル様だって。
王国の人々を救うために研究をおこなって、呪いに侵されていたのに。
ステファン様はそんなこと知らないかもしれないけれど、でも、あの様子を見れば、セイントワイスの方々が日々真面目にお仕事に励んでいることぐらい、わかる。
あまり他者と関わらない。城の人たちから嫌われていると言っていたシエル様の言葉の意味が、私にもやっと理解できた。
それは、ジェルヒュムだから。
「国のために働くのは当然だろう。俺の父が、シエルをジェルヒュムと人間の混ざりものだと知りながら、その能力をかって、筆頭魔導師の地位に取り立ててやったんだ。それなのに、リディアを王宮に連れ込むとは……やはり、宝石人は宝石人なのだな。頭の中まで鉱物でできている」
「殿下、言葉が過ぎます……!」
すごく、すごく、頭にくるのよ。
今までお肉のミンチにぶつけたり、目玉焼きやらソーセージにぶつけたりしていた怒りが、一つの塊になって、私に戻ってきているみたいだ。
なんなの、ステファン様。
こんなに、最低な人だったのかしら。
こんなに最低な人に、私の初恋を捧げたというの?
最悪なのよ。最低すぎる。浮気男というだけならまだしも、差別男だったなんて。
国王陛下になるの? シエル様を面と向かって貶めた、この方が?
「リディア、誰に向かってものを言っている? ……お前はレスト神官家から逃げ出して、庶民のように街で暮らしていると、フランソワに聞いた。ただの庶民に成り下がったお前が、俺にそのようなことを言っていいと思っているのか?」
「それは……」
確かに、そうだけれど。
ステファン様は王太子殿下だ。口答えは、不敬でしかない。
「シエルに色目を使うとは、俺への当てつけか? そのような姿で俺の前に現れて、嫉妬でも煽るつもりなのか、リディア。愚かな」
「……わ、私が、誰と、どうこうしようと、殿下には関係ありません……! 殿下なんて、私の親指ぐらいのくせに……!」
「どういう意味だ、それは……!」
私は今まで浮気男に対する全恨みをぶつけていた、すり潰したいほど憎たらしいソーセージを思い出して言った。
あれは、そう。
マーガレットさんとツクヨミさんに身の上相談したら、
「器のちっちゃい男ね。きっとこれぐらいよ」
「リディア、ステファンのような馬鹿者は、リディアの親指ぐらいだ、どうせ」
「そうそう」
と、お酒のおつまみのソーセージをフォークで刺しながら教えてくれたのだ。
だから多分、それぐらいなのよ。
騎士団の方々に爆笑されるぐらい小さいのよ、器が。
器というか、なんというか、ともかく小さいに決まっているのよ。
「リディアさん、落ち着いて」
「殿下なんて、全部の靴紐がちぎれたり、全部のボタンが弾け飛んだり、すごく太って服が全部合わなくなったり、ダンスの最中にベルトがちぎれて、ズボンが脱げたりすれば良いのだわ……! 呪われ……ふぐ……っ」
シエル様の大きな手が、私の口を背後から塞いだ。
私はシエル様の腕の中でじたじたした。
私は怒っているのよ。今までかわいそうな食材たちにぶつけていた怒りを、ご本人にぶつける日がついにきたのよ。
ステファン様の悪口を言ったことで、何かしらの罪に問われるかもしれないけれど。
でも、黙ってなんていられない。
私――神官家で、お父様からも使用人たちからも、いないものとして扱われてきたから。
だから、やっぱり、差別はいけないの。
だって、それはとても、苦しいから。
「ああああ大変だ……! 魔導師府から管理していたまんまる羊が逃げ出した……!」
リーヴィスさんの声とともに、大きな音がこちらに向かって響いてくる。
振り向くとそこには、まんまるくてふわふわでとっても可愛らしい、まんまる羊の大群がいた。
まんまる羊の大群が、私たちに向かってすごい速さで走ってきている。
そのまんまる羊たちを、リーヴィスさんや魔導師の方々が追いかけている。
「殿下、逃げてください……! 今捕まえますから……!」
「リディアさん、逃げましょう。殿下も、お逃げください」
リーヴィスさんと、シエル様の声が重なる。
私はシエル様に担ぎ上げられた。
そうして私は、まんまる羊の群れとともに、王宮から逃げ出したのだった。
王宮からステファン様の「どうして羊が……! リディア……待て……!」という叫び声が響いていた。
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